『とと姉ちゃん』 第11週 「常子、失業する」(上)ツイートと追記:どんな統制も超えるものがあるってカタルシス
こういう描写を見て、このドラマの描き方を見て、「常子以外は悪者」「常子アゲ」に見えるのかー。そうかー。と思う。怖いね。#とと姉ちゃん
あと、暮らしの手帖には疎いんだけど、見聞きする情報だけでも、丁寧な暮らしの美しさしか知らない人が作った雑誌じゃない感じがする。厳しいまでのこだわりを兼ね備えてる感じ。「なぜそこまで暮らしにこだわるようになったのか」を、常子の若者時代(と時代背景)で描いているのでは #とと姉ちゃん
なんか、平成のスローライフ礼賛的な雑誌と同じイメージ持たれてるような・・・? 丁寧で美しい暮らしをしたいと思っても、それに専念するのが難しい環境・難しい時代を過ごしてきたからこそ、厳しいまでの視線で日常にこだわる雑誌を作るようになるのでは? #とと姉ちゃん
そして若い常子が経験し体感する、性差による生きづらさや社会通念による思い込みの強さ、時代の閉そく感…その結果、弱い者がしわ寄せを受ける現実は現代にも大いに通じるものがあって、だから今この物語なのでは?「誰もがささやかな日常を大事にすることで平和に」その思いの切実さ #とと姉ちゃん
朝は明るく楽しいものを見せてほしい、暗く刺々しくスッキリしないものを見せられるから嫌い、というのは個人の感想だけど「だから駄作・朝ドラとして間違ってる」って断言されるのはねー。毎朝届けるもので何を描きたいかは作り手次第。何を見たいかも視聴者それぞれ違いますよ。
あの場にいた客が誰も助けないの自業自得wみたいなものならまさに現代にも通じる怖さ #とと姉ちゃん
社会が困窮するとみな苦労し、弱い人間が自分より弱い人を叩いて憂さをはらす。男と同じ日の当たる場所に出ている職業婦人は格好の標的。女だけでビールを飲むなんて「生意気」というショボイ理由でOK。そんな場所に女だけで行ったのが悪いと言う人もいるんだろうな。ああ嫌だ。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん は「現代」を書いてるんだよね。怖いなぁと思う。
「嘘をつくこと」「自分の頭で考えないこと」のふたつだけは頑として許さない #とと姉ちゃん ワールドだから戦争は負けるんだな…ということに気付いてなんだかぞわっとした今日の回であった。お客に正直であることがお国に楯突くことになったらそりゃもうお終い、なんですね…
おはようございます。去年か一昨年に見かけた、個人サイトにまとめてある亡き伯母さんの日記……常子と同世代?の職業婦人の日記……の感じだと、対米開戦ギリギリまで外食楽しみにしてるような描写があったような気がするのでビアホールの描写はありだと思ったんだけどもそのサイトが見つからず残念。
RT 戦時中とはいえこの頃はまだ百貨店も歌舞伎もやってるし外食もできる。マッサンの工場は軍の物資確保のため早めに接収されたのでしょうがすべての酒類や娯楽が禁止されているわけではありません。黒木華ちゃんで映画化された『小さいおうち』の原作小説なんか見ても詳しいです。#とと姉ちゃん
多田さんは相談というより本人談の通り憂さ晴らし目的なんだろうな、「こんな時だからこそ酒場に人が集まるんじゃ?」てセリフも酒をよく知ってる雰囲気。お金に余裕なくても飲んじゃうとかパチンコしちゃう、服買っちゃうって人いるよね。劇中でその気配匂わす描写あればよかったけど #とと姉ちゃん
作中でも言われてたけど「あるところにはある」だったんだろうね。「お上に楯突いちゃいけない」と平時の倫理観で商売していると、立ち行かずに潰れてしまう。嘘で塗り固めて戦争に向ってゆく国に思考を預けることで、普通の人々もどんどん歪になってゆく恐ろしさ… #とと姉ちゃん
「弁当屋は厳しいのに酒場にこんなに人が居るなんて」のセリフも然り、RTの通り「あるところにはある」描写だけど、「酒は出せないって場面の直後に酒場?」と驚く人あり、「わかるはずないんだからナレーション付けろ」という人も。作り手は自信もってスタンスを貫くしかないよね #とと姉ちゃん
多田さんに幼い弟がたくさんいる設定、ちゃんと意味があったんだよね。当たり前だけど。#とと姉ちゃん
お前は恵まれているだろう!譲れ!もっと厳しい人もいるんだ!もっと我慢しろ!と言われても「それは仕方ありませんね」と黙って譲るわけにいかないことが人間には沢山ある…というのは現代にも通じる話だけど、それってつまり「日本人なら贅沢はできないはずだ」思想だよね… #とと姉ちゃん
