『面白南極料理人』(西村淳)

面白南極料理人 (新潮文庫)

面白南極料理人 (新潮文庫)

そして沖縄に行く直前に、南極越冬隊の映画を見、原作本を読むという。

や、原作も面白かった! ぐんぐん引き込まれてあっという間に読み終わってしまい、「祭りのあと」的な気持ちになっている・・・。

映画で堺雅人さんが扮した「ドームふじ基地」調理担当の西村隊員、その人こそが書いたエッセイだ。ほかの人たちも、基本的に実際の隊員さんたちの名前もそのまま映画に用いてるんだね。トライアスロンにチャレンジする福田ドックとか、雪氷学者のモトさんとか、大学から派遣されてきた兄やんとか、通信担当の盆ちゃんとか。

1年半にも及ぶ10人未満の南極生活が2時間にまとめられた映画で描ききれないのは当然のこと。

映画でもあるていど触れられてはいたけど、「雪は無限にあっても水はない!」がゆえに、毎日何十キロもの雪をかき集めて熱する造水作業をはじめとする、重量級の肉体労働の数々の描写は凄いものだった。南極の最果てたるドーム基地にたどりつくまでの、何十ページも費やされた旅路からして驚愕ものだ。

そうだよね、映画は基本的に(いい意味で)「ゆるく」作ってあったけど、実際、この隊員たちは間違いなくみんな超人レベル。肉体的にも精神的にも相当にタフじゃないとやっていけない生活であることは想像に難くない。

調理人西村さんのキャラクターづけも映画とはだいぶ違って、映画での堺さんは、どちらかというと濃いキャラの隊員たちを一歩引きながら見ているような感じだったが、著者たる西村さんは、自分を真性の“テキトーお祭り人間”的に書いている。文章は軽妙で喜怒哀楽の感情がすごく豊か。ぷはっと噴きだしてしまうようなところもたくさんある。

そう、いかにキャラクターが違っていたり、実際の南極生活がもっと過酷なもので、隊員はそれに耐えうる超人たちだったとしても、この原作自体が、すごく明るい。「崇高な理想を追った」「特別に選ばれた」「人類の英知を結した」人たちの集まりではなく、いかにも「しょうもないおっさん」たちの生活として描かれている。人恋しくなったり、郷愁にとらわれるのを振り払うように、何かというと美味しいものを作って食べたり、やたらと飲んだり、少人数の閉塞的な暮らしの中で時に一触即発になりながらも、逃げ場がないからこそ一致団結して信じられないくらいの重労働を成し遂げたりしてしまう様子は、親しみをもって読めるのだ。

和食、洋食、中華などのコースや、隊員それぞれのバースデイパーティー、ジンギスカンや(零下30度での!)バーベキューなど、記録される宴会の数々は圧巻。やっぱり、食べること、飲むことがいちばんのストレス発散や気分転換なんだなー。制限だらけの南極生活なのに、それに賭ける工夫っぷりと執着心がものすごい。そりゃそうだ、物欲も性欲もみたすことができない世界だもんね。

椎名誠の「あやしい探検隊」シリーズみたいに陽性のオーラがみちたこの作品だが、映画で「なるほど」と思ったり、ほろっときたシーンとかのいくつかは、原作からとられていたところもあり、あらためてあの映画はよくできてたなーと思ったりした。映画を見た直後だったので、ついついこういう見方をしてしまうけど、もちろんこのエッセイ自体がすごく面白かったですよ。