『花燃ゆ』 第26話 「夫の約束」

このドラマの作り手が、幕末にも長州にも何の思い入れもないことは早くから露呈していますが、それならそれで、本来、その代わりに家族とか子どもとかに重点がおかれるべきだと思うんですよ。そっちにも大した思い入れがないようだから困る。見るべきものはなんなのか?って話なんですよ。

 

稔麿の訃報を家族に伝えるのが、文。こういう、いかにもな展開を、「ご都合主義だな~でも、これはこれで、アリだな」と思わせるのが作り手の腕なんですよね。『天皇の料理番』でいえば、産婆になった俊子が、よりによって篤蔵が帰国してくる時期にバンザイ軒に寄宿してるとか、めっちゃご都合なんですが、批判する気は起きなかったもんね。そこで繰り広げられる会話が、ドラマがすばらしいから。


兄の訃報に、「ご立派な最期だったのよね、そう思っていいのよね」と泣く妹・ふさに対して、固い表情で口を引き結んだままの主人公。文なりの「稔麿の死へのショック」「名誉の死への懐疑」という表現のつもりなんだろうけど、こんな演出ないよ。

 

自分がどんだけショックか知らんが、肉親を亡くすというこの世でもっともつらい出来事に直面している友だちが目の前にいたら、ふつう慰めるでしょ。肩を抱き、背をさすり、一緒に泣くでしょ。「そうよ、ご立派な最期だったに違いないわ」って言うでしょ。遺族にとって、それがせめてもの救いになるなら。だのに、この文ちゃん、一言も発しない。すがりついてくる、ふさの手すら握らない。こんな主人公にどうやって感情移入しろと?

 

養子にした久米次郎の扱いも、あんまりなひどさ。先週、生みの母である寿(優香)から離れたくない、と言い、遠征して行った山口でも一人で逃げ出そうとするほど淋しがる久米次郎を描きながら、今週は、寿を目の前にしているのに「母上ー」と文にじゃれつかせる。先週から今週まで、作中でもわずかな時間しか経ってませんよね? 何週間か何か月かで養母>生母になっちゃうほど、久米次郎くんは幼少じゃないですよね? 

 

雑すぎるんだよな。親子の描き方が。

 

しかも、こんなときに引っ越す(実家からの独立)とか文ちゃん頭おかしいとしか思えない。世話になってる親にも相談せず引っ越し準備始めるとか自分勝手すぎるし。「久坂をちゃんとした家で迎えたい」とかなんとか言っちゃって、今現在不在で、いつ帰ってくるかもわからない人のために、そーゆー行動って、自分(というか自分たち夫婦)の自己満足でしかないよね。大人の都合で養子にやられた久米次郎にしたら、おじいちゃん・おばあちゃん・おじちゃんおばちゃん・従兄弟らがいて賑やかな杉家のほうがいいでしょうよ。何が悲しくて、新しいママと2人、いつ帰るとも知れん養父を待ってポツネンと淋しく暮らさにゃならんのか。

 

子どもの扱いがどうだろうと、普通の歴史ドラマだったら別にいいんですよ。「母になるために」だなんて大仰なサブタイトルを掲げ、良き母になる・良き父になるだの現代的価値観で大騒ぎした舌の根も乾かんうちに、こーゆーことをしくさるから腹が立つのだ。


中途半端な現代的価値観もいらつくなら、所作演出の雑さもひどいのな、このドラマ。今に始まったことじゃないけど。

 

杉家に来てた寿が土間に立ちっぱなしなのは、実家だからまだアリだとしても、椋梨の奥方が玄関先で立ち話ってのは、なんなんだ。これまで何回か出てきたよね、このパターン。しかも今回は当主である椋梨藤太が「騒がしいな」って様子見に来たりして、ここは下級藩士の家ですか? かつて寿が奥方会にデビューしたときも、いびる奥方たちがなぜかみんな立ちんぼだった。

 

