『100人の森博嗣』 森博嗣

100人の森博嗣 (ダ・ヴィンチ・ブックス)

100人の森博嗣 (ダ・ヴィンチ・ブックス)

たまに森博嗣の本を読みたくなる。彼はすごくはっきりとした指向のある作家で、それはすべての本に貫かれているから、彼の本を既に何十冊も読んだ私には、未読本を手にとっても取り立てて新鮮さはなかったりする。それでいいのだ。時々、確認作業がしたくなるってこと。彼をヘソ曲がりとしか思わない人もいるんだろうなあとは思うが、私は好きだ。いつでも自由を目指しているところが。

実際の作品には収録しない自著のあとがきを収録していたり、自身の小説のマンガ版へのコメントとか、自身が好きな小説/マンガへのコメントとか、いかにもファンブックって感じなんだけれども、「小説家デビュー前に編集者と交わした手紙」と、「中日新聞に依頼を受けて書いたけど、ボツになった原稿*1のふたつは、ファン目線でなくても興味深いし、ここでしか読めないものである点で貴重。『強調したいのは、「この程度の文章を、現代の日本は掲載できないということだ』という森のコメントが重い。

お子さんとはどんなふうですか?
子どもに無関心な親です。子育てに熱心なお父さんって、子どもから見て格好良いですか? そうは思えない。親父は親父で好きなことをやっているっていうほうが、たぶん子どもから見たら格好良い。子どもが大人を格好良いと思うのは、自分にはできないことをやっていて、打ち込んでいて、凄く忙しそうにしていて、なにか一所懸命やっているっていうのが、憧れであって、子どもに対してあれこれ言ってくれるっていうのは嫌ですよね? 大学の先生も、研究ばかりしていて、あまり学生の相手をしてくれないっていう先生のほうが学生からは人気がありますもんね。教育ってそういうものだと思います。さあお前たちに教えてやるぞって、そうなったときにはもう教育は駄目なんだと思う。俺は教える時間がないから、あっちに行ってなさいっていうのが、教育であって、そういう人たちにこそ、教えてもらいたい子はついていくわけです。大人は背中を見せないといけないと思う。

高校生に一言お願いします。
(前略)なるべく先を見るっていうことかな。だいたい、若い人たちの自分の将来像とか夢っていうと、なんか明るい家庭を持ってとか、子どもが小さいんですよ。それでどこかへ遊びにいって幸せだとか、それってせいぜい5年とか10年のことだよね。(中略)その子どもが大きくなって結婚していなくなって、そのあとに、自分はどうするのかってことを考えていない。子どもが小さいのなんて、せいぜい3年か4年ですよ。自分の人生の中で本当に短い時間です。もっと遠くを見ないといけないと思います。

これらは高校生のインタビューに対する回答で、まあ、いつもの森博嗣節ではある。で、現在進行形で小さい子どもを育てている身としては、「背中見せときゃ子供が育つなら世話ないっつーの」とか「せいぜい3,4年しかないからこそ、今を大事にしたいんじゃないかッ!」と思うし、「ずっとずっと先なんて、何がどうなってるかわかったもんじゃないべ」と思わずにいられないのが今の日本の状況・・・というか、世界中どこでもそうなんである。

それでも、森の意見に一理も二理も認めている私もまだまだここにいる。何たって子供ができるずっと前から触れている考え方だからってのもあるけど、加齢(加齢っていう言い方イヤね・・・)とともに何となく離れてしまった作家だっていることを思うと、やっぱり純粋に自分にフィットするところのある考えなんだろうと思う。

あと、この回答が、いかにも「大学側の人間」って感じ*2がしてなんか好き。

今の大学入試制度についてどう思われますか?
入試ですか? ちょっと入試が多すぎるね。推薦とか。一つで入れれば良いのに、いろいろなコースがあるじゃないですか。だからなんか機会を増やして、受験生のためにやっているのかもしれないけれど、煩雑になって大変です。

*1:タイトルは『子供には新聞を読ませない』。「新聞は読まないし、書いても悪口になるから」と言ったが「それでもいい、新聞の悪いところをぜひ書いてほしい」と言われて書き、原稿料ももらったが、トップの意向で結局ボツに

*2:森博嗣はこの当時、国立名古屋大学助教授だった