ダウンタウンが売れっ子になるまで

で、一気に話は飛ぶんだけど、最近、とあるブログでダウンタウンが売れっ子になるまでの軌跡みたいなのをまとめてる文章を読みました。

今でこそダウンタウンといえば大御所だし、M−1やらR−1でも関西芸人の面白さは折り紙つきみたいになってるけど、ダウンタウンが大阪のレギュラー番組をすべて終わらせて東京に進出してきた頃は、全然、様子が違ったらしい。単独で番組をもてるのは、桂三枝師匠(あと、さんまさんかな?)ぐらいだったんだって。「夢で逢えたら」だって、当時はウッチャンナンチャンのほうが断然、人気も知名度もあったそうです。

で、満を持して“ガキの使い”が始まるんですが、二人の漫才やフリートークは、東京のスタジオではなかなかウケない。スタッフにも怒られる日々が続く。

しかしそこで、彼らは客席に歩み寄らなかった。シーンとする客に向かって、「君らこんなんウケんのやんね、俺らオモロいんやけど・・・」とか何とか言いつつ、松っちゃんのボケをいちいち浜ちゃんが丁寧に拾っていくという方針を採用したそうです。こうやって書くと、「ふーん、そりゃそうなんじゃない?」て感じですけど、これは非常に地道な革命だったそうですよ。なんか、ちっともうまく書けなくて悔しいッス(書きながらの晩酌でほろ酔いになってきた・・・)

その後の破竹の勢いは周知の事実。松ちゃんは、「世間のニーズに合わせて笑いを作ったらアカン。ニーズを自分らが作りださんと」と言ってるらしいです。


こんなに(前の「白洲次郎」エントリから)ダラダラ書いて「尻切れトンボ」とはまさにこの日記のことですが、夫も飲み会から帰ってきたので無理やりまとめる。つまり、「わかりやすいことが常にいいことなのか?」と書きたかったのだ。

わかりやすいことは、一見、その場では受け容れられやすい。
でも、わかりきったことは新しいことを生み出さない。
たかがドラマ。たかがお笑い。
日常のあまった時間にのんびりテレビ見てるだけの時間。

それでも、「エ?」て思ったあとに「ああ!」と頷くのは、リラックスとは違う快感を生み出す。

作る側・与える側。その逆に、受け取る側。テレビやなんかでは私は常に後者だけど、現実の仕事や人間関係では、前者のがわに立つことも多々あるよね。どっちの側に立つときにも、生み出す面白さのことを忘れずにいたいなーと思う。
ああ、結局、小学生の作文みたいなまとめですーーー。