『大奥』第5巻(よしながふみ)戦慄の男女逆転ロマン大河

大奥 第5巻 (ジェッツコミックス)

大奥 第5巻 (ジェッツコミックス)

毎巻、戦慄。体に震えが走るよ。

まったく、よしながふみという漫画家には恐れ入るしかない。本年の手塚治虫賞 漫画大賞を受賞したというのも大納得。ちなみに、映画化も決まってますね。キャストの発表が待たれる!!!

男女逆転の江戸大奥物語。よって、歴代将軍は女性、柳沢吉保や間部詮房といった歴史に名を残す側用人たちも女性、一方、御台所や側室、お中臈といった大奥に仕えるものたちはみな、この作中では男子なのである。

こんなトンデモ設定なのに、なんたる格調高い大河ロマンであることか! 何なら、『天地人』と差し替えて、これをドラマ化して、日曜20時のNHKで1年間にわたって放送してもらったって異議ないよ。

だいたい、いかにして男女逆転の歴史になるに至ったか、という経緯がすごい。ここを細やかに描くことによって、田畑永代売買禁止令や、生類憐れみの令、赤穂浪士討ち入りなどの歴史上の事件が作中で描かれる際にも、そのドラマ性が際立ち、有無を言わせぬ説得力が生まれる。

事件だけではない。3代家光、4代家綱、5代綱吉ら歴代将軍をはじめ、お万の方、桂昌院、右衛門佐といった周囲の人々までもが、性を異にしながらも史実どおりの人生を歩んでいくのであるが、そこに至るまでに各人が発する言葉や行動原理は、まるで必然としかとらえようがない。

それは、作者が登場人物ひとりひとりに対して、(史実とは逆転した)性であるがゆえ、またその身分や立場であるがゆえの、あまりにも奥深い悲しみを描いているからだ。

「赤面疱瘡」なる謎の死病が日本全国の男子を襲い、将軍家から大名家、町人や農民に至るまで、男子の人口が激減してしまい、男子はたとえ生まれても生存率が著しく低いという設定である。男は常に死に至る病の発病に怯え、女には、病弱な質の男にかわって、非力でありながら、家長の相続はもとより政治や商工業、農作業に至るまで社会の重責を担う苦しみがある。

また、男女比バランスの崩れた世にあっては、一夫一妻制など望めるはずもなく、子を作り家を存続させていくために、女は数少ない男を金で買うしかなく、男は一夜の営みの報酬によって家族を養うしかない。

そして、中心舞台たる大奥においては、女将軍が頂点として君臨し、千人の男がそこに仕えているのだが、男女が逆転したからといって、そこはやはり、さながら牢獄。
この巻で、5代将軍綱吉(女ね。)は、わが子である5歳の松姫(この世界では世継ぎも姫だ)を亡くして嘆き悲しむのだが、その直後にも

もうよい。白粉を塗りなおしてくれ。また男と子を作らねばならぬ。

と、慟哭をおさめて決意しなければならず、数々の男を侍らせるのだが、次の子を授かることはない。若きころ英明であった綱吉は次第に惑乱し、男ばかりの大奥ゆえにホモセクシャルの関係になったカップルを寝所に呼び寄せて

そなたたち、私の前で睦み合ってみよ。まぐわえ

と命じるような暗君となっていくのだが、それを大奥総取締(男ね。)に咎められると、

どこが悪いのじゃ! 私は毎夜毎夜、添い寝の者にそうして己の営みを聞かれてきたのだぞ!

