『小さいおうち』 中島京子

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

魔法をかけられたような読書の時間。そして残響の時間がなんと長かったことだろう。読後、とてもすぐには眠れなかったし、翌朝も早く目が覚めてふとん脇に手を伸ばしてひとしきり読んだし、その夜もまた、気になるところをあちこち繰り返して読んで、本を開いていない間も、気づけばぼんやりと頭の中で反芻したり、考えたりしてた。昔と違って小説ってあまり多く読まないので、こういう衝撃は一年に何冊かしか味わえない。

ネットでちょっと検索してみると、「ミステリーとしては謎解きが簡単」とか「地味だけど直木賞には値する」とか「戦前=暗いだけの時代、という思いこみを覆させる」とか、かなりいろいろな切り口から解釈されている様子。私は、前述のように、手加減なしの文芸作品だと思いましたね。作者の意気込みが冒頭からビシバシ伝わってきて、「意を決して読む」感があったもん。冒頭の時子奥様のひとり芝居と、それをこっそり見ているタキの胸中や、タキが姿を現してからの奥様の反応…この1シーンに、ふたりの性格やら関係やらが、なんと見事に凝縮されていることか!

主人公のタキは昭和初期のサラリーマン家庭に奉公する女中で、サラリーマンといっても東京に家を建てて女中をおくぐらいだから、全国的にみればちょっとした家なんだろう。赤い三角屋根と、素敵なポーチと、大きなステンドグラスをもつ「小さいおうち」。資生堂のカリーライスや、花椿ビスケット。お受験や歌舞伎座皇紀二千六百年の祝典に、夏ごとに遊びに行く社長さんの鎌倉の別荘。

一家はまさに昭和の東京モダンを満喫しているわけで、心が躍るような、お腹がすくような描写も多いのだが、楽しい気分にはとても浸れない。物語は、タキの「覚書」について、平成の現代からタキの甥の子が突っ込む形で進んでいくのだが、ふたりのやりとりでは、歴史が示すとおり、作中でもいずれそれらがすべて失われてしまうことが始めから示唆されているのだ。示唆しつつも、すぐにそのときが来るわけではない。日常は、個々の小さな事件を繰り返しながら、一見、穏やかに続いてゆく。けれど、少しずつ不自由になり、少しずつ厳しくなって、そして、いずれ必ず失われてしまうのである。

それは、実はもっとも残酷でおそろしい、そして真実を突いた戦争の描き方ではなかろうか。戦前とか戦中とかいうのは特別な時代ではないということだ。言い換えれば、今、一見、私たちが享受している平和も、戦前であるかもしれないということだ。みんなが呑気にして、物価がどうのこうのとか、税率がどうのこうのとか多少不満を言っている間に、あれよあれよというまに戦争になだれこみ、すべてが失われてもおかしくないということだ。

最終章が明らかにしたことの意味について、読後もしばらく考えてた。あ、以下、思いきりネタバレ含みます。

60余年の時を経て明らかにされる「奥様が書いた手紙を、タキは板倉さんに渡さなかった」事実。その理由として示唆される、タキの奥様への恋心。遡れば、睦子が諳んじた吉屋信子の一節もまた、その推測を裏付ける一助、いわゆる「伏線」になる。

それをオチとして「簡単だ」と評するミステリファンもいるみたいだけど、なんのなんの。この物語では、ひとつの謎が明かされたがゆえに、さらに大きな謎が提示されているではないですか。

「穏やかな最晩年を与えられず」泣きじゃくる彼女の姿が脳裏に残っていたからこそ、甥の子の健史もノートの“その後”を追うことにしたのだろう。タキが年老いてからもずっと心に飼っていた「後悔」とは何を指しているのか?  