藩の重役の奥方である美鶴が、まるで商売女かとでもいうように、変に首を傾け、ふらふらしながら演技。若村麻由美がこういうのを「武家の奥方らしからぬ所作」と知らないわけはないから、「主人公の敵役っぽさ」をわかりやすく出そうとする演出の意図に違いないが、見ていて気分が悪い。

雅の「晋さま」呼びを初めて聞いたときも耳を疑ったが・・・。黒島結菜ちゃんは今回、雅じゃなくて「おうの」で晋作と絡んだ方がよかったよね。ま、花燃ゆワールドでは正妻=正義、妾=邪道だから、売り出し中の女優に芸者をやらせるわけにはいかんのだろうが。・・・と思ったら生松が謎の登場。桂さんすらまともに出てこないドラマに幾松が出てきた。何がしたいんだこのドラマ。

 

幾松さんは(親切にも)辰路のことを久坂に教えに来たのでした。鈴木杏が後ろ姿も立派な妊婦なのは流石だが、「京の人々はみんな長州の味方」ってアナタこないだまで薩摩藩士に惚れてたくせに勝手なもんです。辰路は、鈴木杏の演技力で登場時の妖しさや啖呵は見事だったのに、「花燃ゆワールド」の煽りをくらって矮小化してしまったキャラですな。ま、このドラマで矮小化されていない人物などいないのだが。

 

“ひと晩の過ち”をあれほどガックリ悔いて正妻を巻き込んで大騒ぎしてた久坂は、浮気相手に子どもができたことにはまったく動じず「俺にできることはないか」っていきなり甲斐性ができたもんですね。「どうせもうすぐ死んでご破算になるから」な、ドラマのご都合主義そのものなリアクションでしたよね。

 

それにしても、「久坂のせいで長州が滅びる」とは、斜め上の解釈でした。このドラマの底の浅さには十分慣れたつもりでしたが・・・。

 

攘夷を実行したのも、八月十八日の政変に敗れたのも、帝に嫌われたのも四国艦隊が迫ってくるのも、全部ぜんぶ久坂のせい。久坂ひとりのせい。

 

すごい理屈だな。こんなふうに誰かひとりをスケープゴートにして生きていけりゃ楽だろうな。久坂は全権を握る大統領化なんかなのか? 明らかにアンタのダンナのほうが高官つまり、責任を負うべき立場なのでは? 

 

もちろんこれは、主人公の敵役ポジションであるところの、美鶴といういけ好かない奥様の「私見」として描かれているのだけれど、この「久坂のせい」な立脚点から、「大丈夫?傷ついたんじゃない?」 だの、「いいえ私はへっちゃらです」だの、「誰になんて言われようとあの人はまっすぐなんです!」だのと、大真面目な顔してドラマは展開してますからね。

 

どーせ蛤御門のあと、一時的に久坂の評判は地の底まで落ちるんだろうけど、そこから何かの弾みで(どーせ小田村が活躍したりして)彼の名誉を回復してくれるんでしょうね。「久坂のおかげで長州は救われたのだ」「久坂の志が受け継がれて新しき世がやってきたのだ」「久坂は純粋でまっすぐですばらしい男だった」はいはい、目に浮かぶ。

 

久坂玄瑞のせいですよ」にもびっくりだが、「あの人はまっすぐなんです!」で対抗しちゃうのにも驚く。「純粋まっすぐ君」なら同志が死んでも長州が滅んでもしょうがないのか? すごい超理論で進んでいく幕末ドラマ・・・。

 

久坂玄瑞が最後の最後まで進発に反対していたのは事実で、そこには固い意志と苦悩があったはずなんです。その意志と苦悩を、当時の状況をしっかり把握し説明したうえで、このドラマなりに描いてほしかった。現状、彼のせいで長州が滅びるどころか、偉業も悪行も何ひとつなしえず、歴史に塵ほどの足跡も残しそうにない久坂である・・・(高杉他も同様)。

 

そして「共に生き残る道を探そう」とか同志ヅラした手紙を送ってくる小田村に「おめーに言われたくねー」と毒づきながら見ているわたくし。