『飛ぶ教室』 エーリヒ・ケストナー

名作なので今さらおすすめするまでもないかもしれないけど好きすぎるので~! 

ドイツ版、『君たちはどう生きるか』といってもいいかと。誰かマンガ化したらどうかな。

ギムナジウム」といわれる、日本でいえば中学生前後の男の子たちが通う寄宿学校。
同じ作者の『エーミールと探偵たち』の感想にも書いたけど、この年代の子が主人公である小説に、私が求めるものがすべてつまっているといっても過言ではない! 

一人ひとりが生き生きと描かれている。それは、裏を返せば一人ひとりの痛みがしっかりと描かれているということでもある。

作者いわく、「子どもの涙がおとなの涙よりちいさいなんてことはない」と。
「子どものことを やたら幸せでおめでたい生き物だと思うのは大人の思い込み。生きることのきびしさは、お金を稼ぐようになって始まるのではない。人生ときたら、まったくイヤになるほどでっかいグローブをはめているからね!」 

本当にそのとおりだと思う。この子たちの親に近い年齢の私は、読みながら何度も涙した。

救いは、子どもたちの生命力と、彼らの痛みに寄り添う大人たちの存在だ。子どもらに寄り添う大人たちもまた、かつて痛みを抱える子どもだったのだ。重層的なエピソードを通じて、多様性と正義感、倫理観を感じさせる。物語が優れているのは、道徳の授業のように教条的にならず、子どもを楽しませることができるところ。

冒頭、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』と並べて書いたのは、両作が同じ時代背景で書かれたからだ。
『君たちは』…は1937年、軍のファシズムが拡大し、挙国一致の戦争へなだれこむ日本の世相の中で書かれた。この『飛ぶ教室』は1933年、ナチスがドイツの政権を握る中で書かれた。

ケストナーは、この小説の作中、クロイツカム先生の言葉を借りて、

「平和をみだすことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」

と書いている。
そして「まえがき」の中の一節。

「ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。
 かしこさを ともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは、屁のようなものなんだよ! 
世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらでもあった。これはただしいことではなかった。
勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるだろう。」

ケストナーはあまりに人気作家で、ナチスも迫害できないほどだったらしい。けれど、こういう物語ですら、第二次大戦にまつわる悲惨な歴史を止められなかったことを思うと慄然とする。

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が、今この時代に再びベストセラーになったのもうれしいけれど、私は読むたびに泣いてしまう。東京に住む主人公コペルくんたちは、あの物語の数年後、徴兵されるか、空襲されるか、親と離れ離れで疎開するか…いずれにせよ、何らかの形であの戦争の犠牲になった世代なのだ。
戦争に限らず、歴史のうねりのような大きな流れを止めるのってとても難しいのだと思う。

●『エーミールと探偵たち』 

●『君たちはどう生きるか

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※息子、『エーミール』は小2の夏休みに「めちゃくちゃ面白い!」と。この『飛ぶ教室』は冬休みに最初の1,2章を読んでみたけどピンとこなかったようで、次の夏休みにでもまた読み聞かせてみようと思う。