と逆上する。(将軍様の寝所に、複数の見張り役がいて一部始終を聞いているようなディテールも、歴史に忠実なのだ)

何が将軍だ! 若い男たちを悦ばせるために、私がどれほどのことを床の中で覚えてきたかわかるか?!
将軍というのはな、岡場所で体を売るような男たちより、もっともっと卑しい女のことじゃ

それまで数多の大奥の男たちを弄んできた綱吉がこう泣き叫ぶとき、この世界の異様さ、その歪みに、私たちはゾッとせざるを得ない。たとえ千人の男たちが控えていようとも、将軍はただ一人。彼女が女であれば、世継ぎを産むことができるのは彼女だけということなのだ。

それにしても、登場人物にここまで濃いセリフを吐かせても、読者が心から寄り添うことのできるようなキャラクター付けがすごい。しかも、家光、家綱、綱吉という3人の将軍とその周囲の人物たちについて、わずか4冊で描くスピーディーさだ。それぞれの将軍の在位期間と、割かれるページ数が比例しているところなども細かい。

また、作者はかなり綿密なプロットを用意しており、2巻で小坊主として登場した「玉栄」は、家光の側室「お玉の方」となり、その死後、5代将軍綱吉の生父「桂昌院」として大奥に権力をもつことになる。その彼がやがて生類憐れみの令という悪政を敷く元凶となる伏線が、小坊主「玉栄」時代に張られていたことがわかる場面なども、鳥肌ものだ。

本巻の後半、ついに子を授からぬまま、綱吉は閉経を迎える(このシーンもすごかった)。老いた綱吉は、のちに8代将軍となる、このときはまだ幼い吉宗と生涯で一度きりの対面をする。

この作品は1巻で、吉宗が将軍職に就任するあたりから始まった。吉宗が新将軍として、当時の鎖国の世で唯一国交のあったオランダ遣使と面会したことから(外国には将軍が女であることは伏せられている)、「この国はなぜ女が男名を名乗っているのだろう・・・?」と疑問をもつところから、3代家光の治世へと時代が遡って、今、5代綱吉まで描かれてきているのである。

となると、いずれ吉宗の時代まで追いつくのは明らかで、歴史上でも名君として名を残すこの将軍が、おそらく男女逆転劇の歴史になんらかの決着をつけるのだろう。

今にして思えば、作中で唯一その「悲しみ」が描かれていないのが彼女である。紀州徳川家から、有能で合理的な将軍として颯爽と1巻に登場し、またこの5巻の終わりでは時の天下人にも臆しない豪胆な少女として描かれた吉宗が、将軍となったのち、どのような壁にあたり、それを突破していくのか。あるいは、彼女ですら、運命に抗うことができずに終わるのか。(きっとその辺には、吉宗の世継ぎ・生来虚弱で脳性まひを患っていたともいう家重が関係してくるだろう。)

まさに、大胆不敵かつ周到綿密なよしながふみの筆力よ。遅ればせながら、絵もすばらしいです! 表表紙は黒地に浮かぶカラー人物画、裏表紙は白地に徳川の葵の御紋という毎巻のデザインといい、作中も、黒と白の対比をくっきり効果的に用いている。時代劇言葉や歴史の説明など、どうしても吹き出しの中に字が多くなる分、コマ割を大きくとっているのも読みにくさを廃するための工夫だろう。登場人物はみなさんほんとに美しく、怒った顔や泣き顔で読者の心を揺さぶり、直線と曲線の使い分けで、髪型や着物をパリッと、同時にしなやかに見せて時代劇らしい格調高さをあらわしている。

よしながふみは現在、同時に『きのう何食べた?』という同性愛漫画を「週刊モーニング」に連載してて(がんばるなー)、『Giant Killing』のついでにそれもパラパラ立ち読みしてるんだけど、それと比べると、線の使い方やコマ割もかなり違う。どちらもすごい仕事っぷりで、おそるべき才能というか実力です。

・・・そういえば、この巻では、綱吉の側用人として、柳沢吉保(女)もかなりフューチャーされてるんだけど、老年の綱吉と吉保といえば、染子という人を巡っての愛憎物語が歴史上でも有名だ。このエピソードは次巻に出てくるのかな。もう割愛なのかしら。よしながふみがこの題材をどう取り扱うか、ぜひ見たいのだが。