『八重の桜』 第3話「蹴散らして前へ」

3話まできたので、この大河について自分なりの態度が決まってきました。私これ好きだわ〜! 漠然と「いい大河なんだろうな〜」っていうイメージが最初からあったんだけど、なんかハッキリ好きになってきたし、今後がすごく楽しみ。やだな〜、ブログは長くならないようにしたいんだけど。

八重が裁縫が下手だったり木登りが上手だったりするベタさはベタさとして確保してるんだけど(大河にはベタさも必要。)、家に「什の掟」の洗礼をいささかも受けていないスマートな年上男性が滞在するってのに、ドキドキするどころか「ワダスの銃が後回しになる」とふくれっつら。このガンオタめ! 

だいたい、妹が鉄砲玉の性格だから、(第1話で西郷頼母の叱責時に飛んできたように)年の離れた兄が庇ったり手綱引いたりするんだろうな〜と予想したら、兄も兄で相当な鉄砲玉って何ごとだw 藩のお偉いさんたちに歯向かって「井の中の蛙だ」とまで言い切ったあとでハッとして「いかん、やっつまった」って、やっちまいすぎだろww

そうしたら、いくらなんでもコイツがストッパーだよね、秀才然としてるし…と思ってみたら、いつのまにか兄の無二の友みたくなってるソイツ、実はやたらハートに火がつきやすく、自分の藩に退職願を出して会津まで押し掛けてくる始末。ひでー三人だwww

上つ方のほうはさすがにマトモだろうと思いきや、殿さまは血のつながらない妹を幼妻にもらっていて、けれど血のつながらない美しい姉と明らかに精神的に結ばれてるという…おまいら絶対、これまでもずっと文通してただろ?! 読みようによるとほのかに淫靡な文通してただろ?! 

そのうえ、覚馬さんと尚之助さんの間に漂うミョ〜な香ばしさとか、覚馬さんのミラクルボディとか(TLが一瞬でこれで埋まったw)、かわゆらしいワンコちゃんとか、銃ぶっぱなして「カイカン…」とか、涼しい顔して何でもかんでもぶっこんできやがるな!

…と、腐りきった視点も発動するってなもんですよ! いや〜、大河ドラマ青春編の王道をゆきながら、同時にネタの埋め込み方が半端じゃない。これ絶対、あらゆる需要を意識してるわ。脚本家のテクニックもあろうが、ここまでくるとNHKの総力としか思えないよね。すごい「傾向と対策」力!

茶化してるんじゃなくて、ネタの数々の埋め込み方が全然あざとくなく、稚拙でもなく、あくまで王道のていを成してることにびっくりしてます。こんなことできるんだ!と。

「清盛」の同志で、「八重の桜」に乗り切れない方、醒めた目で見てる方も多い中、自分はやっぱり大河クラスタなんだなーと実感する日々。

や、清盛への愛が衰えたわけではございやせん。自分は、長年の大河歴で、「年があらたまれば全く異なる大河が始まる」ということを体で思い知っている(大げさだなw)部分もあり、だからこそ、八重が始まる前に、目を血走らせながら清盛への愛を思うさま書き綴ってケジメをつけた(大げさすぎるだろw)わけであります。3年に一度でも自分の好きなカラーの大河をやってくれれば御の字だとも思っています。反面、天地人や江をやってた低迷期(←主観ですが)を乗り越えて清盛で堂々復活したように、大河の枠の底力みたいなのも信じています。

もちろん究極は好き嫌いの問題だから、がんばって見る必要なんて毛頭ございやせん。でも、個人的には、ひとりでも多い清盛クラスタさんたちがこれからも大河ドラマを見守り、楽しんでくれたらうれしいなと思っておりやす。それが、清盛を「特殊、異色の大河」という一般の評価から解き放つこと、清盛の良さを今後の大河に反映させ、生かし続けることにもつながると思うんですよね。枠って、やっぱり視聴者が育てていく部分も大きいと思うので。

枠なんて関係なくただ清盛が好きだった、というのはむしろ純粋なドラマの見方なんでしょうが、大河ドラマを一年間見た実績のある人は大河ドラマ向けの基礎体力(笑)が十分養われているので、ぜひそれを使って、より長い目で、より重層的に楽しんでいきましょうよ! と私は勝手に思ってます。謹んで。

なんせ、八重は面白いドラマです。私は2年連続で好きだと思える大河を見られる幸せをかみしめてます。一種の排他的な部分がむしろファンに熱愛された清盛でしたが、枠の性質上、老若男女、多くの人々が楽しめれば、やはりそれはすばらしいことです。なんもかんもぶっこんでくる八重の、「真剣に、真摯に全方位型をめざしてる」ような姿勢に私は好もしさを覚えます。

この真摯さには、すでに清盛と同じ側のものを感じてるんですよ。時代感覚の追求、「その時代」に対する敬意がすごく感じられますよね。柴田勝家が刺繍が好きだとか、江と秀忠が不審火をきっかけにやっと結ばれるとかいうエピソードで視聴者にアピールする作品は、大河としては下の下だと言わざるを得ない。清盛が外野にやいのやいの言われてたからって、あの暗黒作風に戻らなかったNHKの良識に安堵しますが、そこにも、視聴者の意見が反映されている部分ってあると思うんです。

今作でいえば、世界を知った若者と旧習に生きる旧世代との対立、もそうですが、普遍的なテーマを時代・地域に即して描くこと、舞台である会津や「ならぬことはならぬ」を美化せず、その硬直した面まで描くのも好感。フェアでフラットな視座でこそ、人間ドラマ、歴史のドラマが際立ちます。

前回、八重に対する深い親ごころを見せておきながら、やはりお家大事で(それが婿である彼の忠節であり現代でいう愛だと思う)、総領息子の将来が危ぶまれると即座に「三男を立てる」と言う父。初回で、弱気を洩らす藩主にはあれだけ毅然と意見しておきながら、覚馬には「こらえろ、焦るな」ばかりで彼の琴線に触れることは何ひとつ言えない西郷頼母(彼も会津の旧世代を生きているから)など、人物にブレがなく、三話ですでに魅力的なキャラクターが林立しているのもすばらしい。

謹慎をくらって凹む覚馬があっさり立ち直ってくれたのには安心しました。去年だったらそのまま十話くらい腐ってるとこです(笑)や、清盛好きだったけど、負の感情表現が過剰なところには時折閉口してたので、私。

幕府中枢の政治の進行についても、サラッとやってる割に絵面になかなか見応えがあり、今回、将軍家定とハリスとの謁見をやったのも面白かったですね。幾枚も畳を重ねた高みに座した家定が時折体を前後に揺らしながら大声で「遠路はるばる大儀」云々。「篤姫」の同場面を思い出した視聴者も多かったでしょうし、それを念頭において作ったシーンだと思います。こちらでは、あの折の「家定・暗愚のふりをする説」「篤姫イデア説」を全くなかったことにするような(あたりまえですが)画作りでしたが、同じシーンを違う番組で重ねて視点や役者の違いを楽しむのも大河の醍醐味ですよね〜