『龍馬伝』第3部完結
第3部が終わった。終わってもうた。この空虚な気持ちは、なんやろか・・・。
もう、4分の3が終わってしまったのだ。薩長同盟は成り、寺田屋で襲われ、おりょうと夫婦にもなった。なのに、なのに、コーヒーに例えるとアメリカン。なんだか薄いのだ。坂本龍馬の人生をダイジェストで見ている感じ。ぐっと胸に迫ってくるものがないのである。
ここへきて、結局、このドラマが始まる前から漠然と感じていた不安が的中しているのかも。そう、脚本(と書いてホンと読む・・・のですよね?)の弱さ。一概に脚本家の筆力というより、演出とか編集を含めての問題なんじゃないかと思うんだけど。
見ていて、おもしろいなという場面はけっこうある。最近でいえば、長崎の料亭でお元とおりょうのガチンコ勝負とか、なぜかウマが合う三吉慎蔵と龍馬とか、食えない長崎の商人たちとか。いずれも枝葉のシーン。おっと、枝葉末節なんて言う気はないですよ。私は「神は細部に宿る」論者だからして、枝葉がわっさわさと生い繁る物語はむしろ好きなのだ。しかし、それは、幹がどーん!と太くそびえているのが大前提って話じゃないですか。そこへいくと『龍馬伝』、どうにもこうにも、歴史の大きなうねりを感じられないんだよね。
確かにこの物語で龍馬はヒーローでなければならない。でも、薩長、そして幕については、これまでにもっともっと書き込んで欲しかった。西郷や桂、一橋慶喜にしろ、もっともっと傑物に、魅力的に描いて、それでもなお行き詰まってしまう状況を。それでこそ、歴史を転回させる龍馬のスケールの大きさが体感できるってもんだと思う。「この国の仕組みを変える」「みんなが笑って暮らせる国」とやたらお題目を唱えるんじゃなくてさ。
だいたい、海軍操練所とか亀山社中とか、あそこらへんの青春グラフィティみたいなのって、あんなに必要だったか?! むしろ、薩摩や長州でだって、もっというなら土佐勤皇党でだって、もちょっとコメディやったって良かったのでは。それをやらないのが大友の美学なのかもしれんけど、どうも、「コメディパートのための亀山社中や弥太郎」「恋愛パートのための寺田屋」「幕末モードのための薩長」みたいで、なんかこう、ブツ切り、分断されてる感じがするんだよね〜。
でないと、役者ももったいない。伊勢谷友介はもちろんのこと、高橋克実も谷原章介も、さらにいうなら香川照之すら、そもそも出番自体が少なくないですか?! もっと舐め回すように堪能したい。そんなにも福山さんを出ずっぱりにしなくてもいいのでは。『風林火山』のときなんて、内野さんの出番、超少ない回(=市川亀治郎@信玄やガクト@謙信が出まくり)、あったと思うけどなあ。
あと、恋愛もようがあんまり盛り上がらなかったのも意外だった。真木よう子さんのおりょうは文句なしの美人さんなんだけど、ツンの演技の中にももうちょっと情感が欲しかった(逆に、情感の要らないシーンは超よかった。寺田屋からこけつまろびつして薩摩藩邸に走っていくとことか)。蒼井優は演技がうますぎて、お元の複雑なキャラが立ちまくっていた。わけは違えど、妙にどっちにも感情移入しにくかった気がする。
ま、なんのかんの言いながらも、ただの1回も見逃していない私。だからこそ完全燃焼したいのであるよ!