『とと姉ちゃん』 第5週 「常子、新種を発見する」
ハマケンのセーラー服姿が予想外に可愛かった! なんのてらいもない全開の笑顔だったのがよかったw #とと姉ちゃん
大将の大声や早合点も、照代の微妙なトーンの喋りも、先週と変わってないけど先週とはまったく違う響きに聞こえる。「がわ」で判断しちゃうことは誰にでもあり、第一印象では見えないものもいろいろあるんだよね。でも「がわ」が気になっちゃうのもしょうがないよね。と富江エピ。 #とと姉ちゃん
デザインの違いが村八分の呼び水になったり、逆に楽しい話題になったり。自分には縁がないと羨ましく見る子もいたり。浜松では何の疑問もなく着てただろう制服というものからいろんな波紋が広がるのが面白い。小さなひとつの物事にも様々な見方や考え方があるのは現実もそうだよね #とと姉ちゃん
富江ちゃんが女学校の制服を着たい気持ちはお察し、というところだなあ。自分と同い年の子が女学校に通って自分は家業って、いつか何かが勃発するだろうなあと。#とと姉ちゃん
学校にとけこんで友達ができてから別の制服で行くと主役になれるけど、新入りがいきなり前の制服で行ったらとけこむつもりのない生意気な子扱いでいじめの標的になる。人間社会ってめんどくさいよねー #とと姉ちゃん
先週も書いたけどクラスメートがモブ状態なのは常子視点だからだと思うなあ。1人1人の個性が見えず口々に責めたてられるだけの状態、でも彼女たちを敵視してるわけじゃなく常子には今もっと大事なことが他にある。家族や綾、森田屋など、近しく交わる人は性格の奥行が描写されていく #とと姉ちゃん
登場人物の言動が全員、ピタッと嵌まる感じになってきたなあ。「この人ならこう言う・こうするよな」って。「実の娘でもそうなのか・・・」の一言で断然、清に深みが出てきたが、直後にちゃんと自慢話をする清マジ清(笑) #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん こっそりミシンを使い、口裏合わせようとする常子の行動が大人の階段上ってるフェーズだなあ。大人のややこしい人間関係や集団の不可解な行動を知ったから、先回りしてうまく立ち回ろうとしてる。でも「世の中複雑だからこそ正直に誠実に」振る舞っていたととを思い出せるよね常子なら
#とと姉ちゃん 富江が小学校出たあと働くといったのは、家に気を遣って…もあるけど、当時はそれ以外の道が見えなかったんじゃないかな。他の選択肢は自分には遠く縁のないもののように感じてた。小橋家によって初めて女学校というものが近くにやってきて、憧れとか複雑な気持ちが芽生えたのでは。
ミシンを教わる回想で「こういうのは自分でできないと」ってひと言にグッと来た。「いいお嫁さんになれませんよ」ってひと言にならないのが #とと姉ちゃん なんだろうなぁ
>RT こんな一言をとっても、「いかにも朝ドラ」な顔をしながら、類型に流れず、固有の物語を作ろうとしてるなーって感じる。#とと姉ちゃん
ある意味、学校行けなくて「かわいそう」ってのも勝手な思い込みだよね #とと姉ちゃん
RT 昨日の引きのあと、常子が暴走して喋りまくったようなことを視聴者も考えてましたもんね。そうじゃないんだと。人の心の中は簡単には推し量れないのだと。 #とと姉ちゃん
そして、洋食屋の接客は弁当屋と違ってチャッチャとしないものだけど、富江を「狭い世間しか知らなくてかわいそう」だと思うのも、違うんだよね、それは暴走する常子の姿が恥ずかしかったのと同じだよね、って脚本だった。恥ずかしいと言わず「悪いとこが出たね」てチョイスもいい #とと姉ちゃん
いろんな生き方があることを学んでいる常子。自分の目の前には、それなりの選択肢もある。でも、今、昭和12年くらいだっけ? 何ひとつ選べない時代がくるなんて、まだ誰も思っていなかっただろうね… #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 良い回だったー。東京の大学にやってもらえるなんて(本人の資質が高いにせよ)稀有なことだし、交通事情も通信事情も全然違う。照代や長谷川も含め、離れてる親への思いは格別だっただろうね。そういう共通する感覚があるから星野青年みたいな子に親切にしたくなるんだろうな
#とと姉ちゃん ばくばく食べながらニコニコと腹下しの話ができるのは学者肌(変わり者って面も含め)の表現だよね。腹を下したって軽いことみたいだけど当時はそれであっさり命を落とす人もたくさんいただろうから、薬草の力に感動し将来を志すのにふさわしいエピソードだったと思う
#とと姉ちゃん 以前からこの辺りをうろついて、よそ者警戒心の強い深川ピープルに不審な目で見られながらも、悪いことしてるわけじゃないから堂々としてたんだろうね。いや、単に気づかなかっただけか。星野青年とってもかわいい。変わり者だけどお礼や挨拶には心がこもっていて素直な子なんだなー
#とと姉ちゃん 見上げたら美しいものに気づいた。って何かの示唆になるんだろうね。足元を見つめてるのは植物採集してる星野青年だけじゃなく、日々の生活に必死な小橋家も同じ。地に足つける生活、食べることを大事にする生活は基本だけど、時に視線を上に上げることも大事なんだと。
#とと姉ちゃん 清に譲るぐらいだから、自分の発見が「贋物」だったと認めるでしょうね。一流の研究者たるもの、こんな挫折の1つや2つでへこたれるもんではなかろう。・・・ていうか星野、新聞見てないんかーい! 研究室行ってないんかーい!
