文月の七 / 新聞記事・被災地方言、戦時下

●7月某日: 梅雨明けして酷暑が始まってから初めてのランニング。一昨日、軽い脱水症状になったので、極力、日影に入りながら慎重に30分弱。これで精いっぱいだ。帰宅して、汗だくついでに掃除してから風呂に入り、出てくると、外はゲリラ豪雨に見舞われている。ボーゼン・・・。サクを連れて自転車に乗せて買い物に出る前に、夫がソファからクッションからゴザから、あれこれあれこれと大物をベランダに日干ししていっていたのだ。すべてが濡れそぼって雫をたらしているからして、今引き上げてもどうしようもないよな、と濡れるにまかせる。やがて小降りになったのを見計らって、スーパーで雨宿りしていた夫とサクが帰宅。「またぬれたー」とサク。梅雨の終わりごろからしょっちゅう通り雨にあっているもんな。それが夏の日本人の宿命なのだよ・・・。しかし夕立ちって言葉はあるけど、もはや時間なんておかまいなしだもんね。

さて、午後から夫の実家へ。ついに篠栗が勝ち組になる季節がやってまいりました! ・・・って、まあ十分暑いけど、やっぱり福岡市内より3度は気温低いと思う。川に面した部屋に入る風は、さやか。エアコンなしでも昼寝ができる(と夫の実家に昼寝をしに来たような口調だが)。夜、焼き肉。義父がこしらえたゴマアジが超おいしい。先月の北海道旅行のみやげのホタルイカの沖漬けも並び、十勝ワインをあける。う、うめー! 普段、1,000円以下のワインを飲みつけている我が家である(それだって、普段はじゅうぶんおいしくいただいているのだが)。違いが歴然とわかった。瞠目した。サクが一年以上ぶりに義父と風呂に入る(人見知りで大泣きしていたころから中断していた)。ちっとも泣かず、むしろ長風呂だった。

新聞記事より。
・「被災地 薄れゆく方言」。三陸沿岸は海と山で分断されているため、歴史的に内陸の町との文化交流が少なく、独自に進化した単語や文法、発音が多い。岩手県宮古市では感謝の表現を「おおきに」。東北ではここだけ。古来の海運交流の名残だろう。三陸北部で「咳」を「イキ」というのは九州南部と共通。北と南にだけ古語が残った「周辺分布」。石巻市の「ド」(雄牛)や陸前高田市の「ジップブレ」(梅雨)はその地にのみ分布する。方言は人々が感情を共有し、一体感を高める力ももつが、震災による避難や転居などで話し手が散り散りになって失われていっている。また、方言を理解することで支援力が高まることも。刺すような痛みを「いかいか」、胸やけや腹痛を「ぎやぎや」、悪寒を「ざきっ」のような独特なオノマトペ国立国語研究所がまとめ、医療機関に配布している。

・日本近現代史研究家、保阪正康の寄稿。20年ぐらいやっているカルチャーセンターでの講義。歴史を教えてきたが、自分より年上の聴講者たちに教えられたことも多い。戦時下、東京女子高等師範学校の数学科の学生だった女性。「勤労動員で大本営の一室に詰め、参謀が持ってくる情報に基づいてただ計算を繰り返す日々。最初はわからなかったが、やがて、本土に侵入してくるB29を迎撃する高射砲舞台の角度を計算させられているのだとわかった。やがて数式の角度はどんどん鋭角に。爆撃機が低空に侵入しているのだ・・・」。また、戦争末期に学徒兵だった男性。幹部候補生としての日記に、非戦の思いを詳細に綴る。教官の退役将校に呼び出され、暴力的制裁を覚悟したが、教官は涙を浮かべて「こんなことを書くなよ。おまえ、死んだらダメだぞ」と小さな声で言い、日記を目の前で燃やした・・・。