『真田丸』 第24話 「滅亡」

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信繁は歴代大河の“アゲられ主人公”のように、情を前面に出したトンデモ熱弁をふるったわけじゃないんだよね。冷静に状況説明をしつつ、降伏すれば命は助けるという条件を提示しその上で「どうか助かってほしい」と伝える。和睦交渉の使者として過不足ない弁。だから信繁は使者として十分に務めを果たしたけど、「信繁にしかできなかった仕事。信繁スゲー!」って意図で使われない。分相応に有能な使者の口上も合わせて、氏政は状況を考えた。考えて、氏直を呼んで、降伏を決意した。



伊達は来ない。関東の諸将は誰も味方に付かない。勝つことはもうできない。そんな状況がようやく氏政にも腑に落ちた以上、「城を明け渡し降伏すれば、兵も氏直も助かる」最終的に、それが落としどころになったんだろう。“己の戦”をしても、多くの命を預かる大大名としての自負がそうさせたんだろう。広大な領土が良く治まっていたのは、北条の領国経営が良かったからで、氏政は良い領主だったはず。前回とは打って変わって、そんな姿が滲む今回だった…。「必ず命を助ける」と家康に握られた手を、「貴殿に災いがふりかかる」とふりほどいたのも、自らの矜持のためだけじゃなく、家康の真の情を感じたからこそ情で返したセリフだったと思う。

勝頼や滝川一益と同様、「滅びる(退場)」するときは美しい、「真田丸」における北条の最期でした。いやはやあの氏政さんがこんなに気高いなんて、と驚きつつ、すごく納得感があるんだよね。

ところで今回「誰も彼もが秀吉に降って組み入れられる中、氏政だけが己のための戦をしている」というロジックが非常に強く打ち出され鮮やかに印象付けられたことに、ちょっと「おや?」と思いました。

この真田丸世界において、大名や国衆たちは、「己のための戦」をしていたのかな? 

物語の冒頭である第1-2話、岩櫃へ向かう真田の一行を半武装農民たちが襲ってくるシークエンスが印象的だったように、「貧しいから食うために殺す」のが根底にあって、真田の里の入会地紛争なんかもその延長線上にあり、「襲ってきたから防ぐ」「攻められないために同盟/臣従する」「奪われたものを奪い返す」ようなのが真田丸の戦国模様で、決して昔の戦国ドラマにあったように「領土拡大欲」「自己顕示欲」みたいなもので戦争をするわけではなく、それがあったとしてもせいぜい信長や秀吉レベル。家康ですら「生き延びればそれでいい」と言っていた。

でも、秀吉配下に入って、実際はポッと出の秀吉なんかよりよっぽど長年の腐れ縁的親しみを感じている北条を攻めなければならなくなったとき、昌幸も景勝も家康も、「生き延びるための戦」「自分の領土は自分で戦って(同盟や謀略も含めて)守る」ができたこれまでを「己のための戦ができていた」と思ったのだろうな。




要は、「己の領土は己で守る」の時代になったのが中世なんだよね。武士が台頭したことによって、古代(平安まで)の律令・中央集権国家から脱して、自己解決・自己救済の時代になった。今はそれが終わろうとしている。己の領土を守るため・生き延びるためであれ、戦争していいか?したいか?って言ったらしないほうがいいに決まってる!って思うのが近世近代現代の人間であって。今はその過渡期なのだよね。

ただ、現実にその過渡期にいれば、「そうだよね秀吉に臣従するシステムであっても、やたらめったら戦争しない世の中のほうがいいに決まってるよね」ってみんながみんなすんなり思えるわけはなくて、どうにも思えなくって「乱世に戻って何が悪い」と言っちゃうのが昌幸で、「乱世に戻るなんて良いわけがない」と疑いなく思えるのが信幸なんだな、っていう構図ができてますね。





家康は今んとこ、どこまで考えてるかは謎。家康も、信幸ほどには「秀吉の下での天下一統」(統一じゃないのね!!)にすんなり割り切れてないのは明らかだけど、「いずれ俺が代わって起つ」とまでは、まだ、なさそう。やっぱり家康も、戦国システムにしっかり乗っかって大名してきたわけだからね。嫡男とはいえ信幸とは、預かってきたものの大きさや経てきた時間の長さが違うわな。

そう、信繁、家康ともう一人、信幸もまた、このドラマにおける「見つめる人」なんだな。「伊達と連絡をとれ」と、いけしゃあしゃあと言う父を見つめる表情は何とも言えなかった。慌てるでもなく、懐疑するでもなく、もはや父のことを透視できてるみたいに、ある意味澄んだ表情だったんだよね。

秀吉や三成、茶々や家康とも近しかったりして、今で言うなら「東京の超大手企業でインターンやってます」みたいな信繁に比べると、信幸が見たり動いたりしている範囲はずっと狭いんだよね。主に、父と共に、そして父を通して世の中を見ている。そんな信幸が、もう近世人の萌芽みたいなフラットさを身に着けている描写は面白いと思う。お兄ちゃんの成長はすごい。

んで、一方の昌幸なんだけど、景勝の「髻を切る」発言にぎょっとしたり、ずんだ政宗に落胆したり、秀吉に小県・沼田を安堵され与力を解かれて大喜びしたり、多彩な表情を楽しませてもらったんですけど(笑)、この人、オフィシャルの場で、ここまで露骨に顔に出るタイプでしたっけ? 

