十連休に思う
(2019.4.29wrote)
連休は今後もそれなりに楽しむ予定ですが、それはそれとして、十連休には疑問あり。
私の観測範囲では、十日間まるまる仕事がお休みになる人は半分くらいでしょうか。
会社のカレンダー上は十連休のうちの夫も、1日は自主的に出社して仕事するそうです(でないと回らなくなるから)。
仕事がどうあれ、学校や園は休みだから子どもの手当はせないかんし。病院が休みになるのも不安です。
出かければ人が多い、お金がかかる。
みんなでお金を使って経済を回そう、という目的もあるんでしょうが、庶民の財布は打ち出の小槌ではないので…💦
かといって子どもとずーーーっと家の中にいるのも大変。
時給で働く人は十連休になって収入が減る人、逆に客商売で殺人的なシフトになる人もいる。
そもそも「多様性ある働き方を」の一点張りで働き方改革法案を通した政府が、閣議決定で「一斉に休もう(客商売は頑張ってね)」と上から決める十連休を作るのは矛盾ではないのか? と思ったり。
改元の発表後、内閣支持率がぐんと上がったのも本当に悲しい。なぜそうなる?!😭
発表当日、改元について首相が会見し、夜にはNHKにも出演。
「令和おじさん」含め、彼らには国会答弁や普段の会見、弱き人々への向き合い方にも同じくらい一生懸命になってほしいものだけど。
昭和から平成の改元時は、全国一斉の自粛ムードだった。
当時小学生だった私は、「一生に何度かしかない出来事」にある種の興奮を覚えつつ、テレビがそれ一色になって好きな番組もすべて消えたことに泣いていました(30年前からテレビっ子😆)
国家の一大事となれば、国民の趣味嗜好など踏みつぶされるわけですよね。
とはいえ庶民はしたたかなもので、レンタルビデオショップに走ったりもしていましたね(若い人へ:ハードディスク録画などできない時代です)。
今回は、全国一斉のお祭りムード。
今の天皇ご夫妻の報道、新しい天皇ご夫妻の報道、
「平成最後の●●」「令和最初の●●」などの冠詞がメディアから街角にまであふれている。
国家の一大事だから…?
おめでたい話題だから…?
国家ってなんだろう?
このフィーバーの影で、十連休が大変な子育て中のお母さん、病院に行けず苦しい人、収入減に直結する人、働きすぎに陥る人・・・・ひとりひとりが主権者なのが民主主義国家のはずだが。
むろん、令和になったからって、被災地の問題、原発の問題、統計データ不正の問題、公文書改ざんの問題、辺野古埋め立ての問題、外国人労働者の問題、墜落したF35の問題(パイロットは結局見つかってないよね?)・・・・・何ひとつ解決するわけじゃない。
古来、日本では「人心を一新するため」改元をしていました。天災があったり、戦乱があったりしたときなど。
日本に限らず、人類の歴史上、暦を操るのは権力の象徴です。
そういう権力の都合で個人が犠牲になることを許さないために、先人たちは憲法を作り議会を作り、すべての人が投票権を持ち、メディアが権力を監視するようになったはずですが。
明後日からですか? 時代が変わるというならば、それらの機能が衰えても、自由な意見があふれる世の中になるといいなと思います。
21世紀は多様性の時代(のはず)。
「新しい時代ばんざーい!」
という喝采と同じくらい、
「新しい時代だの言うとる場合じゃなかろーが!」
という意見があってもいいと思うのよね。