『終わりなき日常を生きろ』宮台真司

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

大学時代の同級生(社会学専攻)が「読んでみたら」と貸してくれた本。この分野に詳しくない私でも存在を知っていたくらいだから、当時はきっと、相当、話題になったんだろうと思う。

“オウム完全克服マニュアル”というサブタイトルがつけられているだけあって、愉快な本ではない。それでも、80年代の二つの終末観について示唆するあたりは、ぐいぐい読ませられた。

デカい一発がやってくる、その後の廃墟の動乱の中での団結や共同性が語られる「男の子的終末観」。『AKIRA』や『風の谷のナウシカ』がその代表だ。あるいは、これからは輝かしい進歩もないし、おぞましき破滅もない。日常の中で永遠に戯れつづけるしかない、という「女の子的終末観」。『うる星やつら』の連載は1979年に始まった。

男の子たちよりもはるかに以前から「輝きのない未来」に耐えてきた女の子たちは、バブル崩壊後に男の子たちが悲哀を噛みしめている横で、さっさと「終わらない日常」と戯れるスキルを身につけていた。ブルセラに走る女子高生、サリンをばらまく元理系学生。

そして、筆者は「終わりなき日常を生きろ」という印象的なフレーズを用いるのだが、地下鉄サリン事件の起こった1995年にこの本が出版されてから、すでに15年が経っていることになる。

ユートピアにもディストピアにもなりうる「終わりなき日常」を生きる知恵”が必要だ、としながらも、その具体的な中身についてまでは、この本では詳細な検討がなされていない。ただ、この当時の彼は終わりなき日常を「まったりと」生きることに対して肯定的だが、2010年の今でも、そうなのだろうか。

現代には、20年前、10年前とは違った様相、問題がある。終わりなき日常を永遠のものと思いさだめ、まったりと生きる若者たちが、3年で会社を辞めたり、派遣切りにあったりニートになったりしているんじゃないか?という指摘をしたくなるのが人情ってもんだ。輝かしい夢に敗れて絶望するのと、見る夢すら最初から持ちえないのと、どっちが幸福だ?という選択肢しかないのか、と。

もちろん、名医よろしく現代に対する処方箋を書くのは不可能だとしても、1959年生まれの社会学者である筆者は、この本ののちも絶えず現代社会と向き合って活動しているはずだ。ゼロ年代の10年間について彼が語ることを知りたい。というか、ゼロ年代ってどういう時代だったのか、考えてみたいと思った。