五月の四
●5月某日: サク、博多駅の鉄道関係のお店に行きたいと夫に交渉し、成立。私は遠慮して近所で買い物。新聞読んだり、日常業務いろいろ。
サク、1ピースの大きさがミリ単位の「ナノブロック」を買ってもらってホクホクで帰って来た。レベル1のインコ、レベル2のハクトウワシを先日までに完全制覇し、今回はレベル3の東京タワー。しかも箱入り=ピース数が多い。「あのさー、チャレンジするのはいいけど、これ対象年齢12才以上って書いてるしね、一人でできなくてもキーッてなったりしないでね。わかんなくなったらお父さんに聞くんだよ」と言いくるめて(くるめて?)やらせると、始終ごきげんで鼻歌を歌いながらの1時間あまり、見事に完成していた。すげーね。
夕方からは、幼稚園の友だちの家で持ち寄りごはん会。今日も夫、揚げ揚げしている。前回は唐揚げだったので、今回はコロッケと肉巻きだそーで。大根と手羽の煮物も。お義父さん作のタケノコ煮の卵とじやポテサラも。私? ズッキーニの箸休め作りましたw 友だちの家では、れんこんグリルのふき味噌乗せや、サーモンと野菜のサラダ、黒豆のおにぎり、ザワークラウトなど、ごーかごーか! 激しいテンションで遊ぶ子どもたちに時々どきどきしながらも大人のおしゃべりは続いた。こちらのご夫婦はそろって朝ドラウォッチャーなので、ひよっこの話も15分はしましたかね(放送時間に匹敵)。最後はみんなでいろはカルタ。子どもチームが優勝してめでたしめでたし。
サク、星座を探しながら「たのしかったなー」と噛みしめる帰り道だった。夫と2次会でワイン。キムタクの徹子の部屋の録画とか、スマステで'80sの洋楽・邦楽バンド特集とか見ながら。及川ミッチーというゲストの的確さ! それにしてもブルーハーツやらボーイがランクインしてなかったのは不満だわよ! 80年代というには、ちょっと90年代に足かけすぎてるってことかいな?
『おんな城主直虎』 第28話 「死の帳面」
うう、、、すばらしい(涙) 浅丘ルリ子という女優のすばらしさ、すばらしい女優にすばらしい演技をさせる脚本の凄味。おんな大名に似ているからこそ排除する。互いにたっぷり情を持ちつつ、女同士助け合うことなんかできない世界 #おんな城主直虎
しっかし、こういったスピンオフ(に見せかけた)的なエピソードの主人公が寿桂尼でサブヒロインが氏真っていうのは、これほど「おんな城主直虎」にふさわしい人選はございませんね~! それは、直虎と、こののちにクローズアップされてくる直政との相似形なんですよね。
いきなり信玄との会談という豪華さ。「久しいのう、晴信どの」と、いきなり若き日の名で呼んで機先を制す。
「そりゃまた神仏も正直なことで」
「孫娘を引き取りたい」
「本人が帰りたがらない。夫のためにも武田に尽くしたいと」
「なんという思い上がり。私が説き伏せましょう」(立ち上がる勢いで)
「いやいや、気鬱で寝てるので」
「気鬱くらいで情けない。それも含めて説き伏せましょう」
寿桂尼さま無双キターッ! 信玄入道タジタジやんw
その凄みに圧倒されて感服するのではなく捻じくれちゃう氏真のボン気質を松也がものすごくうまく演じている。「お見苦しや、太守さま。弱音を吐いた者から負けるのです」正しすぎてぐうの音も出ないんだけど、それがグサッときちゃう凡人の気持ち、わかるよなあ。先週、義信自害ニュース(方久が目撃)から白塗りのバカ殿化(但馬が目撃)までに、こういうワンクッションがあったのね、と今週判明するのも面白い。
いわゆるスポイルされたボンボンなんだけど、そこで振り切るまでヒネられない造形なのがまた、凡人臭くていいんだよね、氏真。偉大すぎるおばば様にコンプレックスを持ちつつも、おばば様のこと大好きだし、おばば様がいなくなると不安だし、おばば様と父とが築いた今川の黄金時代、その文化は彼の血肉なんだよね。
妻に焚きつけられた(←ここでの演技、さすが西原亜希やったね~!)結果が「屋敷中の楽器を集めて盛大に鳴らせ、それでおばば様を目覚めさせるのだ or 送るのだ」っていうのがさ~。それまで、それこそ使えるものは嫁でも北条でも、自分の老体までも使って奔走して今川を守ろうとする寿桂尼と対照的でさ。楽人にやらせるのはまだいいとして、せめて太守様は涙目で笙を吹いてるヒマあれば政治的に動いたほうがいいんじゃないかな?とか思っちゃうんだけど、彼は身内の情に厚い生粋の文化人なんだよね。