滅亡目前の勝頼に対して、「武田は絶対に滅びません!」って微塵の揺らぎもなく言ってた人ですよ。内心は「武田は滅びるぞ」だったくせに!! それができる昌幸だから、生き馬の目を抜く戦国乱世で生き延びてこられたはずですよ。秀吉の配下なんてイヤだ、乱世に生きたいんだと言いながら、実際は戦国の武士としての能力、弱ってない?! ってちょっと心配になる。

心配といえば三成で、なんでよりによって昌幸に戦の指南を頼むんだ!! 三成こそ「戦国乱世を終わらせたい」という気高い志を掲げているというのに、近世人の志と昌幸の汚い手の食い合わせ悪すぎるだろ!!w おまけに幼なじみにすら理解されないくらいに冷酷無比人間と思われてて、それでも芸の無い純粋まっすぐ君なワザに徹してれば「三成ったらぷぷぷ」ですむものを、眉ひとつ動かさずに汚い手を使ってごらんよ、ああ惨状が目に浮かぶ。

忍城攻防戦をここに帰着させるのかー、ってくらくらしたね。そして名前も出てこない成田長親っていうか萬斎さんの影がどでかい2週間でしたね。三谷さんのことだから絶対狙って書いてたと思う。萬斎さんだし、「のぼう」も絶対押さえてたはずだ。




あの宴にいたみんなが道化を演じる政宗に苦笑してたけど(たぶん秀次以外)、でもあの場のみんなが政宗でもあるんだよね。秀吉になれず、氏政にもなれず、秀吉に降って命乞いをし本領安堵を願い、そのために身を粉にして働かざるを得ない姿。そして、それは私たちの姿かもしれない。ひと握りの成功者になれなかった大勢の私たちの。「もしもう少し○○だったら」「もう少し○○でなかったら」と悔いながら何かに屈し現状に甘んじるしかない私たちの姿。

それをじっと見つめる信繁がね。何を思ったか。こういう日々がどう結実していくのか。それにしても政宗役の長谷川朝晴さん、よかったなー。次に出るのはいつかな。




これ、ツイートしたあとで考えてたんだけど、秀吉は人心に敏い部分はあっても、「情」でのケアは昔からしてなかった、できなかったんじゃないかなあ。やっぱりそこは「欠落」なんじゃないかな。

その部分を担っていたのが、「秀吉は昔から怖い人」と知っていた寧や、人格者である秀長なんじゃないかな。前回、その2人が聚楽第に残って会話するシーンが「何の意味が?」ってわかんなくて印象に残ってたんだけど、秀吉が茶々を身辺におくようになり寧とはこれまでの違う距離感になることによって、そして秀長が病で世を去ることによって、これまで寧と秀長とで支えてきた大事な「人情」みたいな部分がどんどん機能しなくなって政権の崩壊にもつながっていくのかなあ・・・と。

それから今回は利休についての面白い描写が、また。仮にも戦場の小田原でまで移動店舗営業してたと思ったら、何と北条にも鉛を卸していた! これはさすがに「商魂たくましい」では済まされないことのようで、急いで引き上げていく画がありましたね。

秀吉と対照して「聖人」のように描かれ、「だからこそ滅ぼされた」描写がほとんどな利休を、利益重視の商人、つまり思いっきり俗人として造型しているのが本作の面白さですよね。

で、今回がこんなだったから、利休切腹(これネタバレじゃないよね?w)への道筋が見えた気がした。自分が、自分が率いる堺商人たちが儲かるから、そのためなら戦争だってやってほしい。という利休もまた、「己のための戦をしている」一人なんだ。そして、そんな人間は、氏政同様、滅ぼされなければならない。己のための戦ができない新しい社会システムを作るために。そこに噛んでくるのは、きっと、乱世を終わらせたい三成ですよね・・・。

しかし秀吉の立ち位置がまだよく見えないんだよね。彼が何で天下統一したかったのか。彼にとって天下とは何なのか。それは今後、朝鮮出兵の局面で明らかになってくるのかな? そして三成の忠誠心の源も、これからだと思う。私たちは「石田三成だから秀吉に尽くすのは当然」って目で見ちゃうけど、このドラマの三成の秀吉への思いは、(思いの強さは描かれていても)思いの何たるかはまだ明らかになっていないんだよね。



景勝と直江がものすごく香ばしかったんだけど戦国大名的にはものすごく痛かったw

江雪斎の退場はものすごくかっこよかった。ほんと、印象に残る場面だった。主君の助命ならず為すすべもなくその場を去った画としても印象的だし、このあと秀吉に・さらには家康に仕え旗本としての家を残すという史実を知っていれば、また含蓄がある。北条の旗を両サイドに、主君の居間をじっと見つめ、そして彼は足早に去った。

そうそう、触れるのが遅くなったけど「生きていればいいこともある」を地でいったのが小山田の義兄上でしたね。関東の大大名、氏政と対比されるのが、浪人あがりの一兵卒の彼というのが面白く・・・というか、茂誠さん自体が面白かったですよねw 気になるなー。ものすごく気になるなー、って。でもさ、「生きていればいいことがある」は真理だけど、「生きていれば、いいことがあるかもしれないけど、そのあとでまた悪いこともあるかも」ってのがホントの真理なんだよね。トットてれびで向田さんがこないだ言ってた、「禍福はあざなえる縄の如し」。義兄上の喜びに留保をつけたのは、そういうことなんじゃないかな。

 

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