きのうのできごと
長いです。ひっそりと書く。
妊娠検査薬で陽性反応が出た。10月23日金曜日、昨日のことだ。
「ま、ま、まーじーでーーーー!?」
と叫びそうになる口を押さえたのは、そこが会社のトイレだったから。
家でやれよ、って話だが、思い起こせば半年以上前か、2本組を買って余った1本を、使い道のないまま自分のロッカーに入れていたのだ。
や、1回目も家でやれよ、って話だが、そのころもかなり残業続きの日々で、毎晩、そして土曜も10時とかまで会社に居ると、もはや会社が生活の場みたいになってくるところがあるんですよね。
検査薬を使うくらいだから、「ひょっとすると」という意識はあったにも関わらず、判定窓に出現した陽性をあらわす赤紫色の線を初めて見ると、驚くを通り越してまったく狼狽してしまった。うそやろ? やっべー! どげんしよう?! みたいな。別に、やばいことはない。私たち夫婦は「子ども欲しいね〜」というスタンスで一致しているのだから、これはむしろ「僥倖」というべき事態である。それでも、狭い個室で見たスティック状の妊娠検査薬には、破壊的な衝撃度があった。
それが昼休みの出来事で、件の棒は幾重にも紙で包んで生理用ごみ箱の奥深くに埋めたのだが、あまりの信じられなさに、数時間後、同じ個室に入ってもう一度汚物入れを掘り返し、陽性反応の線を確認したほどである。あほだ。しかし、人は(私は)時としてそういう謎の行動をする。
時間が経つにつれ、後悔が頭をもたげてきた。
「どうしてこんなに早く検査してしまったんだろう・・・」
その日は、私の性格よりもよほど規則正しい私の生理周期によると、予定日の前日。つまり、まだ、「む? あれが遅れてる?」というには程遠い時期だったのである。
兆候らしいものは、あるといえばある、ないといえばないという、その前の数日だった。微熱が続き頭が痛い。なんか不思議な眠気。朝、アラームが鳴るとピシャッと目が覚める(そういうことのない普段の私ってどうなのだ)。そして、二日酔いでもなく、胃痛というわけでもないが、朝の、なんとなく胃が圧迫されているような妙に苦しい感覚。とはいえ、その週の月曜日から、私は激烈な風邪をひいていたので、すべてその関係だという推論もできた。
それでも検査してみたのは、もしかして、と思ったからであり、その疑問がいったん浮かんだ以上、もやもやしたままで時を過ごすのが嫌だったからだ。妊娠しているとなれば、やたらと風邪薬を服用するのもどうかと思うし、また、日常の一部と化している飲み会やタバコ休憩などももってのほかだろう。わざわざ買ってまで、という時期ではないが、幸いにもロッカーに1本眠っているんだし、検査は3分もあれば終わる。だいたい、その検査薬は「生理が遅れて1週間後から」使うべきものとされており、たとえ妊娠していてもまだ反応が出ないことも大いに考えられた。またどうせ、以前のように真っ白な判定窓を見て、「なんだ〜やっぱりそうだよね〜」と落胆しつつ、「ま、とりあえず今夜も晩酌して問題ないな」と、変わらぬ穏やかな生活を確保したことに満足しようと自分を導くことになるのだろうと思っていた。それで、この今のもやもやに、いったんの決着がつけられるだろうと思ったのだ。
それが、まさかの陽性反応。こっちの事態になったときの具体的想像はまったくしていなかった。まあ、初めてのことなので想像するにもできなかったというのもある。しかし、こうなったとき、次に何をするべきかはわかる。病院に行くことだ。妊娠検査薬は受精によってあらわれるホルモンに反応し、その精度は99%以上だというが、これはあくまで受精を証するだけであって、たとえば子宮以外のところに受精卵が留まってしまっているといったようなことも考えられ、それらはやはり、病院で診察してもらわないとわからない。
しかし、エコーで胎のうが確認できるのは、早くても妊娠5週のはじめだという。さらに、その後、胎芽(というのかな?)の心拍が確認できるのは、7週から9週くらいだとか。それまでの間に、いつのまにか受精卵がいなくなってしまう、医学的には流産にも含まれないという「自然な流産」となる可能性は15%もあるという。
ひるがえって、その日の私は、どう考えても4週の第1日め。明らかな痛みとか普通でない出血があるならまだしも、いま病院に行ってもどうしようもない。少なくともあと1週間は、ただまんじりと待っていないといけない。
確かに、今は私のおなかに命の源(なんかこういう名前の薬酒みたいなのあったね〜)がいる。しかし、それはまだ、あまりにもはかなく、失われやすいもの。それでも、いったん「いる」とわかったものが「いなくなるかもしれない」という状況、そして「いなくなった」事実を受け止めなければならないかもしれないという状況、こんなの、短ければ短いほどいいに決まってる。検査薬の説明書どおり、1週間遅れるまで待てばよかったのだ。そうすれば待つ時間は減った。だいたい、こんなに早くわかったところで、薬や酒を断つことくらいしかできないのだ。むしろ検査をする前よりも、断然、悩みは深くなったじゃないか。
