『僕は、そして僕たちはどう生きるか』 梨木香歩

 

僕は、そして僕たちはどう生きるか (岩波現代文庫)

僕は、そして僕たちはどう生きるか (岩波現代文庫)

 

 

雑木林の土壌を採取して地中に棲む虫を調べようとする主人公の少年。草木染めの染色家で材料調達に励む叔父。豊かな生態系を保つ森の中の古い屋敷に住む友だち。いかにも、梨木香歩らしい設定で小説は幕を開けるのだが、ベストセラーになった『西の魔女が死んだ』や『家守綺譚』を想像していたら、そこで紡がれる物語には驚くかもしれない。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)家守綺譚 (新潮文庫)

 

家庭の事情で広い家に一人で住む友だちは、いつからか学校に来なくなった。少女が深い傷を負うまでには残酷な経緯があった。屋根裏部屋に置いたきりになっている、膨大な数の戦時中の本。開発に反対する運動をしていた、友人の亡くなった祖母。徴兵を逃れた男が一人きりで住んでいたという洞穴。

それぞれが色濃く描かれて、魅力的な登場人物やモチーフが少しずつ絡まり合っていく。序盤での主人公はそれらに自分なりの述懐をしつつも、あくまで一歩引いた立場からといった風情で、「いわゆる狂言回し的な主人公なのかな」と思いながら読んでいたら、彼が「実は自分もその輪の中に深くコミットしていたんだ」と気づき呆然とするクライマックス。お見事だった…。読者も同時に打ちのめされるのだ。小説家ってすごいなーと思う。

タイトルがえらく真面目で大上段だし、不登校やAVや都市開発や第2次大戦など、社会的で政治的でもある事柄がいろいろと登場するので忌避する気持ちを持つ人も多いだろうが、それらにどのような共通点があってどのように絡まっているかが、決して教条的ではなく、「主人公たちの物語として」冷静に描かれているのが特徴。梨木さんのエッセイを読んでいれば、彼女がこのような小説を書くのがよくわかるのだ。突き動かされるような思いで、けれどつとめて冷静に書こうとしたことが。

私たち人間は群れる生き物で、人は群れることで長いものに巻かれたり、集団心理に酔ったりする。弱き者を巧妙に騙そうとする者もいる。そして無自覚のうちに暴力に加担してしまう罪も生む。その残酷さを描き、主人公はそれを自覚してショックを受けつつも、最後に「それでも人には群れが必要だ。暖かくていい加減な群れを必要とする人に迷わず声がかけられるように、僕は生きていく。考えながら生きていく」と静かな決意をする。

「考えながら生きる」というのがすごく梨木さんらしいところで、草木や動物のような自然に深い造詣を持つ人ならば、そういったものの絶対的で本能的な部分を大事にするかと思いきや、その知識を生かしながら、現実世界について「考える、考え続ける」ことを描くのが彼女の作家人生なのだと思う。本作のタイトルにもそれが端的に表れている。ちょっと、意識が高すぎて思わず引いちゃうタイトルだけども、「どう生きるか」なんて簡単に答えが出るわけのない問いと向き合い続けるのが彼女のスタイル。

巻末の解説(澤地久枝による)で、昭和12年、日中戦争の発端となる盧溝橋事件の一か月後に、吉野源三郎という人が軍ファシズムに抗して未来の少年少女のために書いた『君たちはどう生きるか』という小説があることを知った。その小説の中心人物である少年が「コペル君」なのだという。本作のタイトルも主人公も、それを踏まえてつけられ、書かれているのだな。

今も十分きなくさい世の中だけど、このような小説が出版され流通しているうちは、まだしも大丈夫なのかなと思いつつ、自分たち個人ひとりひとりが世の中にコミットした存在なのだよなと本書の内容を思い直す。

 

 

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