そこで寿桂尼が見ている夢。光り輝く今川。氏真の正室が語った通り、あまりにも美しい世界。その中をそぞろ歩く寿桂尼は、(本当は周囲が幻なのに)彼女のほうがすでにこの世の者ならぬ幽霊のようでもあり、いっぽうで、切り下げ髪とほほえみはけがれなき童女のようでもあり。
とにかく彼女は光り輝く今川を愛し、光の中にいる義元と龍王丸を心から愛した(そうだ、氏真は、もうひとりの “龍”なんだね)。でもその光が輝かしければ輝かしいほど、できる影も濃いだろうね、と。あまたの影あってのこの光なんだよね、という、それを思い出させる「そなた、あれをどう思う? 直親のことじゃ」ですよ・・・・!
直虎との対面。寿桂尼は直虎の成長に目を細め、直虎は恐縮して寿桂尼の慈悲に感謝し、いい雰囲気になったところでの「そなた、あれをどう思う?」。尼頭巾で顔の表情が見えないアングルからの映し方で、地の底から響いてくるような声音にゾッとした。直虎もハッと衝撃を受け、それでも同様は最小限におさめ、言う。「家を守るのは綺麗ごとだけではない」。
その答えを聞いて、寿桂尼が感極まったような表情をするのが、この時点では「ほかならぬ直虎がこう言うのがうれしいのだな」と思う。おとわの時代からを回想し「そなたが娘であればと思っていた」、こういうのって大河の王道なんですよね。主人公が、身内でも何でもない、しかも格上の相手から「そなたが息子/娘なら」と惜しまれる。そして「私亡きあとも今川を頼みます」今生の別れにそんなふうに言い残すのも、時代劇の王道。ここぞというときには王道でくるのね、王道ってやっぱり泣けるもんね・・・・
・・・・なんて思いつつ、劇中の来し方を振り返りつつ浅丘ルリ子の名演に涙をぬぐっていましたら、なんだかガラの悪い次の客が、ってとこで嫌な予感、そういえばわざわざ書きつけについて直虎に「何を?」って言わせてたな、そういえば今日のサブタイトル「死の帳面」だったな、え、え、えええ、次の客、謀殺されちゃった、えええ、えええええっ、わーーー直虎に禍々しい朱のバッテンが!!!!!
「我に似たおなごは、老いた主家に義理立てなどせぬ」
戦国の世のマイノリティ、おんな城主。寿桂尼と直虎、2人にしかわからない世界があり、間違いなく響き合うものがある。でも、だからこそ、寿桂尼は直虎を排除しなければならないのだ。自分を初めて理解してくれたおなごを、理解してくれたがゆえに、彼女がもっとも大事に思う家ごと滅ぼさなければならない。その悲しみと、悲しみを凌駕する悲壮な決意、それが、直虎の返答を聞いて感極まった表情と涙の理由だったのだ。「そなたが娘であれば」も本心なんだよね。直虎が娘ならば、滅ぼさずに済んだのに・・・・という悲しみ。
光り輝く今川の庭で、ざんばら頭、泥だらけ傷だらけになりながら毬を追い続けた少女。それが、井伊にとって最悪な形の報いとして返ってくるこれからなのだなあ・・・。いやぁ、残酷。
光にあふれる今川の幻の中をそぞろ歩く寿桂尼さまに涙が出た。あのシーンがあったから、彼女が直虎に思いをかけつつもデスノートに×をつけるのがよくわかる。#おんな城主直虎
すごすぎた。まさに森下脚本の真骨頂だった・・・(このフレーズ、すでに今作で何度も使ってる気がするけど)。
浅丘ルリ子がすばらしい。「すいか」の20年後にこんな浅丘ルリ子が見られたことを人生の喜びに思う。震える声が、深く刻まれた手の甲の皺が、目元の厚化粧すら寿桂尼の孤高で波乱の人生を伝え、それでいて、表情の純度の高さが、寿桂尼の心の奥のとても人間らしい部分を伝える。昏睡状態から覚めた時の「太守様、つらい思いをさせましたね」になんと真情がこもっていたことか。それにしても、何度昏睡状態からカムバックすることか。去年の草笛光子おばば様もびっくりだよw(とりさん@真田丸)
この、寿桂尼さまの粘り強すぎる土俵際の様子は、いずれ直虎の晩年で形を変えてリフレインされるのであろーかね。
で、そんな今川を、井伊のほうも裏切ろうとしているのだよね。それも言い出しっぺは政次。この流れ、直親のときとまっったく同じやんかーーーーー!! あのときと同じく徳川まで絡んできて、もう、イヤな予感しかしません!!!!!