#とと姉ちゃん 金屏風まで立てちゃう滑稽さは帝大生という珍種に巡り合って自分とこの料理を本当に美味しく食べてもらえた嬉しさと、祝福にかこつけてパーッと騒ぎたい気持ちゆえで、新種発見の価値は彼らにはもちろんわからない、むしろ2番でもすごいじゃんぐらいの気持ちかもしれないけど、続
承前)星野にはその価値が分かる。めんどくせえ男だけど「過酷な環境ほど強くなる」「自分が悪くないのなら堂々と」な子だし、ごまかしたりしないだろう。本当の価値ある発見は難しいけど彼ならそれを目指すだろう。…てか星野、新聞読んでないんかーい!研究室行ってないんかーい! #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん を見てると、とるに足りないような日々の小さな出来事の中に、問いかけや選択肢・その人の価値観などが含まれていて、それらを体験し見聞きする積み重ねで人間が作られていくんだなと思う。特に子供は。後に常子がどんな編集者になりどんな雑誌を作るか、この日々にルーツがあるんだね
#とと姉ちゃん 変な奴と思われてもどこでも自分らしくいる不器用な星野と、職人の前でも「参ったなー」とうそぶく、うまくやってくために擬態が身についた養子の清。だね。常子が星野のほうに惹かれるのは当然だけど、いつか清の心の中の「本物」っていうか本音?にも触れるんだろうなー楽しみ
常子たちが丁寧に暮らそうとしても日々雑事に追われバタバタしてるのって生活そのものだし、小さなことを楽しんだり周りと打ち解けたりしながらも、母と祖母の分かりあえなさ=人間関係の断絶とか、父の不在という悲しみが通底音として時折響くのも人生だなーと思う #とと姉ちゃん
「元気でいてください」かぁ。なんかしみじみしちゃった。いや、「時代考えると、出征とか疎開とかでこの言葉が繰り返されるんだろうなあ」とか、そういう意味じゃなくてね。#とと姉ちゃん
喜びも悲しみもほんとのとこは本人にしかわかんなくて、周りは美味しいもの食べさせて「元気でいてください」と願うくらいしかできない。人間悲しんだり落ち込んだりするもんだから「元気でいる」って時に難しいけど、そう願ってくれる誰かがいると思えば元気が出てくることもある。#とと姉ちゃん
「元気でいてください」という祈りと、「元気でいよう」というがんばりや踏んばりが交差してるのが私たちの生活なんだなあ。美味しいものや綺麗なものはそのための力になる。そして元気でいることは理に適っている。来週はととが滝子に出していた「元気でいますよ」という通信の話ね #とと姉ちゃん
自分以外の人間に対しては「元気でいてください」と祈ることぐらいしかできなくて、その祈りが「暮らしの手帖」になり、読んだ人々に「元気でいよう」と思わせることになるんだね。元気でいるのは大事なことだから、ごはんや生活に根差した記事を作っていくんだね。#とと姉ちゃん
新種発見は結局、そこらじゅうに散らばってるありふれた失敗のひとつで終わり、失敗だけにバタバタしたみっともないもんだけど、こういう小さな過程のひとつひとつが人間を作っていくんであり、その積み重ねが人生そのものなんだなあ。何かにたどりついてもたどりつかなくても。#とと姉ちゃん
今週は、善良な人たちが善良であるためにずるいことをしようとすることもあるし、自分の思うことははっきり言葉にして言う人間は、逆に空気が読めなくなるという。悪い人はいないんだけど、よかれと思って取る行動は必ずしも正しいとは限らない、というところがやはり好きです #とと姉ちゃん
RT 言わなきゃいけないけど相手を傷つけるのがわかってるから言い出しにくいとか、ごまかしちゃうとか、ほんと生活あるあるだもんね。大勢の立ち聞きとか新聞紙で拭くとかおかしかったよw てか大仰な金屏風がほんとばかばかしくてなww #とと姉ちゃん
本当の事を早く伝えるべきとか、武蔵も新聞くらいチェックしておくべきとか、正論を押し付けられないところが好きだな。みんな一生懸命日々を生きていて、時々目の前のことにしか気が行かなくなったり、完璧じゃないのが人間くさくて、私は好きです。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 人の優しさって弱さとか愚かさとも強く繋がってて、そういう部分を包む脚本ですよね。爽快さはないんだけど、見る側にぴとっと寄り添ってくる感触がある。寄り添われてると感じるのは私がこの脚本が好きだからで、そうでない場合は鬱陶しく感じるのかもしれない。
