『フラガール』

私にとってはものすごく珍しいんだけど、2006年の公開中に2回も見に行ったんだよねえ。一度目は、友だちと。それがあまりにも良かったんで、母親を誘ってもう一度行った。ミニシアター中心の上映で、この辺ではシネ・リーブル博多でしかやってなかったんじゃないかな。両方ともそこで見た。

それが、あれよあれよというまにすっかり名作の仲間入りを果たした感がある。地上波の放送も、もう4回目くらいじゃなかろうか? すでにエバーグリーンの貫禄。最初の地上波放送では20%前後という好視聴率で始まりながら、前回は12%くらいまで落ちているのも、いいかげん既見の人が増えてきた証ともいえそう。

しかしこれが定番のおそろしい実力というべきか。映画とテレビとで合わせて5回くらい見たんじゃないかって私なので、2/6の放送前日の時点では、「もう、さすがに結構」と思ってたんですよ。しかし、いざ始まったら、見ちゃうのよ〜。

「時代が変わったからって、なんで俺たちまで変わらなきゃならね?」
「こンの、でれ助〜!」
「笑うな! ・・・泣くな! 忙しい子ねえ」
なんて、次にくるセリフもしっかりわかっていながら、チャンネルが替えられまへん〜。結局、最後まで見てしまった。そして感動。

新藤兼人の「おもちゃ」同様、何度見ても泣いちゃうところが2箇所+ひとつある。

ひとつは、早苗が夕張に引っ越すための別れぎわ。父親が炭鉱のリストラに遭ったための引越しであり、彼女は、フラのダンサーの夢を断念することを余儀なくされるのである。
「おれ、今まで生きてきた中で、いちばん楽しかった!」と早苗が言う。ここでぐっとくる。その言葉に、湿っぽい空気が苦手で、ひとり離れて地べたに座り込んでた松雪泰子が、たまらなくなって立ち上がり、自分のサングラスを早苗にかけるのだが、サングラスをとったその目は涙に濡れており(と、この演出は、まぁベタっちゃベタなんですがね)、ふたりは無言で固く抱き合う。もうだめ。うわーん。

ちなみにそのあと、走る車を追いかけてきた蒼井優と車内(というか軽トラの荷台の)早苗が「じゃーな!」「じゃあなああ!」とだけ、ただそれだけを叫びあうシーンもいい。

もうひとつは、昭和40年代前半、人前で肌を見せて踊るような仕事に嫌悪を示し、喧嘩して断絶状態となっていた蒼井優の母親、富司純子が、夕張の早苗から届いた小包を娘に渡すため、フラの合宿所に向かう。すると、そこでは蒼井優が一人きりで踊っている。その踊りは激しく美しくて、まさにプロのもの。母が見ているのに気づきながら、黙って踊り続ける娘。想像を超える娘の成長を黙って見つめ、小包を置いて立ち去る母。「結局、仲直りしないんだ・・・」と視聴者が小さく落胆するのはつかの間のことで、次のシーンでは、フラの舞台になるハワイアンセンター反対派であった母親が、センターに必要なストーブを村人から募り始めるのである。

「私たちの時代、仕事は暗い穴ぐらで、生きるか死ぬかでやるのが当たり前だった。でも、これからは、ああやって笑顔で踊って、みんなに喜ばれる、そんな仕事があってもいいんじゃなかろうか?」
母は村人たちにそう訴え、「ストーブ、貸してくんちぇー」といってリヤカーを引いてまわるのである。うわーん、うわーん。

そしてとどめは、最後、晴れ舞台で超絶にすごいダンスを見せる娘・蒼井優に、泣き笑いのような万感こもった顔で、客席から割れんばかりの拍手を送る母親の姿ね。あー、思い出しただけで、涙が・・・。この映画の富司純子の母親力は圧巻だよ。表情だけでも、泣かせる泣かせる。

こんなふうに、せりふのひとつひとつももちろんいいんだけど、説明的なせりふがほとんどないどころか、「無言」のシーンがすごくいいのもこの映画の特徴。

電車で去ろうとする松雪泰子を引き止めるため、娘っ子たちが向いのホームで、「To Your Sweet Heart Aloha」(だっけ?)を無言で踊るシーンもそう。私、あなた、愛している、涙を、拭いて、など、フラの手振りには手話の要素が含まれているという説明を松雪がする以前のシーンが見事な伏線となり、この駅のシーンではせりふは要らないのだ。ダンスがあるからこそできることなんだけど、そのダンスそのものがまた、とにかくすばらしい。