『うずまき猫のみつけかた』 村上春樹

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

再読です。たぶん10回目くらい。

世界の村上春樹を引き合いに出す僭越さは百も承知。そのうえ、嬉々として毎日たらたら駄文を垂れ流しといてアータ、ちゃんちゃらおかしいぜって話なんですが、敢えて書きます。

私は、こういう文章を書いていきたい!

人気のエッセイシリーズ「村上朝日堂」に“ジャーナル”の語が付されている本作には、1993〜95年にかけて、アメリカはケンブリッジにおける生活が綴られている。かまえない文章で書かれたこの身辺雑記の、なんと心地よいこと!

自分のごとき市井の凡人とは、仕事の重さも、収入も、世の中への影響力も、ワールドワイドな経験も、何もかもが違いすぎる春樹さんである。

でも、彼には彼なりに拘束されること、ままならないことがあるだろう人生の中で、早寝早起きや、野菜たっぷりの食事や、ランニングや水泳やスカッシュ、夜の一杯といった生活習慣を、自分自身で選びとり、持続しながら、じっくりと仕事に取り組んでいる。夜にジャズの生演奏を聴きに行くとか、友人に招かれるとか、旅をするとかの、時々の楽しみや、この本でいうと車の盗難にあってしまうアクシデント、近所の猫たち。彼の人生に彩りを添えている毎年巡ってくるボストンマラソン

そんな日々の中で、「組織と個人とが戦ったら絶対に個人が負けるんだよな」とか、「42キロのマラソンというのは、実に、人間という存在に深くコミットする体験であるな」とかいう彼にとっての“真理”が発見されていく。

誰であれ、“日々のつらなり”の結果としての人生であることには変わりないんだなと思う。いいことも悪いこともある。大事なのは、選べないことは多いが、選べることもあるということ。できるだけのものを選んでいきたい。何を残せなくても、人が見るべきほどのことは何もなくても、「これが私の生活だ」と思えるものを。

というのは、結局のところ、日々のごはんとか気持ちよい睡眠とか家族・友だちとか、彩りとしての読書とかランニングとか大河ドラマ(笑)、ってことになるんだけど、私はそういうことに対して自覚的でありたい。そのためのひとつとして文章を(この駄文雑文を・・・)書いていきたいな、と思う。

しかし、ここまで書いて、「このゆる〜い本を読んで、何もそこまで鼻息荒く宣言しなくても・・・・」と、今ちょっと思ってます、ハイ。