『龍馬伝』第34回「侍、長次郎」

基本的に、なんでもかんでも美談に仕立てるような描き方には懐疑的なわたくしですが、今回については否定しません。

相変わらず学生サークルみたいな亀山社中、夢ばかり追ってるお子チャマみたいな隊員たち vs 一人せちがらい現実と向き合っていた長次郎、という図式はあまりにも現代的な価値観による脚色だと思うんですが、否定しません。

だって大泉洋なんですもの。

実際には、龍馬とて「自分がいれば死なせはしなかったのに」とは言いつつも、同時に「百才あって一誠なし、みたいなところが奴の身を滅ぼした原因だ」みたいなことも言ってるわけですが、そんなのスルーした作りで良かったです。

だって大泉洋なんですもの。

彼の饅頭屋は、頭が良くて心優しく、志高い人間なのです〜。社中の金を横領したとか、もとから浮いてる存在だったとか、そういうふうには思えません。思いたくありません。うるる。

ていうか、そういうふうに思わせないための、大泉洋だったのよね。今回の近藤長次郎像あってのキャスティング。プロの仕事だー。大泉さんも良かったよー。うるる。

彼の亡骸を囲み涙する亀山社中の面々を見ながら、「あーこの人ら、これから維新前に次々死んでいくんだよなあ。こいつも、こいつも。陸奥くらいなもんか、生き残るのは。“竜馬がゆく”で、あまりの死者の多さに、竜馬が『これではまるで弔い稼業だな』とか言って嘆くシーンがあったよなあ」としんみりした。当の龍馬だって、命はあと数年なわけだ。


オープニングのクレジットでは武市さんばりに優遇され、ピストルの試し撃ちだけでもひらりと舞うように反転する演出をつけてもらえる伊勢谷友介高杉晋作。もう、かっこいいったらないのですが、この人この先、見せ場あるのかしら。なんか、必然性がないっていうか、このままでは、“かっこいい人を出すため”の高杉晋作になってしまうような・・・。まんまと引っかかって、毎週ちょっとだけの出番にワーキャー言うてるわけですけどね、自分。