五月の三 / おげんさん
昼は庭で焼きそば。野菜を刻むのも炒めて作るのも夫と義父。
夕方、辞去。夜ごはんはぶりのあら煮(もらった)、コロッケ、かぼちゃサラダ、トマトなど。昨日の『おげんさんといっしょ』を見る。おもしろかったー! もちろん隆子やねずみさん始め周囲のサポートもあるとはいえ、初めての冠番組、しかも生放送をあの自然体でやりおおせるの、星野源の才能とキャリアだなーと感じ入ったわ。ゆるっとしてるけどグダグダしてなくて、ライブは楽しく、充希ちゃんのことも無理にいじらず持ち上げず。ま、2人共を好きな視聴者としちゃ、もうちょっと絡んでほしかった気もするけどw これもカマキリ先生同様、第2弾あるね。
五月の二
子どもたちはおもちゃのハウスに入ったり、トランポリンで跳んだり、気ままに遊んでる。サクが鳥に凝ってることを知って、友だちがタモリ倶楽部の「鳥の鳴き声の聞きなし」回を録画しといてくれた。優しい~! あと、レキシのライブビデオも見る。すげー楽しく飲んでる間にただごとでない雨雲・雷雲が近づいてきて猛威をふるう。「降水確率10%だぞ!」と、布団を干してきた夫が嘆く。うん、さすがどんたくとしか言えないよねw 福岡では5月3・4日は外干し気を付けましょう(今日の教訓)夜はマットレスの上で寝ました。いいよいいよ、楽しい1日でした。
みんなで『ひよっこ』を見ながら昼ごはん食べて、午後から夫の実家へ。鯉のぼりの飾りは2つをじぃじ・ばぁばにプレゼント。少し早いけど、母の日のお花のアレンジメントもお義母さんに。
今日の最初の話題はやはり先日のテレビ出演のことで、楽しまくってる嫁としてはちょっと「えへへ・・・すみません」て感じだったけど、まぁ昨日きょう結婚したわけじゃないからだいたいわかってるってもんで、家族が仲良くやっているのはとてもいいことだ、と喜んでもらえた。特に先日会った義父のお姉さんが喜んでくれていた模様。ていうか、そんな夫の実家では今日も義父の手料理が食卓にずらりと並ぶわけで、「イヤイヤやらせてるわけじゃないのよ、お父さんは料理が好きだし早いから!」と念を押すお義母さんは私の一番の理解者といったところでしょうかw サク、よく食べ、一人前に夜更かし。まあGWだしね、とテキトーな私たち。
5歳児って何さ、大人になれよ
facebook見てたら、「男はみんな5歳児である」と思って生きれば、多くの問題は解決する」って記事へのリンクが流れてきた。
タイトルを見て、「男は5歳児だから、家事育児を手伝わず自分の好きなことばっかりしててもしょうがない…」 ぐらいの内容は想像したけど、そんなもんじゃなかった!
