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『この国のはじまりについて』 司馬遼太郎対話選集1

歴史

自分用メモ。以前に読んだ時の感想はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/emitemit/20110802#1312285820
●古代出雲について。出雲は神話における「根の国」に縁深い土地。

●神話は、「高天原(神々が住む)」と「葦原の中つ国(人間が住む)」と「根の国」の三段階。根の国は地中の国、黄泉の国という考え方もあるが、朝鮮ではないかとも考えられる。

●古代、朝鮮へ行く道(海洋上)は、北九州の筑紫の道と、越前の敦賀・若狭の小浜からの日本海の道がいわれるが、出雲からの真ん中の道が一番近いように、少なくとも大和では考えられていたのではないか。根の国への道という特別な道のイメージがあったと考えると、出雲にスサノオ大国主命などの伝承が多く存在しているのにも合点がいく。

●日本列島には東と西、表と裏の両方の世界がある。何がど真ん中かというと、琵琶湖。琵琶湖を中心に東西、表裏が割れるし、それらをつなぐのも琵琶湖。日本のヘソ。

●日本の文化は、西は美濃、尾張まで。東は三河から向こう。表裏でも同じ状況で、出雲は裏側の西の中心で、越前から越の国に入ると東。

●琵琶湖がもっているふたつの力。
1;古代から水運が発達した。そのため、近代近く、秀吉が挑戦を侵略するときには、琵琶湖の船頭を集めてきて、海を渡る。相当な技術があったからだ。
2;都(京)を押さえるために必須。信長はそのために琵琶湖の水軍をつくり、長浜あたりから快速船に乗って、大津まで行く。京都への道がずいぶん短縮される。

●封建時代の領主として君臨していた山門(比叡山延暦寺)。信長がなぜ山門を倒さなければならないのかといえば、近江を支配するため。そのため、山門の目の前に安土城も作った。「近江を制するものは天下を制す。なぜならそこが日本のど真ん中だから。

●難波の港のそばにあった四天王寺は一種の迎賓館。昔はそのあたりまで海がきていて、唐の船が来たら、四天王寺が見えるようにできていた。唐人は「これはえらい文化国に来た」という印象をもつ。古墳も見える。ちゃんと海岸線に平行してつくっている。

前方後円墳は対外関係を考えた形。武器の盾を伏せた形で、不戦の誓い。これは、卑屈な態度ではなく、日本の帝王の陵墓だから大きく、しかも海岸線に並行して堂々と作ったうえで、「両者拮抗しているけど、われわれは穏やかになって盾を伏せる」ということ。

●逆に戦争というのは、「盾を交える=盾交う=戦う」。つまり、「平和」という漢語を用いなくても、日本には、和語として「盾伏せ」という平和を意味する言葉があった。

●古代吉備について。吉備の豊かさ、軍事的な力の基礎は、塩と鉄。鉄は相当早く、弥生時代には存在したのではないか。その利用は、まず農耕。木製の耕具に鉄器をはめ込む。備前平野で沼地を水はけして美田にする=排水溝をつくるには、木器だけでは不可能なはず。

●河内、大和の政権も鉄の生産力はもっているが、吉備にはかなわない。大和には鉄が出ないから、鉄を求めるためには近江が必要だった。近江と吉備は、”古代日本のひとつの楕円形の焦点”みたいなもの。

●後世、一番鋭利な兵器をつくるには、雲(出雲)、伯(伯耆)、因(いなば)の三国の境あたりの山地が最良だった。まあ、砂鉄はどこにでもあるから、問題は樹木があるところ。ひと山を木炭にして何トンかの砂鉄をつくるということ。岡山北部には雨が大量に降り、砂鉄はあるわ、木炭に不自由しないわで、吉備文明の基礎になった。

●吉備人には非常に聡明という印象がある。大きな文明をもっていたから、知的生産に向く人、数多くの宗教家や学者が出た。吉備真備は古代史最大の秀才官僚。仕事を十分にやって、政治家として天寿を全うしている。しかも留学生として入唐しているから、世界知識があって、菅原道真のように日本だけしか知らない人ではなく、道真のようなとんちんかんなことはしない(エミ註:ぐぐぐ…太宰府天満宮を擁する福岡県人としては耳の痛い話…)

●古代末から中世初頭にかけて、吉備中心に西日本一帯で競って荘園が営まれた。ここに目を付けたのが平家。平家没官領はすべて西にあり、特に岡山県に多い。古代最後の花が咲いたといえる。

(つづく)