サクことば34 満3歳1か月 やる/もらう問題

幼児はたぶんみんなそうだろうと思うけど、「やる/もらう」問題っていうんですかね、やっぱりとても難しいようで、まだ全然使いこなせてません。

  • 「サクが おしてくれた」 (正:押してあげた)
  • 「サクが かってくれた」 (正:買ってもらった)
  • 「しんかんせん サクがもらってくれた」(正:サクがもらった)
  • 「おてつだい してくれる?」

「やる/もらう」問題の難しさの困難は、「ママが サクに お菓子を あげた」「サクが ママに お菓子を もらった」と、ひとつの事象について、主体者がわと受益者がわとで動詞が異なることが根底にあるんだろうと思う。

「〜〜してあげる」 「〜〜〜してもらう」っていう言い方を、まだあんまりしてないな。ただ、行為の「受益」っていうんですかね、「何かしらメリットがあることをしてあげた/してもらった」イメージは掴んでいて、それを言い表そうとしたときに、自分が行為の主体であろうと受動側であろうと、「くれた」になってる。

そして、子どもにとっては、「受動」について言い表すのが難しいみたい。「〜〜される」形の発話も、まだ「ママにおこられた」など、一部の決まった言い回ししかしない。「やって」という“してもらいたい”お願いも、「やって」と正しく言うこともあるけれど、「できて」もまだ散見される。「できる→できて」という主体的な動詞を無理やり“お願い形”にしたような誤用。

これらは、言語能力だけでなく認知の問題も大いにかかわってるんだろうなーと思う。子どもって基本的に「主観」の世界に生きているというか。自分中心。誰でも「自分」(や、「いま」「ここ」)から出発するんだよね。

ぬいぐるみにふとんをかけたりして、寝かしつけたり起こしたりして遊んでいるときに、「こんどは サクちゃんが おこして」と私に頼んだサク。本当は「サクちゃんをおこして」と言いたかったのだけど、「が」になる。こういうのも、主観優先の表現のひとつかなあ、と。

受動の言い回しが「(親に)おこられた」とか「(友だちに)たたかれた」のようなものから出てくるのも、怒られたり叩かれたりというのが、どれほどショッキングで悲しいことなのか…っていうことの表れじゃないかって気もする。「自分」を起点に世界と関わったり、発見したり、感じたりして成長している小さい子どもにとって、叩かれたり、必要以上にたくさん怒られたりして「自分」を否定されること、あるいは「自分」を無視されたり軽んじられたりすることのむごさ、成長への妨げがどんなに大きいかってことに、ことばの問題からも、思いが及んでしまった。