・「男は女子力発電を必要としてるから、あなたが発電所になってあげないと、お金を払ってでもよその発電所に行く」とか、
・「5歳児を10歳、15歳と育てようと思ってはダメ。男は永遠に5歳児」とか、
・「そう思えない、ではなく、そう思う心をあなたが育みましょう」とか、
もう目を覆うような、めまいがしてくるような内容だったんです・・・。
◆以下、facebookの投稿コピペ)
ちょっと待って、としか言いようがない。
こういう言説は、この記事に限らず昔から多いけど。「夫ではなく我が家の長男だと思ってる」とかさ。
5歳児の部分があってもいい。好奇心旺盛とか。エネルギッシュとか。
私にだって永遠の14才女子の部分はあるよ。最近はNHKドラマ『みをつくし料理帖』の森山未來にキャーキャー言うたり。
(14歳が時代劇見るのかって? もちろん私は小学校時代から見てたともさ!)
でもさ、夫を5歳児と思って一緒に暮らすなんて、そんなこと薦めちゃいけない。
5歳児とセックスなんかできるかーい。
そして夫は子育ての最大の相棒であり、人生の伴走者。
5歳児に子育てができるか?
年を重ねていく私の精神的パートナーになれるか? 無理だよね。
女性が、たとえばヤンキーみたいなカッコして、テキトーな食べ物を与えてしつけもせずに子育てしていたら、子どもほったからしで居酒屋で飲んだりしてたら、
「子どもが子どもを産んで育ててる」って非難されるというのに。
なぜ、女性という性に生まれただけで、
結婚して子どもを持ったときに、
夫5歳児の子育てまで自分ひとりでやらなければならないの?
しかも、その夫5歳児は、家の外に出たらいっちょまえに
「稼いで家族を食わしてる立派な社会人です」
みたいな顔してるんやない?
一緒に育て、一緒に悩み一緒に楽しむために結婚するんではないの?
男は、仕事が大変だから、心に少年性を持っているから、
ままならない子育てと終わらない家事で疲れた女性に世話をかけてもいいのか?
女だけが大人にならなければならないのか?
そんな諦めや、許容を子どもに教えるの?
世の中には、5歳児でしかない夫さんが少なくないことも知っている。
現実問題、「しょうがない、5歳だから」とでも思わないと、
とてもじゃないけど毎日やっていけない妻がたくさんいるだろう。
本当に胸が痛む。
だけど・・・だからこそ、周囲の私たちは、私たちの社会は、
5歳児の夫を許しちゃいけないんじゃないだろうか?
大人になれよ、妻の子どもじゃなくてパートナーになれよ、と
促さなきゃいけないんじゃないだろうか?
5歳児の夫を、子どもたちの世代に再生産しないためにも。
小島慶子さんがtwitterでリンクを貼っていた。
https://www.respect.gov.au/what-can-i-do/stop-the-excuses/
オーストラリア政府のHP。
大人が口にする「男は永遠に男の子だもの」は子どもたちにどんな思い込みを与えるか。
それは結果としてDVやモラハラを正当化する言い訳になる、とハッキリ書いている。
苦しんでいる女性に対して、「しょうがないよ、5歳児だから」というのはやめよう。そんな考えがまかり通る世の中をやめよう。
男をうまく転がす女子力が低いからとかじゃなくて、
「あなたは悪くない、あなたの苦しみは本来、解消されるべきものだ」と言おう。
五月の一
●5月某日: 歓迎遠足のサク弁、おにぎり2個(塩&鮭)、ハンバーグ、卵焼き、糸こんのおかか和え、きゅうり。「もう幼稚園じゃないから冷凍食品入れてもいいんだ~!」って前日に気づいて「パアァァッ.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。」てなったけど、結局入れなかった。小学校初めての弁当なので、緊張するかもなーと小さめにしたしね。
今日は、学校のそばまでついていって、門のところで登校してくる子どもたちを見てたんだけど、当たり前だけど本当にいろんな子がいる。勉強になった。みんながんば! で、友だちのお母さんと話し込んで9時に帰宅(家を出たのは7時20分)。今日のto doに励んでたら昼ごはん食べるの2時近くになった。