ちっ、失敗したよ・・・。と舌打ちつつ、自分のあまりの狼狽ぶりに、「そうか、やっぱり、こんなに子どもが欲しかったのか」ということも逆に思い知らされた。あまり考えないようにしていたのだ。どんなに望んでも授からないかもしれないのが子どもというもの。しかし子どものいない人生を「何かが足りない人生」だというふうには絶対に考えたくなかったし、あまりに子どもを望みすぎると、その時点で「今の生活には不幸が存在する」ということになってしまう。まあ、ここまで考えてる時点で、全然欲しがってるやん、て話なんだけど、とにかく、いま芽生えている命と、あと数週間でお別れになる確率を思うと、胸がよじれそうだった。
どうにか仕事はこなして8時に帰宅。ひとりの家で、夫に知らせるべきか迷った。夫には「生命の神秘の機微(?)」に関する知識は私以上にないはずだし、説明してもどこまで理解してもらえるかわからない。いま知らせても、ぬか喜びになりかねないと思うと、ためらわれた。しかし、ヘタレの私に、この状態を1週間もひとりで平然と背負う自信はもてない。それに、いくら風邪あがりだとはいえ、この私が1週間も飲み会に行かず晩酌もしなければ、なんかおかしいと気づくだろう。だいたい、こうなった責任(?)は彼にもあるのだ。彼には知る権利があり義務がある。夫婦は一蓮托生だ! あきらめてもらおう。
無理くり正当化して、夫にメールを打った。夫は会社の飲み会なのだが、彼もまた風邪っぴきで疲れもたまっているとのことで、なるべく早く帰ると出がけに言っていた。しかし、酒を飲む前とあととではまったく意識の変わる可能性が高いことは、自らを省みてもよくわかる。一度、打ち明けると決めたら、そんなに何時間も待っていられないし、夫はゴキゲンさんになるタイプの「いい酔っぱらい」とはいえ、酔っぱらった男にまじめな話なんてできない。
「具合が悪いのでなるべく早く帰ってきてほしい」妻のめずらしい要求にびびったのか、夫、20分後に帰宅。パソコンに向かっている私を見て、「アー? なんだ元気そうやん。メシは?」と言う。「まだ。食欲が無くて」と答えると(本当だ。精神的圧迫が大きすぎてそんな気分になれなかった)、「なんか食わんと! 何が食べたい?」と、さっそく彼の根城(=台所)に向かう。「ちょちょ、ちょい待て。まあここ座れ。話があります」
できるだけおごそかな表情を作って「子どもができたかもしれません」と告げると、「えええええ! まじで!!!! やったーーーー!」と、非常に模範的な反応を示す夫。うむうむ、といかめしく頷いたあとで、「しかし、かくかくしかじかで、とてもじゃないけどまだ“めでたい”状態ではないのです」と、ひと通り説明すると、「細かいことはよくわからんが、とりあえず様子見しかないってことね」と理解したもよう。小憎らしいことに、「とりあえず酒もタバコもおしまいな」とも付け加えられた。ちっ。わかってるよ・・・。
自分の腹のことじゃないから、というばかりではなく、むやみやたらと物事に動揺したりネガティブに向かわず、あるがままの現実を受け容れることに長けているのが夫の美点なので、短い時間で状況を咀嚼したようだった。「よし、じゃ、メシ作るか。何がいい?」と話はそこに戻り、私たちはチクワと葱入りの温かい蕎麦を食べた。・・・って、夫、あんたは一応、飲み会で飲み食いしてきたんじゃなかったのか?
現在、物理的にはわずか1グラムにもみたないらしいけれど、あまりにも重いこのweightを夫にも背負わせることには成功したものの、とにかく待つしかないという事態はもちろん依然として変わらない。夫以外には、もちろん当分言うことはできない。なのに、この文章を日記に載せることについては、もちろん迷った。実際、あまりにも軽率、非常識だと思う人もいるだろう。覚悟はしているつもりでいるものの、悲しい結果になったときは、載せたことを後悔するだろう。それだけでなく、実際に会うこともある友人たちが読んだとしたら、余計な気を遣わせることになる。それは友人たちに対して申し訳ないことだし、そのことでの罪悪感は、さらに自分を苦しめることにもなるだろう。
それでも載せてるのはエゴとしかいいようがない。今はまだ全然浮かれてもないし、むしろ落ち着かない気持ちばかりだが、だからこそ書かずにはいられない。書くだけ書いてUPするのはやめようかとも思ったが、やっぱりこうして載せている。妊娠超初期の間、私のような思いをする人はたくさんいるだろう。言えない気持ちをもてあましている人が、これを読んでくれたらいいなと思う。私も、昨日は検索してそういう人のブログをいくつか読み、なんとなく励まされた。
そして思った。胎のうが見え、心拍が確認されれば、統計的には流産の確率は減少する。でも、あたりまえだけどゼロになるわけじゃない。生まれてくるまで心配はずっと続く。生まれてからだって、赤ちゃんじゃなくなっても、心配の種がなくなるなんて、ありえないのだ。子どもを育てるってそういうことなのだ。信じるしかないってところが、ものすごくある。それは、今の私には気の遠くなるような長い道のりで、正直怖いけれど、みんなそうやって、親になっていくのだろう。
「この時期になったらだいじょうぶ」なんてことは、究極的に言えばありえないわけで、それならいっそ、いつものように、そのときどきのことを書きとめていこうと思う。自分の葛藤や弱さを垂れ流すのは、ある意味、羞恥心のない行為だが、長いこと日記を書いてきて、その価値も身をもってわかっている。こんなこと言っておきながら、悲しい結果になったときは詳しく書きとめることはできなさそうだし、この文章も消してしまうかもしれないことも書き添えておきます。ヘタレは逃げ道も作っておくのだ。