長月の八

●9月某日: 朝イチでPTAの某委員会 → 校内で読み聞かせサークルに移動。外部講師をお迎えして学習会の後、お弁当をいただきながらの交流会。そのまま昼休みの読み聞かせ会になだれこむ。
まるで児童のように小学校で過ごすの巻。
 
帰宅後は息子のスイミング。近所のおばちゃんとして、友だちも一緒に連れていきます(といっても、それぞれ自転車ですがw)。
 
学習会の中で心に残ったこと。
「人は、自分が知っている言葉でしか思考することができない。周囲に単純な言葉しかなかったり、冷たい言葉、悪意の言葉があふれていたら、自然とそういう思考になる。子ども時代に、あたたかく豊かな言葉を届けたい」
 
ほんとにそうだよね…。
「薄っぺらにポジティブな言葉」ではなく、悲しみや怒りや嫉妬、恥ずかしさ、残酷さ…などなども含めためんどくさい心のひだや、社会の難しさ。もちろん、この世界のありとあらゆる美しさも。そういうすべてを表現できるのが、ほんとうの「豊かな言葉」なんだと思う。
 
別に、広辞苑のようにぶ厚い語彙が必要なわけじゃない。ブルーハーツの詞のように、簡明に本質を突く言葉もある。絵や音のように、言葉さえいらない表現もある。
ただ、どこかであたたかく豊かな何かに触れなければ、生まれないんだと思う。
そして、自分の周囲にある言葉が思考回路に大きく影響するのは、大人も同じだよね。
 
うちの小学校では、3年生の総合学習で「アンニョンハセヨ韓国」という勉強がある。(市内、どこもそうですか?)
お昼を食べてるとき、あるお母さんが「子どもたちには、ぜひ(韓国の子と)交流してほしいよね。こんなときだからこそ」と言った。昨今の、最悪~な日韓関係をふまえて。
読み聞かせの仲間(大先輩ですが)からそんな言葉が出てくることに、ホッとしました。