サク、2時半過ぎに帰ってきた。「すげーたのしかったー! めっちゃあるいたぞ。でんしゃとかバスとか、いっさい のらんかった!」と、“いっさい” をことさら強調して言うのがおかしい。行った先では「岩鬼」という遊びが楽しかったそうで、外で思いきり体を動かせたと聞くと「ほんとによかったねー!」と思う1年生母の私である。
夜ごはんは、焼きちゃんぽん、トマトやきゅうり。8時半ごろ、夫が残業から帰ってくると、「ねない!」とがんばるサク。明日から5連休だし無敵感がある。木村拓哉と杉咲花の食わず嫌い。そして俳優祭での勘九郎の「恋ダンス六方」をめちゃくちゃ気に入ったサクが5回くらい連続でリピートする。
卯月の二十三 / かじシェア、だいなしだな(笑)
ええ、先日、「家事シェアのすすめ」という特集で、家族でいい感じに家事をシェアしている一例として紹介されたわけでして・・・。だからって、6才って、こんなにやらしいツッコミの仕方するか?! 思わず私もウケちゃって笑い出したんで、ますますツボに嵌って爆笑し続ける息子に「笑いごとじゃない。そもそも、君があと10分早く起きればこんなにバタバタせんでいいとよ」と言うと「へーい。わかりやしたー(笑笑)」と、すごくわかってなさそうな返事が(笑)。
さて、夫が作ったタケノコ料理とかデパ地下デリとか持ってちひろちゃんちへ~。
帰宅後、サクを外科に。今日で治療終了。帰りに、明日の遠足のお菓子を買う。216円までなんだけど、160円分まで選んだところで「もうこれでいいや」と終了するサク。家にあったちっこいドーナッツ1個つけてやった。夜ごはんは、ひじきたっぷりのドライカレー風。トマトなど。
卯月の二十二 / 春のもちつき大会
●4月某日: 那珂川の山手のほうに住む幼稚園仲間のママが、家で餅つき大会を企画してくれた。杵やら臼やら釜戸やら、最近もらいうけたというのだ。夫に送ってもらって車で40分(この距離を毎日、幼稚園に通っていたのだよね…といつ来ても実感する)、うちらの到着に気づいた子どもたちが窓やら庭やらから「さくたろー! テレビでとったろー!!」と口々に。
もう庭の釜戸に火を焚きせいろでもち米を蒸している状態で、毎年、幼稚園でガチもちつき大会を経験している猛者たちだけあって、仕事はしごくスムーズに進んだ。とはいえ餅を搗くのは大仕事ではある。10数家族が来ていたが大人の男性は4人しかいなかったのでお母さんたちも交代で搗いた。楽しい♪ 杵を落としていい音がしたときはうれしい。そして持ち上げる時に力がいるんだよね。おかげでいい感じに筋肉痛になった^^
餅は、丸餅のほか、あんころ餅、きな粉、大根おろし&海苔という、やはり幼稚園のもちつきと同じメニューの他、スペシャルで苺大福とよもぎ餅。よもぎは、子どもたちがその辺で大量に摘んできたものを蒸してすりつぶしたもの。すりつぶし状態で食べたけど、ものっすごく濃厚でピュア。エクストラバージンよもぎだった。
丸めたそばから子どもたちも食べる、食べる。お腹がふくれると遊びに行く。あとから数えてみたら子どもは大きい子から乳飲み子まで、全部で30人以上いた! 餅の手伝いをする子のほか、まだ水の入っていない田んぼで遊んだり、坂道をおもちゃの車で駆け下りたり、水路で蛙をとりまくったり(最終的に、水槽に50匹はいるっていう阿鼻叫喚の図になっていた)、赤ちゃんをあやしまくったり、「遊ぶより食べる方が大事!」と豪語してバーベキューの網から離れない子がいたり、お腹がすいたら戻ってきて無言でがっついてたり、子どもたちは気ままに過ごしている。
この気ままさがいいよなあ、と思いながら、釜戸の鍋で煮た豚汁と餅とを半永久的にリピートしながらおしゃべり。入学して半月、特に第1子の母は喋りたい(吐き出したい)ことが溜まりに溜まってますよ。上の子を持つお母さんからの訓示「これがニッポンの小学校です。」へ、へーい・・・。
大盛況な庭の様子を見て、近所の人が山で掘ったタケノコを大量に持ってきてくれた。その場で唯一のタケノコ経験者である私が皮のむき方、茹で方など伝授。役に立ったw
『おんな城主直虎』 第27話 「気賀を我が手に」
2人で囲碁しまくりだし。「たいしたものだ」って。いいんですか、但馬? そんなんでいいんですかーーーーー!!