冒頭に出てくる「主人の心の奥底の本意を読みとって、大切な原稿を火にくべたイギリスの女中」の逸話はこの物語の命題のひとつだ。タキが、奥様が心から望むことをしてさしあげられなかったことを悔いているのは間違いない。しかも、恋心という自分のエゴゆえに、手紙を渡せなかった一面があるから。

ただ、そうはいっても、板倉は実際、出征の直前に、奥様に会いにきたのだ。手紙などもらわなくても、彼は奥様に会いたくてしかたなかったのだ。結果的には、奥様は望んだとおりの逢瀬をかわすことができた。そして、奥様は、戦争の激化で実家の山形に帰るタキをきちんと送り出したし、その後、タキの一時上京をもとても喜んで、あまつさえ「あのときはごめんなさいね」と自分から口にしている。タキの行為によって奥様とタキとの関係が断絶したなら、その後悔は推して知るべしということになるが、そういうわけではないところに、謎解きのあともどこか「すっきりしない」感が残る。

だから、「板倉が会いに来た」というノートの描写が、タキの嘘なのではないかとも疑ってみた。あの事件の一連の出来事を書き残す前に、タキが「このノートは秘密のものではなく、健史も読んでいるし女性編集者が読むかもしれないから気をつけて書こう」と述懐する一コマは妙に思わせぶりだ。板倉が来なかったのならば、それは手紙を渡さなかったタキの責任である。奥様の恋路(といっても不倫だが)を邪魔したことを終生、後悔していて、せめてもの罪滅ぼしのような思いで嘘を書き、ノートを読む後世の人間には、「奥様と男は望みどおり最後の幸せな時間を過ごした」と思いこませたかった…という解釈。

この解釈を完全に否定する根拠は本文中にない気がするんだけど、このような「もってまわった」解答である場合、それを積極的に肯定する根拠がありそうなものだが、本文中にはそれも見当たらない。やっぱり、考えすぎな気がする。

私は思うのだが、タキの最大の後悔は、「奥様を死なせてしまった」ことにあるのではないだろうか。

物語の前半に、二・二六事件の際、主人である岡田首相の命を救った女中の話が出てきて、タキは「自分も何があってもこの家をお守りしよう」と心に決める。けれど、「いざというとき」手紙を渡せなかった。それなのに板倉さんがやってきたことで、奥様は、彼の口から「タキが手紙を届けに来ていない」ことを聞いただろう。それがもとで、タキは奥様と気まずくなり、ついには実家に帰ることになった。そしてその後、東京大空襲があり、奥様は自宅の防空壕で死んでしまう。タキがそのことを知ったのは一年近くが経ってからだった。奥様の死を知りもせず過ごしていた日々について、「たいせつなことを追い越した」という表現が繰り返し使われる。

つまり、手紙を渡せなかったことは、奥様の希望に添えなかったことよりも、奥様と気まずくなったことよりも、その結果、「自分のあずかり知らぬところで奥様が死んでしまった」後悔につながったのではないだろうか。自分さえそばにいれば、しかも、あの、夢のような小さいおうちの庭で、おめおめと奥様を死なせはしなかったのに、とタキは烈しく思ったのではないだろうか。あるいは、せめて自分も一緒に死にたかった、一緒に死ぬべきだったと。

もちろん、自身で書き残しているとおり、タキがお暇を出される背景には、「女中などおいている家はなくなっていた」厳しい戦局があるし、タキがいたところで空襲の被害に大差はなかったかもしれない。それでも、愛する人が死ぬということは、しかも、時代によって理不尽な死を迎えたということは、そのように割り切れるものでなくても不思議じゃない。

徐々に食糧事情が悪化していく過程でも、劣悪な状況下で学童疎開の寮母をさせられたことも、一生嫁にいかず楽な生活をしなかったことにも、一言も「つらい」と書き残さなかったタキにとって、あの小さいおうちとともに奥様が失われてしまったこと、その場に一緒にいることすらできなかったことだけが、自らの死が近づくにつれ、なおさら脳裏によみがえる、一生悔いても悔やみきれない悲しみだったのではないだろうか。あのとき手紙を渡していれば、奥様と気まずくなることもなく、ずっと一緒にいられたのではないかと。

この場合…というか、「会いに来たのは嘘」説をとらない場合、「書き方には気を付けよう」という思わせぶりな一節は何のためにあるのかという謎は残るのだが、これは、タキのその激しい愛情についての筆致が抑えられている、という解釈でもいいんじゃないだろうか。

それが恋だとか同性愛だとか、そういったものの定義についてタキが考えたとは思えないが、自分の中に、時子奥様に対する強すぎる思慕があることには自覚的だったと思える。彼女は一生、奥様と離れたくなかった、あの家で一緒に暮らしたかった。その思いを直截に書くことは分不相応だと自分を戒めながらも、大好きな人と一緒に暮らした夢のような日々と、彼女が失われた悲しみとを何かしら遺したい一心で、彼女はノートを書き進めていったのではないかと私は想像する。