多田さん>弱い人なんだろうな。先輩の前で常子を庇わない、自分だけ逃げる、常子を陥れる嘘をつく。どれも弱い彼女が職場に居続ける為に必要なのだろう。でもその弱さを常子に認めて貰おうなんて考えたらいけない。まして自分と常子を同じ人間と見なすなんて、しちゃいけないことだ #とと姉ちゃん
多田さんのあれは、わかりやすい悪役なんじゃなくて、弱い人あるあるですよね弱い人が善を行う人であるというのはファンタジーであって、実際には、筋を通すにも強さがないとムリだからリアルな弱い人は日和るしじぶんにプライド持てないぶん卑怯にもなれるという #とと姉ちゃん
私は今日のえぐい展開好きだな。常子に優しく接したかをるさんも、咄嵯に常子を陥し入れたかをるさんも、許しを乞うて楽になろうとしたかをるさんも、どれも一人の人間であるという描写が #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん? 自分の生命や財産が脅かされる時、人を蹴落としてでもってのは、まぁあるだろう。まして守るものがあれば泥水飲むこともあるだろうさ。でもそれを蹴落とした相手に許してもらおうと乞うのはダメだ。それはひどく卑しいことで、そこを駄目押しする脚本は相当確信犯的にえぐいと思う。
これまでも戦争で苦しくなっていく庶民の生活を描く朝ドラはあったけれど、ここまで胸の悪くような、やるせない描写をしてきたのは初めてだなあ。ある意味すさまじい反戦描写だと思う #とと姉ちゃん
しかし入社時の面接で言い放った「家族のためにお金をたくさん稼ぎたいから」が、常子以上のとと姉ちゃんである多田さんから最後に常子に跳ね返ってきて辞めることになるってほんとエグいな #とと姉ちゃん
多田さんの言動、どこが「許されない一線」だろう? 「わかってね」のダメ押しはひどいけど、それがなくても解雇の時点で常子には大打撃。でも2人のうち1人がクビとわかっていて養う弟たちがいる場合、どちらかが首になるのを手をこまねいて待つしかない? 嘘つかなければOK? #とと姉ちゃん
多田さんの言動は、森田屋の仕入れを断り、闇で卸しているらしい乾物屋(?)の描写にも繋がる。古い付き合いの森田屋(ここで森田屋は落ち度なくまっとうな商売をしてるのがポイント!)を切るのはひどい所業ではある、でもそうしなければ家族が生きていけない。であれば仕方ない? #とと姉ちゃん
嘘つくのはひどい、人を陥れるのはひどい、相手が食い詰めるとわかっていながら付き合いを断ち切って闇取引に走るのはひどい。でもそうしなければ家族が生きていけない場合、どこまでが仕方ない? そんな状況の場合、嘘とか陥れるとかを超えてはならないボーダーと感じられるのか? #とと姉ちゃん
自分や家族が生きていくため、守るためなら、人はたぶん保身に走るし嘘もつくしエゴイストにもなる。そうやって強い者・したたかな者が生き残る。動物の弱肉強食にも似た論理。だけどそれは、弱い者は死ね、しょうがないって話でもある。環境に弱い者が淘汰される。それでいいのかな #とと姉ちゃん
多田さんの弱さは裕福でない上に弟たちがいるからってのも大きい。あんなことした背景には社会(戦況悪化)や会社(上役の一声でお払い箱)の環境がある。綺麗で安定した環境にあれば危険や非道に手を出さずに済むことも多い。弱い人を糾弾するだけでいいのか、環境問題を考えるべきか #とと姉ちゃん
あの御時世に女だけで、ビアホールに行くのは悪いこと? しつこく絡まれても仕方ない?自業自得?自己責任? 視聴者の価値観を揺すぶってくるよねえ。#とと姉ちゃん
でも社会が悪い戦争が悪いっていっても、社会を作ってるのは私たちでもあって、個人が保身に走ったり責任から逃れたり(そのために嘘をついたり人を陥れたり)することで社会は悪くなっていくのかもしれない。だから戦争も止められなかったのかもしれない #とと姉ちゃん
戦争もずーっとやってたわけで、遡れば #とと姉ちゃん でも触れてた二二六事件、あれも青年将校は貧しい東北の農村出身者が多かったわけだよね。極貧の暮らしを知ってて何とかしたい彼らがああいう事件を起こしたり…大陸に手を伸ばしたり…やらなきゃやられるからって論理が戦争に向かわせたり…
