毎日だって遊んでほしいの

今朝がた(推定5時)、もちろん快眠を貪っている私に向かって、隣の夫が頼りない声音でささやきかけた。
「ねえ俺の毛布知らん・・・?」
眠っているときの私はものすごく無愛想なので、「知らん」と答えるか答えないかぐらいで再び眠りの世界へと落ちようとしたら、続いて「これ何?」と私がくるまっているものを引っぱられた。紺と白のしましまの夫の毛布だった。あら? すまんね。

ゆうべは早い時間に「飲み会になった」メールが来たので、私も残業あがりで飲みに行くことに。帰ると、お風呂に入ってすぐ寝る時間だ。そんな翌日は、会社で仕事しながらふと、「今日は早く帰って夫とたくさん遊ぼう。」と心に期して、そう考えるだけでわくわくしてくる。しかしこれはいったい、どういう心境なのだろうか? 自分のことながらわけがわからなかったりする。

遊ぶといったって、当然、何も文字どおりに遊ぶわけじゃない。平日の夜なのだから、帰ると、どちらかがごはんや明日のお弁当のおかずを作ったり、一緒に洗濯物を干したりたたんだり、あとはごろ寝でテレビを見るか、ってなもんである。交代でパソコンに向かったりもするし、いくらまだ「新婚時代」だからって、始終べたべたするわけもない。

それでも、飲んで帰った翌日、朝またお互いの仕事に出かけて離れると、「昨日は夫が足りなかった。」とうなだれるのである。そして、「でも今日帰ったらまた会えるし〜♪」と一瞬で浮上して、結婚ていいな、しみじみと思う。しかしこの心境はなかなか人には理解してもらえない気がする。少なくとも、独身時代の私にはまったく理解できなかったであろう。恋人と1年365日毎日会うなんてしたことなかったし、したいとも思わなかった。むしろ、「生まれ育った家族とですら、大人になった今はきついだろうに、他人と一緒に暮らすなんてさぞやストレスが・・・?」と思っていた。

なのに今や、このていたらくである。こういう状態こそを「骨抜き」というのであろう。この私が、夫に骨抜き! 夫は長瀬ともやさんでも玉山てつじさんでも伊勢谷ゆうすけさんでもないぞ!(と、現時点で私にとっての『イケメン三銃士』を例に挙げてみました。)たった一昼夜のあいだ離れただけで、とはいっても、ちゃんと帰宅して一緒に寝てるってのに、もう今夜の帰宅を楽しみにするなんて・・・・。先月の夫の入院で、事情あって彼が不在だとしたら、それはそれでまたひとり暮らし気分に戻ってある意味気楽に過ごせることも学習はしたが、退院後わずか1ヶ月でまたこの状態。唖然とするよ、ほんとに。

結婚してからというもの、友だちだとか同僚だとかに、「どう?結婚生活は」と聞かれることが結構あって、もちろん正直に「楽しいよー」と答える。そして、「だってうちのダンナさん、料理は上手いし洗濯もごみ捨てもしてくれるし、飲み相手にもなるし・・・」なんて続けちゃうんだけど、よく考えてみると、それは単なる「他人にもわかりやすい」理由づけでしかない。もちろん、家事や飲みに関してもまったく対等な我が家の関係が、夫婦円満の主要因になっている面は多々あれど、やっぱり「家事をしてくれるから」彼と結婚しようと思ったわけでもないし、結婚してからもこんなに楽しいわけではないだろう。純粋に、夫とじゃれあう(別にやらしい意味ではない)のが楽しいのだ、私は。結婚する前のおつきあいで、夫とこんなに日常的にじゃれあってはいなかったのに、結婚してからは、あっさりと、これがクセになったのだ。不思議。ものすごく不思議だ。

ちなみに夫のほうはというと、もちろん直接的な言葉にはしないものの、やっぱりどちらかの飲み会の次の夜は、普段に輪をかけてテンション高く遊んでくれてる気がするので、たぶん私たちは今んとこ、似たもん夫婦なんだと思います。ふっ、恥ずかしげもなく書くぜ。日記だから。

いやーしかし、3年とか5年とか経ってこんな日記読み返したら、自分がいちばん「けっ、青くさいヒヨッコめ。反吐が出るぜ!」てほどに冷めきったりしてるんでしょうかねー。冷めきってはなくても、「夫と今晩(我が家で)会うのが楽しみ」だなんてかわいい気持ちは、当然、ないでしょうね。こんな日記、恥ずかしすぎて焼いて捨てたいと思ったりするんだろうか。なんせ、これから何十年も続くかもしれないんですからねー、結婚生活なんてものは。

しかしこの1年数ヶ月の実体験による「結婚考」てのはいろいろあるもので、恥ずかしいの承知で、今このときの気持ちを、これからも折にふれて書き留めたいとは思います。それが日記というものだ! 物好きにもこの日記をこれからも読み続けてくれるという人は、引き続きドン引きしてください。。。。