『オードリーの小声トーク 六畳一間のトークライブ』

オードリーの小声トーク 六畳一間のトークライブ

オードリーの小声トーク 六畳一間のトークライブ

彼らを最初に見たのは例の2007年M-1の決勝というまさにマジョリティなわたくし、一発屋としてそのうち消えていくんだろうと当初は浅はかな予想をしておりました。てか、書いてからびびった。現在、2011年ももう2月の半ばですよ。あれからすでに丸3年以上が経過してるのか!

ブレイクのとっかかりこそ春日の独特なキャラ先行だったものの、“じゃないほう芸人”と括るには能力の高すぎる若林、そして徐々に見えてくる春日のタフガイ&好青年ぶり・・・など、意外にしゃぶりどころがいっぱいのコンビなのである。

それにしたって本まで買っちゃって、好きすぎるだろ、俺! …と、気恥ずかしい(てか、ありていに言うとキモい)んですけれども、おすすめせざるを得ない。

結果としてはブレイク前夜といってもいい2005-6年、いまだ売れる兆しすらなかった彼らは場所代に困って、春日の家でライブを開催することにした。テレビで見た事のある人は多いでしょう、あの春日の、お風呂のない、狭い「むつみ荘」の一室で。毎月末の定期開催で12回シリーズ、定員は10人。彼らはみずからその模様をビデオカメラに収めていた。そのライブを書き起こしたのが本書。M−1で見せた「ズレ漫才」のスタイル(?)には至っていないけれど、そこにはすでのオードリー以外の何者でもない二人がいる。

つまりそれは、愛すべき春日と、いかれてる若林。

私、春日が大好きなんよね!「怒らない」「頑健」「ケチ」「相方好き」などそれぞれのエッセンスも好きなんだけど、そのすべての土台になっている「影のなさ」にすごく稀有なものを感じる。コンプレックスの原因ってあらゆるパターンが考えられるはずなのに、お金がないとか人気がないとか、ある種、その中の典型的なものを抱えてたこの時代から、やっぱり春日さんという人間の底には不思議な明るさしかなくって、この本でそれが確認できてすごくうれしかった。

対照的に、見れば見るほどめんどくさい奴だとは思ってたけども、ここまでとは!と、読んで驚かされたのが若林。こいつはね〜、ほんと、面白い。んで、屈折してるよ。屈折具合に芸人魂を感じる。小心な一般人の私は、実際に若林と知り合いだったりしたら、ちょっとこの人のことコワいんじゃないかって思う。

このふたりががっちり組んでるのが、オードリーなんだなあ。

そして、もうひとつのこの本の魅力は、青春の残滓にあふれてること。当時すでに27,8歳にもなってる二人を表現するにはなんか妙な感じがするんだけど、学生時代からの長い付き合いだけあって、仲の良い男子同士が家で(まさに春日の家が舞台なんだけど)だべってる雰囲気もあるライブ、売れてないがゆえにそこに横たわる「あてどなさ」みたいな感じ・・・・今になってみれば、まぶしいような切ないような嫌悪感をもよおすような、なんともいえない感じがある。おもしろくて笑える中に、まさに青春の残りカス的な風味のあるのだ。

引用は、ふたりがそれぞれに書いているあとがきから、一節ずつを。この、ふたりのズレっぷりがなんとも秀逸!

春日:(エミ注:春日の手書き。中学生みたいな字!)
はてさて、本書に比較的多数収録されている「小声トーク、むつみ荘にて」は2005〜2006年にかけて開催された故、春日がまだ現在のような「完全体春日」((注:今もまだ春日の進化は止まってなし!こんな書きかたしたら春日がもう上げ止まりみたいじゃねぇか!バカヤロー!!!!!)ではなかったことが春日的に新鮮でやした。いわゆる「春日前夜」というやつでごんすな。

若林:(エミ註:このトークライブの打ち上げと称して、背中に女性の局部を象徴するマークを描き合う競技をして遊んだ夜更け)
ただ、春日の背中だけは「○」だった。競技に優勝したからだ。「どこがだよ・・・」と呟いた。28歳にもなってこんなくだらないことをしてるオレって芸人らしくない? という激安の自意識と、芸人っぽいことをわざわざするということがもうとっくにめんどくさいんだ。という感情が、正面衝突して、消えた。