#とと姉ちゃん では、個人レベルや小さなコミュニティで起きることに社会や時代という大きな背景を感じるし、社会現象や時代の流れも、これと同じなんだろうなーと感じさせる作りになってる。だから「しんどいよね」の後に「でもね」と提示される小さな希望は、大きな希望になりうるんだろうなと。
その「世の中しんどいよね」を「不快感を与えるからけしからん!」と言われたり、「でもね」って小さな希望を「常子アゲ」って言われたりするのがなかなかつらいところですが、それもまあ社会ですよね、と。
多田さんあんなことするなんてひどい、の声が充満するのはまあわかるとして、それが「そんなふうに書く脚本家(作り手)が悪い!」って声になるのは結構びっくりするんだよね。
多田さんが昨日からああいう言動したのは、全然不自然さはないんだよね。常子の新人時代も気にかけてはいても何ひとつ表立って行動せず周りの顔色を読んでた。弟たちを養ってる家庭環境も明示されてた。それを脚本のブレというのは…既に以前からこのドラマに好意を持ってないんでしょうな
純愛やまれに通じる部分もあり、TLの反応とかはごちを連想させる部分もあるけど、それ以外の近年の朝ドラを含めても、#とと姉ちゃん はずば抜けて理想主義というか、この世の中に希望を持ちましょうと切実に願ってる物語だと感じるなあ。青臭いくらいに。見ててちょっと恥ずかしいくらいに。
ビアホールで暴言ご都合主義志田ちゃんご都合主義多田さん許さんという辺りは、私は違うけどそういう感想持つ人がいるのも納得できる。でも鞠子大学やめろっていうのはさあ…それを「現代の」視聴者が言っちゃうのはさあ…悲しいというより血の気が引くような怖さすら感じます。#とと姉ちゃん
こういう(期せずして当時の戦争礼賛側の)感想がでる所まで狙った戦争描写なのかもなあ。巧みに今や今を生きる自分自身にオーバーラップさせて(幾重にも)、物語が普遍性を持っていくのかな。#とと姉ちゃん
弱いから害をなさない のでなく、弱さはときに悪にもなる という好例ですよね。特に集団になったときには付和雷同して巨悪にもなる 「凡庸な悪」の一例かと(凡庸な悪の元ネタは権力者についての言及ですけども)これから戦争が激しくなる展開でこの辺も描写されるでしょうか#とと姉ちゃん
最高! いやー、先々週土曜日の「こんなご時世に乳繰りあって」は、ここにかかっていたんですね。いい。すごくいい。今週きてるな!いやちゃんと仕込んでるな! #とと姉ちゃん
このタイミングで露見するの、物質的・精神的にどんなに統制されても、個々の人間の「乳繰り合いたい欲」は絶対にコントロールできない、そうやって人間は命を繋いできたんだ、こんな状況でも赤ちゃん楽しみ!かわいい!ってなるんだ、ってダイレクトに伝わってきてすごくいい。感動 #とと姉ちゃん
付き合いがどれくらい長いのか、たった一度でできたのかまだわからないけど、よくよく考えて結婚を断った常子がいる一方で、求めあって(今も2人並んで働いてるんだから仲良しだよね)子をなしちゃう富江もいて、戦時下でも人は灰色一色じゃなく本当にそれぞれの人生を生きてるんだね #とと姉ちゃん
宗吉が言い出せずズルズルきちゃったの、自分もギリギリまで店たたむ決心つかなかったんだろうけど、松・竹弁当間違い事件で常子たちに任せて自分は謝りに行かなかったことや借金取りに結局びびってたことなど、これまでの人物造形と一貫してるよね…隈井の酒癖の悪さも心配だなあ #とと姉ちゃん
デキ婚て言葉はなくても、婚前交渉や未婚の母は当時あり得ない話じゃないよ。庶民の世界では逆に今より純潔概念なかったり。意外に知られてないんだね。もちろん外聞の良い話じゃないけど、老舗とはいえ酒飲んで阿部定の猥談するような家風だし、中田さんが妊娠するのとは違いますね #とと姉ちゃん
社会が暗く厳しくなり物質的にも精神的にも欠乏するからこそ性に走るってのは、古今東西いろんな小説にもある人間の普遍ですね。性文化の今とは違う部分は、宮本常一『忘れられた日本人』や赤松啓介『夜這いの民俗学』でも読めます URL #とと姉ちゃん
この状況で生まれたって親も子も苦労するだろうけど、どんなときでも子どもは生まれてくるんだよね。別れや老いや死を悲しみ、同時に、乳繰り合って、子どもがかわいくてならなくて必死に育てて、何なら育てられなくても必死に育って、人間は生きてきた。それは絶対統制できないの。#とと姉ちゃん
この、さんざん「いい加減森田屋出て青柳に帰れ」「どうせ隣に実家があるんだからどうなっても安心」と言われてた小橋家がこのタイミングでそのハシゴすらはずされるのね。 #とと姉ちゃん
