私の夫という男

夫のことを書く。私がいかにも我が強く気難しくかわいげのない人間に見えるからなのか、「あんたを嫁にするとはどんな男だ」としばしば言われる。
料理がうまい男である。といっても“シェフこだわりの逸品”というよりは“お母さんの間に合わせ”のほうに近い。冷蔵庫やストック棚のありあわせ・ありふれた食材で幾品か作ってみせる。手際がとても良く、味は普通に良い。結婚してじきに丸3年になるが、土日祝日は彼が作ってくれるのが最初から不文律になっている(そういえば何故だろう?)。夜ごはんだけじゃないよ。昼も、朝ごはんまでふるまってくれることもある。

「作る」前後もOK。後片付けもできるしゴミ捨ては彼の専売特許だし、食材の買い物もうまい。洗濯も、アイロンがけもやる。

この辺のことをいうと、女友だちはひどく感心する(男性はバツが悪そうな顔になる)。実際、すごくすごく感謝してます。でも、それは「彼のいいところ」のうちの枝葉末節にすぎない。

夫を一言で言い表すなら、「気のいい奴」である。職場やクラスに一人くらいはいるでしょう。たいていにこにこしていて協調性に富み、輪の中心で目立ったり、あるいは列の先頭に立ってみんなを引っぱるってわけじゃないけど、老若男女問わず誰からも話しやすいと思われているような人。それが彼。私も知らなかったけど、そういう人って、家に帰っても同じなんですね。

ほんとに驚くほど情緒が安定している。ほどほどにお調子者なので、テンションが上がってワハワハって感じになるときはあるけど(特にアルコールINだと)、イライラするとか、べっこり凹むとか、激昂するとかいうことがほとんどまったくない。仕事もそれなりのことをしていると思うのだが、変にプレッシャーを感じる様子もなければ、逆に妙に気負いすぎることもないみたい。かといって、淡々としているわけではなく、言うなればじゅんじゅんと、という感じか。

来るものをそのまま受け止める、受け容れるということに長けているのだと思う。受け容れるだけでなく現実を咀嚼し、考え、対処する能力もなかなかのもんだし、何より、人としてとても信頼できる。これは、彼の両親が“人格者”って言いたくなるくらいにすばらしい人たちなので「この親にしてこの子あり」を地でいってるんだな。

配偶者という家族のことをベタ褒めするのも気持ち悪い話だが、ほんとに救われてる。彼が毎日浮き沈みなく同じテンションで帰ってきてくれることに。機嫌をうかがったりすることなくいつでも会話のできることに。「おつかれさん」「がんばったね」のような言葉を、惜しみなく自然にかけてくれることに。義務感や恩着せがましさなく家事をやってくれることに。2,3時間ならたいして心配なくひとりでサクを見てもらえることに。地に足のついた生活感覚、的確な判断力に。卑しいところのない人間性に。

彼を見てると、フィリップ・マーロウですっけ? 『強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない』とかってフレーズを思い出す。って、その本読んだことないんだが。

あ、彼、顔かたちは至って普通です。初めて会ったときも、「かっこいいな」のみならず「味が/雰囲気があるな」系の感想も、まったく持たなかったことを告白しときます。ま、もともとそれほど面食いの気はない私だが、もっと若い頃は、剃刀のような頭脳とか、ただならぬセンスとか、きらりと光る知性、どこまでも踏み込んでゆく専門性なんてものをもった男に惹かれがちだった。

然るに夫は、特につきあいの浅い頃は、才気煥発というイメージではなく、ややもすればへーへーぼんぼんと見える人。彼の真の良さがわかる年頃になって出会えてよかったなと思う。一見、私のほうが弁が立つようだし、小難しい本読んでたりもするし、いわゆる偏差値の高い大学を出てるしなので、カカア天下と思われがちな我が家だが、実際は全然そんなことない。夫を頼り、彼に包まれている私です。

そんな彼だって、長い人生、どんな挫折や気苦労があるかもしれず、そんなときには伴侶として支えていかなければと思っている次第。