4/22付 毎日新聞 柳田邦男 「被害者に無慈悲な線引き主義」
4/22付 毎日 #新聞。柳田邦男「被害者に無慈悲な線引き主義」よりメモ。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日
「国が公害・薬害・労働災害などの被害者に対し、補償や支援の制度設計をする時に問題になるのは、被害者と認定する基準の決め方、つまり「線引き」の仕方だ。水俣病など公害でもこの線引が被害者に深刻な影響を与えた→
#新聞→「該当する症状が一つでも足りなければ「水俣病患者ではない」とされてしまうため、家族全員同じ食生活をしていたのに一人だけ特定の症状がみられないことを理由に患者と認められず、補償が受けられないという非合理な例が続出した→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日
#新聞→「なぜ行政はこういう線引きをするのか。理由の一つは企業や国の補償負担を抑えるためであり、もう一つは、行政が画一的に患者の選別を行えるようにして、仕事をしやすくするためだ。原発事故の被害者に関しても、線を引くこと自体は対応としてやむを得ないとしても、問題は→」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日
#新聞「→問題は避難者(被害者)の個別の事情への柔軟な対応を考慮した規定が、制度の中に明記されていないところにある。線引きをしたら、その基準で被害者を黒か白かに選別していく。私はこれを「線引き主義の無慈悲」と呼んでいる。→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日
#新聞→「様々な個別事情に対する実情の把握も対応もせず、自主避難者に対し「一応の線引きをして臨んできた」のだから「あとは自己責任で」というのは、まさに「線引き主義の無慈悲」。改革が急務だ。そして「裁判でも何でもやればいい」というのは権力者の高慢、居直り以外の何物でもない→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日
#新聞「→裁判で決着がつくまでにかかる10年、15年という歳月。その間に大臣も役人も担当が代わり、どんどん出世していくが、一方の被害者は何年も耐え忍び、判決を聞けずに亡くなる人が続出する。それがこれまでの公害、労災等の裁判でみられた現実だ。→」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日
#新聞→「裁判でも何でも、という言葉が、被害者支援にあたるべき国の責任者、しかも東大法学部卒のエリートから出てくる。そればかりか、最高責任者の首相が、その大臣に引き続き被災者支援の責任者をさせる。それがこの国の知性と政治的モラルの現実である」メモおわり。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月26日