でもこの状況で呑気な君子、小橋家を叩くのって、まさに戦中に「皇国民一丸となってこの難局に立ち向かわなければならない時に何をたるんだことを抜かしているんだ」と言うことと繋がってくるからなー。 #とと姉ちゃん
今までの小橋家のゆるさ呑気さは、状況に許されてた感ある。でもそっちの状況が当たり前でありたいよね。女四人だけの家族があれだけ平和に暮らしていけて当たり前であってほしい。 #とと姉ちゃん
こういうドラマを今、NHKがやることに反骨心を感じるなぁ。NHKのニュース番組が軒並み残念なことになっている中、ドラマ部門は攻めているというか。NHKも一枚岩じゃないんだなー、まだこういうドラマが放送出来る以上、マスコミのあれこれは勝手な自粛なのかなーとか。
これは叩いても大丈夫みたいな対象が見つかってからのそこへ流れ込む加速度がちょっとおっかない。
RT 反省会タグの存在も「叩いても大丈夫な対象化」に寄与しているとこあると思うんだよね。そこに仲間がいると思うから叩きやすくなっている。枠の中で叩いているうちにどんどん気持ちよくなってエスカレートしていく。棲み分けというメリットは確かにあるけどデメリットも認識しないとね
徳の高い顔して常子を褒めた部長はコネ入社のため平然と首切りを命じ、それを知った多田さんは常子を陥れる。ビアホールでは粗暴な男たちが常子を囲み、誰も助けない(多田さんは逃げる)。助けたのは、社会の底で生きていると思われるお龍。彼女の子分が夜道の常子を護衛する「自分とあんたとは生きてる世界が違う」。
森田屋ではいっそう仕入れが困難になり得意先も潰れ、宗吉が荒れている。君子の給料も差し止めに。不安がる家族に、自分が稼ぐから大丈夫、自分は恵まれている、と語る常子は翌日、解雇になる。部長にくってかかる常子。早乙女は目を背ける。多田は常子に許しを乞う。常子ははねのける。会社を去る常子に早乙女「まっすぐ生きても報われない時代。でも負けないで」。常子は悄然と「今は受け止められない」。
深川も不景気極まりない。材木問屋は陸軍から、肯定か買うの半額で木材を拠出するよう言われる。心労で倒れる滝子。商いの寄合では商売をたたむという者が続出、森田屋の最後の得意先もその1つ。まつは泣きつくがもちろんどうしようもない。そこで最近、家を空けることが多かった照代が「うちもたたみます」発言。照代の兄を頼って高崎に引っ込むことにしようと言う。自分だけが知らされていなかったまつは激怒し、移転を承諾しない。そこで明かされる富江の妊娠、相手は長谷川。
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いやー、とんでもなく面白い週前半。
常子は理不尽な解雇に遭い、しかも同僚の心無い仕打ちまで知ってしまうんだけど、同時に多田も早乙女も「社会的弱者」であることが際立つ。自分が弱者だから、人を陥れる。人を庇えない。自分が生きなきゃいけないから。そこでさらにお龍たちが現れることで、「世界が違う」=「さらなる弱者」の存在が示される。彼らは社会システムの中にいる側からすると「どん底」の人間に見えるんだけど、ある意味社会システムの「外」で生きているから、システム内での力関係などは関係ない。だから常子を助けることができたんだと思う。
まっとうな商売をしてきた森田屋や青柳にも時代の波。社会の中で生きていれば誰もが弱者になりうる。社会の統制により人々は共に疑心暗鬼になり共倒れしていく。その裏でひとり奔走していた照代。まつに黙ってたのは道義的にひどくても、それもやっぱり生きるため。彼女は正面きってまつに頼む。切実に、何度でも。その強さがどこからきたか? ひとつには、富江のお腹の命である。こんな世の中で、人々の様々な欲望を統制している世の中で、2人は個々の欲望に忠実に「乳繰り合って」新しい命が宿っているんである。すごい。
もちろん個人は弱い。こんな世の中で、窮状にある森田屋に生まれて子どもが楽な人生を送れるか? わからない。弱者の再生産かもしれない。それでも、どんなときにも新しい命は生まれてきた。どんな時代でも、どんな紛争地でも。生まれる命のために人は奔走し、生まれてきた命は必死に生きる。月曜からの3日間、沈鬱な描写が続いたけど最後の1分のものすごいカタルシス! 人は社会システムのためじゃなく個々の人生を生きるんだ、っていう希望。