「軍師方久」面白かった。義信事件すら、今回は井伊に味方してくれたかのよう。自暴自棄になった氏真が、領内の政を己でコントロールしたい意欲も失ってるから。まぁ、関口様も味方につけてたし、通常状態の氏真でも突破できた可能性は高いけどね・・・。
関口様に香水嗅がせて味方につけるのは面白かったね。匂いって本能を刺激したり幻惑したりするもので、ぼやかしてあったけどドラッグ的な作用もあったのかなと。そういう手を思いついて躊躇なく使えるのが、商人出身である方久の強みなんだよね。
一方で、大沢相手には小手先の技を使わず真っ向から理屈をぶつける。大沢様の、大男で顔面力があって、言葉少なにでーんと座ってるだけで何だか迫力があるところが、若い女性でせかせかして落ち着きのない直虎と何だか対照的だった。
気賀にまつわる・・・というか、龍雲丸との一連のエピソードは、コミットメントが1つのテーマになっていて、それは脚本の森下さんがいつもブレずに描いていること。
すでに気賀の町衆とはコミュニケーションがとれていた。残るは龍雲丸である。彼は、直虎や中村屋の「もうひと押し」を必要とするのではなく、むしろ直虎が関与できそうにないという後退した状況の中で足を踏み出す。仲間にも告げずひとり、ほうぼうの城を見分して研究するという、盗人らしい実務家ぶりであるw そして彼は「ほかの誰でもなく、自分たちで城を作ろう」と言う。
子ども時代の龍雲丸かわいすぎる~。きっとまたいつか何かのドラマでお目にかかるであろう子役さん。親を失い、盗人稼業に手を染めるうちに世の中が格差によって成り立っているのを知り、拾ってくれた盗人一味も失って、その代わり自由を手に入れた。「自分ひとりで何にもとらわれず、己の心のまま生きていく」それが龍雲丸の目覚め。だから一度は、誰にも告げる前に、仲間と離れてでも、仕官を断った。直虎はそんな自由な龍雲丸をうらやんでもいた。
でも、「仲間に縛られ、町に縛られ・・・」それは、不自由ではなく、心の底からそうしたいという思いではないのか?と直虎は看破する。盗人のかしら・龍雲丸は、もとは家族や住むところを奪われた人間だった。奪われたものを取り戻すのが本当の願いだったのでは? 今、自分たちの町に自分たちの手で城を作ろという龍雲丸。彼がとらわれようとしている不自由は、彼がその思いのままに生きる証ではないのか?と。
コミットメントだよねえええええ!!
自由を愛する龍雲丸。鬼目付の仮面をかぶって孤高の道を選ぶ政次。群れない彼らの心の奥底にあるのは、ともに「本当はコミットしたい」という思いで、それがわかっているからこそ政次は、直虎が仕官を断った龍雲丸の自由を羨んだときに疑義を呈し、また今回、城を築いた龍雲丸を優しい目で見たのだろうな。
おそれずにいろんなことにコミットしてきた直虎。でもそれは、朝ドラなんかでよくある「ヒロイン特権」には見えなくて、それは今回の「尼小僧さまはいつも、俺が思いもつかないことを言う」「お互い様だ」のやりとりに象徴されていたような。
コミュニケーションとは、つまりそういうことなのだよね。別の出自や立場をもつ別の人間からは、自分とはまったくかけ離れた言葉が出てくる。それは、戸惑いや憤りや傷つけあいにつながることも多々ある。だけど、そのプロセスの先には何か新しいものがある。対話はめんどくさい、コミットメントは不自由、だけどそのすばらしさよ! 森下さんてそういうことを書き続けている作家だよね。
それにしても、政次さんの心根の優しさとか柔らかさとかがダダ漏れなのはいーんですけど、もう ”直虎の盾” としてはふわんふわんすぎて、この先、心配しかない。カタルシスの回のはずなのに、この先には、このカタルシスを上回る試練が大投入される確信しかなくてぶるぶる。
