『雑文集』村上春樹

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

これまで書籍に未収録だったエッセイ、インタビュー、解説文、あいさつ、超短編などをまとめたもの。ファンにとってはありがたい一冊といえる。村上春樹といえば、代表作はやはり長編小説ということになるんだろうが、エッセイやあいさつ文など、小説以外で彼の文章をじっくりと堪能するのが好きな私なんかにとっては、「ありがたい」を通り越して「垂涎モノ」である。

つくづく、感じ入ってしまう。読んだり聞いたり感じたりしたことを、余すことなく、逆に過剰になることもなく、こんなにも正確に、かつ味わい深い文章で表現できるものか、と。

そして、文章というものには、いくばくかであっても書き手の人間性が滲み出るものだが、村上春樹の文章は、「誠実、真摯であれ」と自ら心してつとめているように思う。同じ筆者でも、小説の場合は少し異なるかもしれない。小説の文章は、ものがたりという異世界に読者を浸らせるためのもので、村上春樹の紡ぐ物語は、ある意味かなりファンタジーの体裁をとったものでもあるから、筆者の人間性などはかなり背後に隠れている。

比べて、エッセイやインタビュー、解説などでの村上春樹は、より親切で、愛情深く、直接的だったりもする。チェコの出版社から寄せられた質問に答える際には、文化の違う読者にもわかるように懇切丁寧だったり、古いジャズやロックについての文章では、読者を音楽の世界で陶酔させつつ、その音楽に対しての畏敬の念も存分に感じさせる。著作『アンダーグラウンド』についての文章では、デビュー当時から一貫して個人主義的な色合いの作品を発表していた彼の、世の中や時代を見る目の確かさを十分に窺い知ることもできる。

すばらしいユーモアもある。内外で数々の文学賞を受賞してきた彼の受賞のことばは、どれも謙虚ながらもエスプリに富んでいる。安西水丸和田誠による村上春樹についての対談では(この対談自体が、ファンにとっては夢のよう)、「度胸がいいよね」と言われる一幕があるのだが、長年の知己だからこその評価で、いちファンにとってはちょっと新鮮でした。

総じて、彼の文章は、読み手に対して、また文章のトピックそのものに対して、つまり世界に対して真摯であろうとする意思が感じられるし、実際に、確固たる文章力によって真摯たり得ている。それも、デビューから時を経るにしたがって、ますますその色合いは濃くなっているように思える。

マスコミなどに顔を見せることのほとんどない彼だが、反対に、彼の書くものは、つねに世界に対してオープンなのである。また、20年以上も毎年フルマラソンを走って市民ランナーとして好タイムをキープするような、コツコツとした力の使い方、蓄え方をできる人間だからこそ書ける文章だとも思う。才走ったところはなく、自分を大きく美しく見せようとすることを好まない。もちろんセンスは抜群なんだけれど、ただただ、少しずつよりよいものをと毎日書き続けてきた人の、愚直な、だからこそ安定した実力が感じられる。

・・・って、世界のムラカミハルキについて、わたくしごときが、何をえらそうに評しているのでしょうか。とにかく敬愛しています。こんな名文ぞろいの一冊を「“雑文”集」だなんて銘打ってくれちゃって、どうしてくれよう、って話ですよ、まったく。

あ、「壁と卵」の通称で知られる2009年エルサレム賞受賞式でのスピーチも収録されています。世間一般に向けての本書の一番のウリはこれなのかも。システムに対して個人の尊厳を全面的に擁護し続ける立場を敢然と表明したスピーチは、ガザを空爆するイスラエル批判でもあるとして、当時テレビのニュース番組等でも報道され注目を集めましたものね。確かに、本人による全文を読むとまた感慨もひとしおです。読む価値は、ありあまるほど、あります。