朔太朗的日常:満1才3ヶ月 〜あんよ編

「もうちょっと経つと、○○するようになるんだろうなぁ・・・(もしくは、○○しないようになるんだろうなぁ)」。

小さい子を育てていると、そんな想像が日常的に浮かぶもんです。“もうちょっと”は、想像の中では“2ヶ月”とか、せいぜい“1ヶ月”とか、現状があるていどの長さ続いたあとにやってくるはず・・・なのだが、あっさりと“2日後”とかに実現してしまったりするのが、恐るべき子どもクオリティ。

1ヶ月前の記録を見ると、

靴を履いたら、片方の手を親と繋いでいないと歩かない。ちょっとでも離すと、ぴたっと固まる。ま、これに関しては、あっちこっちに飛び回られるよりもいいよね。

と書いているのだが、既に「ちょっとでも手をつなぐと、ぴたっと固まる」になって久しい感の今日このごろだ。

まず、行きたい方角を主張するようになった。サクは、車、特にバスが見たいので、大通り沿いを歩くのが好き。しかし親としてはむろん、車の少ない裏道を行きたいわけだ。来るべくして来たる分かれ道。ぴたっとサクの足が止まる。私、つないだ手を軽くひっぱり「こっちだよ」と促す。サク、地面に足を踏んばる踏んばる。「んーーー」と言いながら踏んばる。オマエは、どーしてそんなに力が強いのッ?

という日々のあと、座り込みの技を覚えた。う、動かねェ・・・。「じゃ、車が進入禁止になっている道では手を離して歩いていいよ〜」ということにしたら、キャッキャ言ってひとりで歩く(むしろ走る)ようになったんだが、そうなるとまあ当然ながら、車が通る道にもそのルールを適用しようとするよね、子どもは。

スーパーの中をひとりで歩き(むしろ走り)回るのも大好きになった。小さなスーパーだし、と、ちょっと油断してたら、あっという間に見えなくなるわが子の姿。こんなにも早く、「サク〜! サク〜!」と大声で呼びながら探して回る羽目になろうとは・・・。怪我、とか、かどわかし、とかが頭をよぎってビビりまくった。早晩慣れて肝もすわるんだろうが、慣れるのもいかんよね、こういうのって。

今では、「まだ帰りたくないんだもん」とか、「自分で行く道を選びたい=指図されるのがイヤなのッ」とか、「疲れて歩きたくないよ〜」とか、座り込みにもいろんな理由があるもよう。私としては、(座り込む=すぐに抱っこしてもらえる)という図式を成立させたくないので、なんだかんだなだめたりすかしたり。まあ、業を煮やして抱っこもするので、教育的に意味はないかもしれんけど。いいんだ、深く考えてないもーん・・・。

ともかく、外に出るのはすごくうれしいみたい。親が出かける準備を始めると早々に自分の靴をもってスタンバイしたりしてるし、ドアを開けて一歩出るときとか、「そんなにも喜んでくれてありがとう・・・」ってお礼を言いたくなるくらいにニッコニコしてる。その笑顔が見たくて、親は毎日(多少面倒でも)君を連れ出すのだよ。

あと、朝。サクの寝起きはいいときも悪いときもあるんだけど、たいがい、寝ぼけまなこをこするようにしながら頼りない足取りで寝室から出てくる。私が「おいでー」と言って膝をつき、両手を広げると、てってって、と歩いてきて、ばすん、と体当たりするように抱きついてくる。毎朝こんなに幸せでいいのか、いや、期間限定、期間限定・・・・と唱えたりして。