だから、昭和モダンの、小さな贅沢の数々や、なつかしい東京の風景、そういった描写はこの物語を彩るために必要ではあるのだけれど、そこが眼目なのではない。現に冒頭、そういったものを望む女性編集者(彼女は私たち読者の比喩でもあるのだろう)に対して、「わたしの残しておきたいものと、微妙にずれる気がする」というタキの述懐がある。

そして、イタクラ・ショージの作品「小さいおうち」である。その「外側の世界」に何が描かれたか、また、彼の別の作品である「方向音痴」という作品の概略について、それぞれの短い説明に、私は夜眠れなくなるんじゃないかというぐらいの衝撃と恐怖を感じたのだが、そこで示されるのは、復員後、カルト漫画家として人気を博した彼が「イノセンス」をどう取り扱ったか、ということである。

「多くの作品の中で、彼はしばしばイノセンスを槍玉に挙げ、徹底的にからかい、笑いものにし、傷つける」とある。また、彼の作品に薄気味の悪い狂気や屍臭が含まれることや、彼が生涯独身で、自分を家族をもつに相応しくない者だと語ったことについて「軍隊経験で、何か非常に強い、人間性を脅かされる体験をし、生涯、それを作品に投影し続けたのだろう」という推測がなされる。

であれば、彼が徹底的に揶揄し傷つけた「イノセンス」は、まず自分自身のそれなのだろう。出征前の彼こそがイノセンスだった。いい年をして嫁ももらわず、音楽や映画や美術が好きで、大人同士の話よりも、子どもとおもちゃで遊ぶ方が楽しかった。世の中や時局について無関心だった。いや、平井氏や社長や、睦子女史のように、時局に敏感だった人たちであっても、決して、あんな壊滅的な敗北を、「人間性を脅かされる」従軍生活を予想などしなかったのだ。

彼はあざ笑いたかっただろう。呪いたかっただろう。何も知らずに無垢だった己を。知ったような口ぶりで時局を語っていた人々を。そして戦後には手のひらを返したかのように民主主義を有難がって押し戴く人々を。己が、皆がもっと賢ければ、あんな悲惨な戦争は防げたかもしれないのだ。

けれどその一方で、彼はただひとつのイノセンスに永遠にあこがれ、愛した。時子と、あの小さいおうち。タキが寄り添い、恭一が遊ぶその家は、世の中をどんな風雨が襲おうとも、世界の終わりがきたとしても、決して傷つけられるべきでない、完全無欠のイノセンスの形だった。板倉がタキの思いに気付いていたかどうかはわからない。けれど、「小さいおうち」という作品に時子の夫(彼の性質によって実際の夫婦関係はなかった)はいなくてもタキが必要だったように、タキは永遠のイノセンスの一部だった。タキが見返りを求めずに時子に尽くし、時子が無邪気にそれを受け止める。あの家の中で、ふたりが小鳥のようにさんざめきあい、また嵐の夜には身を寄せ合う姿こそが、板倉が目を閉じたときに浮かぶ幸福の形だったのだろう。おそらく彼が幾度かその腕に抱いただろう時子の肉体よりも。

夢のような日々、イノセンスに限りない憧憬を寄せつつ、同時に、己のイノセンスを憎む。「誰もが不本意な選択を強いられた時代」を告発しつつ、どんな時代でありどんな人生であっても、長く生きた人にはきっと胸に残る悔恨があるだろうという普遍性も感じさせる。秤の両サイドを矛盾なく描ききることのできる文学というものの可能性について、あらためて感じ入った読書の時間だった。

●追記
この文章書いた後、直木賞受賞時の、選考委員の評を読んだ。渡辺淳一が「秘めた恋愛事件があの程度とは、肩すかし」と書いていて笑う。それって趣味の問題でしょ!と思うんだが。他の候補作品を含めた全体評として「作家たるもの、もう少し異様な愛欲にまみれるとかして、そこからリアリティーをえぐりだして書くものだと思う。軽すぎる」とも書いていて、御大のぶれなさに恐れ入る。