龍雲丸の、「もう逃げられませんぜ(にっかー)」は、この先なんらかの形でリフレインありそうだね。柳楽くんの、屈折してるんだけど何となく憎めない、陽性の雰囲気だした芝居いいな。「龍雲丸」という童名がぴったり。
遊びほうける氏真さん。大河ドラマでは「浮かれ踊るバカ殿」みたいな芝居って頻出だけど、こういうとき、やっぱり伝統芸能畑の人は独特の雰囲気を出してくれて、それが地上波テレビで見られるってうれしいいなーと思う。松也、どんどん好きになってるよ!!(告白)
卯月の二十一
放送大学、この4月からは『日本の近現代』を受講中。「明治維新と地域社会」という章で、10才で会津の落城を経験し、斗南でその後を過ごした柴五郎の手記が出て来て、その文章に慄然。偶然にも、「八重の桜」の録画を盤に落とす作業を最近(今ごろすぎるが)やっていて、ちょこちょこ見てるのだが、会津編って本当に救いがない…。でも、史実がああなんだから、そりゃこうなるよな、って感じ。今日も家庭訪問で少し帰りが早いので、サクの友だちが遊びに来る。
息子6歳が号泣。直接のきっかけは大暴れしながら遊んでるうちに目に当たられて痛かったことだが、その実、週末、さらには入学以来の緊張や疲れが一気に爆発した形だったような。相手は幼稚園からの仲良しなので、感情を解放しやすかったんだと思う。スッキリしたんじゃないかと思われ、よかった。
息子はほんと、最近はもうめったに泣かなくて、こないだ相当顔を怪我したときもうるうる、くらいだった。こんな号泣するのは去年の夏休み以来。泣き続けてる間、相手の子にそう言ったら「ええっ?」とびっくりしてた。「おれ、しょっちゅう泣きよる・・・」そうだよね。そんなもんよ
夜ごはんは、餃子の皮ピザ、セブンイレブンの唐揚げ、きゅうりなど。夫は飲み会だし、テキトー。餃子の皮ピザ、めっちゃ簡単でおいしい。でも、いかんせん皮が薄いのであまり腹にはたまらず、サクに「なんかもっと食べたい」と催促された。
帰宅した夫とワインを飲む。「こんなところに日本人」録画。シエラレオネに5年(エボラ熱大流行の時も!)住んでいるという68歳のシスター、すんごい。22歳で修道女になって、いろんな発展途上国に派遣されて。大学では建築を専攻していて、その技術を生かして現地で学校建設の仕事もしている。
遅いブランチを食べた後、読書をすすめようとしてしばらく読んで、くーっと1時間ほど昼寝。気持ちいい。夫とサクは大濠公園にも寄って帰ってきた。相当歩き回ったらしく、夫が疲れているw サクも「もうだめだーっ。ばたっ」とか言って倒れたものの、5分ほどしてむくっと起き上がってごそごそし始めて、マジ寝している夫にも突撃。
夜ごはんは焼肉。肉も美味しいんだけど野菜も本当に美味しくて、とくにもやしと新玉ねぎをさっと焼いたものがめちゃくちゃ美味しくていつまででも食べられる、そしてそれをアテにいつまででも飲める・・・って感じ。あと、ブリカマの塩焼きと、新玉ねぎと青じそのサラダも食べた。『ブラタモリ』で奄美の森。ルリカケスやらアマミノクロウサギやら出てくるのでサクが盛り上がる。『嵐にしやがれ』で黒柳徹子スペシャル。
昨日のMステ、矢野顕子と上原ひろみの「ラーメン食べたい」を見て息子6才が大盛り上がり。「なんだよー、ラーメンたべたいって。すげっ、つよっ。立った! これぜったいテキトーひきよるやろ!」
そして、これまでさんざん一昨年の紅白「長く短い祭」のリピート視聴してきた息子6歳、昨日のMステの椎名林檎を見て「ニセモノ!」と言い張る。うん、林檎さんは曲によってスタイリングが全然違うから……
それにしても、新曲の相葉さんのスタイリングとたたずまいのノーブルなこと! 相葉マナブやグッとスポーツも面白いし、目立った仕事のいくつかが「・・・?」って印象を抱かせるけど、ここ2,3年の相葉さんって相当な脂がのってる時期だと思う。いや、これが真価だな!!