#とと姉ちゃん 気持ちが落ち込む場で差し出される、しかも自分を気遣って調製された味噌汁がどれだけの励ましになるか、ど直球で投げ込むこの作品が好きですよ。「食べられたら人生はなんとかなる」は真実だと思うし、そういうことを愚直に表現していくドラマなんだと思う。
常子が発見した新種とは、星野武蔵だったということでいいだろうか。今まで会ったことのない考え方、生き方。良い人との出会いは人生観や価値観を変え、自身を成長させてくれる。星野が探し求める植物を人間に置き換えてみても面白い。#とと姉ちゃん
見れば見るほど、星野武蔵 feat. 坂口健太郎が可愛くてしょうがない。完全に落ちた。#とと姉ちゃん
RT わかる! 真実を知って寝込んじゃうとか、お茶こぼしたときの断末魔のような叫び声とかかわいくてなw そしてホントは泣きたいだろうに、味噌汁飲んでますます泣きたいだろうに、あんなふうに笑って、みんなに心からのお礼を言って帰れる…星野くんと坂口健太郎くん好きだー! #とと姉ちゃん
?をついたりごまかしたりして、その場をやりすごそうとするエピソードふたつ。常子自ら解決策を導き出しはしないけど、傷ついた照代や武蔵にそっと寄り添おうとすることで、互いに何かに気づく。ただの一少女でしかない常子の人との関わり、日常の切り取り方、私はわりと好き #とと姉ちゃん
竹蔵が亡くなって小橋家通信が途絶えてから5年くらい? 滝子はずっと心配してたんだろうなあ・・・って待てよ、予告で社長が「ずっと口止めされてた」って言ってたけど、あれもしかして、そもそも遺族援助が滝子の懐から出てたってこと? #とと姉ちゃん
とと姉ちゃん第30回。今日も生活の「知恵」=「理」にかなっているというモチーフが。『暮らしの手帖』がどういう雑誌かを知ってる人は納得感あるだろうし、知らない人は後から楽しめるよね。状況によって「嘘」をつくべきか否かという話も繰り返し。
あとは、「早とちり」とか「第一印象」「誤解」「見た目や社会的位置で判断すること」などがモチーフとして頻出している気がする。それらを統合するテーマとして、「物事の本質を見る」「丁寧に考える・丁寧に生活する」があるっていうのが今の印象。そして裏テーマが、「役を演じる」「嘘をつく」。
確かに、後の『暮らしの手帖』を考えれば星野との出会いはかなり大きい。理にかなうということ、科学的実証主義と常子との出会いでもある。ただ、それだけでは『暮らしの手帖』にはならなくて、「魂のパートナー」と出会って初めてあの雑誌になるんだろうな。多分、偏見や常識への懐疑がそれ。
#とと姉ちゃん 星野との出会いは「暮らしの手帖」の科学的実証主義との出会いでもある、というツイを読んでからぼんやり思い出したのが、終戦後に昭和天皇が疎開中の皇太子に送った手紙。なぜ戦争に負けたのか、その理由を3つ書いてるんだけど、1つに「科学を重んじなかったから」があったはず→
承前・検索。終戦後の昭和天皇が皇太子に宛てた手紙に書いた敗戦の理由、3つのうちの1つ「精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである」だった。や、それと、暮らしの手帖が科学的実証主義を重んじたのを繋げはしないだろうけど URL #とと姉ちゃん
ああ。そうか今週は親子関係を描いていたわけか。富江ちゃんのずっと近くにいる親子。武蔵の遠くにいる親子。そしてどっちも親孝行。さて、かかは?ってことなのか #とと姉ちゃん
ああ。そうか。富江の親子関係と武蔵の親子関係かと思ってたけど、生活のなかで必要な裁縫と味噌だったのか #とと姉ちゃん
このドラマの登場人物って、すごく人間らしい。人間は失敗するし間違えるしミスは隠そうとするし、逆に言わないでおいてやろうって気を使ったり、おいしいもの食べさせてあげようって頑張ったりする。そういうとこ好き。#とと姉ちゃん
小さな出来事で大騒動するのがいかにも朝ドラっぽいのだけど、底に流れているものがとても信頼できる感じがする。それがあったら、多少のアラとか大して気にならない。なぜ2016年の今、「暮らしの手帖」の物語なのか、その雑誌の誕生の前、主人公がまだ子どもで、戦争が始まる前の期間がこんなふうに描かれているのか、私には何となく腑に落ちるんだよな。