『最後から二番目の恋』終わりました

最終回といえば最大のイベントが起こるもので、主要人物が死に瀕するver.や、外国に行くなど離れ離れver.や、主人公が陥れられるver.、国家権力にまで結びつく大陰謀発覚ver.など、お約束ネタもいろいろあるんだけど、このドラマはそういうのをなーんにも使わなかった。

前回、プロデューサー千明がミーティングで言ってた「安易に人を死なせて感動させたくない。一生懸命恋愛してる、そのおかしさ滑稽さ愛おしさを描きたい」みたいなこと(うろ覚え)、最後までそのとおりのドラマだった。だから、真平の病気も現状維持。すばらしい。マンガみたいなとこに収まった飯島直子夫婦はね、あれはいいの、あそこはそういう担当だから。

千明&真平、和平&大橋さんの別れ話シーンを絵だけで流したのも良かったな。うん、そこはわざわざ、セリフで見たいわけじゃないもん。そのあと、出て行った(そして燃える夜を過ごすwww)飯島夫婦に取り残された千明と和平がしんみりと語り合うシーンは、話の内容もさることながら、キョンキョンのきれいさと貴一のかっこよさ(スーツの着こなしと、片肘を下げて椅子の背もたれに置いてるようなその角度!)で絵に見とれた。

第8話の感想で書いた、

ふたり(=キョンキョン&貴一)の恋は、恋模様をがっつり描くんじゃなくて、恋の入り口に立つ、くらいで終わっちゃうのかなあ。「これが最後ってわけじゃないもん、最後から二番目の恋だもん」って宣言しあうツンデレのふたり…て感じだろうか、そんな素人のつまんない予想はぶったぎってほしいものだ。

って予想は、大筋で言うと当たった(最後から二番目っていうのが坂口憲二とじゃなくて貴一との恋であることをほのめかす、という意味で)わけだけど、「素人のつまんない予想」のちゃーんと斜め上をいってくれる素敵な演出で大満足だった。このドラマだって、設定やあらすじだけを見ればじゅうぶんファンタジーだし、ご都合主義だと思う向きもあるかもしれないけど、ぐっと世界に入り込ませてくれた、そこがキモよ。

バーベキューでみんなで笑いあって、それぞれに日常をバックにキョンキョンの「前を向いて生きる大人」のモノローグがあってテーマソングが流れて、そうかーこのまんまで終わりか〜それもありだな〜と思わせたところで、エピローグが始まって、キョンキョン&貴一がやっぱり仲良くケンカしながら歩いてて、そこで互いへの好意のセリフがポロリと出る。平然としているキョンキョン(=男前)と、「そんな大事なこと、なんでこんなところで言っちゃうのよ!」と責め立てる貴一(=昭和の乙女)の図っていうのも、最後まで、“らしく”て。

回を追うごとにどんどん見やすく、かつ見応えの出てくるドラマだった。最初のころに濃厚だった自虐臭みたいなのがどんどん減っていって、年を重ねることへの肯定感にみちていって、登場人物たちみんなが愛おしくなっていった。

毎回、場所を変え品を変えて繰り広げられる豪奢な40代女子会と、回転ずし・エステ・カラオケ・居酒屋・カフェ・キャバクラなど、大人にとって身近な娯楽を網羅した場面設定。対照的に、美しい浜辺や、キョンキョン&貴一がいつもケンカしながらくぐる極楽寺駅の改札、八幡宮の鳥居…など、毎回出てくる鎌倉の風景。「風のガーデン」、「それも、生きてゆく」に続いて、宮本理江子の演出を(それと認識して)見るのは3作目だったんだけど、やっぱり良かった。音楽も良かったよね、ほっこり系もあればフランス映画風なのもあったりして。

途中、「話が進まないな〜」なんて思うこともあったけど、それがこのドラマの味というものだった。怒涛の展開で視聴者を釘づけにした「家政婦のミタ」へのアンチテーゼ…とまでは作り手は意識してないにしても、同じ宮本さんの「それでも、生きてゆく」も毎回へとへとになるようなドラマだったよね。

今回は、こんなふうに、役者と会話で見せるドラマを作ったってことだ。キョンキョン&貴一のすばらしさは言わずもがな、なにげなく交わされる会話の中にもハッとさせるセリフがいろいろあった。益若つばさがプリプリしながら語る「脚本家の主張」みたいなのも、なにげに好きでした。「監督が意志を通そうとすると“アーティスティック”なんて言われるのに、脚本家がそれやったら単なるわがままと思われる」とかねw

ともかく、貴一とキョンキョンの相性がこんなにいいとはね。あー、終わっちゃった。さみしいな。最後に、人気絶頂のころから基本的にアンチ浜崎あゆみだった私ですが、このドラマの最後に流れる曲にはけっこう愛着をもっていたことを告白しておきます。あゆもこんなふうに、主張しすぎない曲でドラマに彩りを与えるようになったんだねぇ、とちょっとしみじみ。