幕末ごろの中級・下級武士の住まい・覚書

幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む

幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む

『幕末下級武士の絵日記』(大岡敏昭)より 
●武士の住まいは個人の持ち家ではなく藩からの拝領。かりやだが家賃は払わない。間取りを指図といい、藩の作事方とお抱えの大工が作る。身分ごとに住まいの規模や部屋数、門の大きさなどが決められている。増改築や立替の際は作事方に届を出し、許可がおりると、木材など建築資材の一部が支給される。

●いずれの包囲の宅地入口であっても、道側に接客空間の座敷を配し、その反対側の奥に家族生活空間の茶の間、居間などをもうける住宅の正面を道側に向け、その方向に広く開口し、道と住まいの関係は多少の門と塀があっても開放的なつくり。表ー裏という古来からの考え方にもどづいている。表は公的、ハレ。裏は私的、ケ。

●住まいの入り口は、中級武士の住まいでは客のための式台または上がり框式の土間玄関。それは特別の日にしか使わず、ふだんの客は庭路通って濡れ縁から座敷に至ることが多い。家族の入り口は台所へとつながる土間。下級武士では客と家族が共用する土間入口が多かった。

●濡れ縁はクラスを問わず座敷の前と茶の間などの部屋の前に必ず設けられていた。座敷前の濡れ縁は客のふだんの入り口であり、そこに腰かけて語らったりする。酒宴では田楽を焼いたりする。加増にとっても庭と上がり下がりのしやすい踏み段であり、便所にいたる廊下でもあり、多機能。

●住まいの通風と換気は高温多湿になる日本の夏にとって大事。風通しのためには広く開けられる障子と襖は最適の建具。引違の建具は古代の日本人が創造したものであり、世界の住まいに礼をみない。あっても建具の上部に滑車を付けて動かす方式。日本のように敷居と鴨居に小さな溝を掘り、建具を簡単に取り外しできる方式は、細かい技を得意とした日本独自のもの。

●古来、日本人はあまり日の当たらない北の方角も好んだ。北の窓を開けると、そこから見える草花はこちらを向いている。その静寂さも好んだ。茶室もそうである。窓の障子に映る明るさと暗さの微妙な変化に時の移り変わりを楽しんだ。すべての方位を尊重し、大事にしていた。

●うす暗いところにもいろいろな神が住んでいた。奥深い座敷には座敷童、屋根裏には家の守りかみ、井戸には水神、かまどには荒神。うす暗い納戸の中には産土神。明るいところ暗いところと分け隔てなく、至るところに八百万の神を見出す多神教。住まいの寿命も長かった。

●中級武士は40坪前後、6−7室。下級武士は30坪前後、5−6室。