『今朝子の晩ごはん〜環境チェンジ!篇』(松井今朝子)

作家、松井今朝子による日記形式のブログを文庫化したものの第4弾。

今朝子の晩ごはん―嵐の直木賞篇 (ポプラ文庫)

今朝子の晩ごはん―嵐の直木賞篇 (ポプラ文庫)

あれー?! 最新刊の表紙がアマゾンにUPされてないので第2弾にリンク。
松井今朝子さんは時代小説を書く作家なので、一般にはイマイチ知名度が低いかもしれない。表紙の折り返しにある作家略歴をもとに、以下に簡単にご紹介。

1953年、京都祇園生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科にて演劇学を専攻し修士課程終了後、松竹に入社。歌舞伎の企画・制作に携わる。
その後、ぴあに移って演劇担当記者となる。
退職後は武智鉄ニに師事し、歌舞伎の脚色・演出を手がける。
1997年、『東洲しゃらくさし』で作家デビュー。『吉原手引草』で第137回直木賞受賞

松井さんの日記の大きな特徴は、アクティブ感と同時代性だと思う。

日記は毎日更新される。本のタイトルにあるように、毎日の表題はその日の晩ごはん。
基本は自炊、それも「キューピー3分クッキング」で紹介されるメニューを作られることが多い(キューピーからマージンをもらっているわけではない)。そのほか、友人や編集者との外食もたびたびで、乗馬レッスンの日には、帰り近所でお惣菜を買うのも定番。とにかく健啖家で、食べることも作ることも大好きな様子。それもそのはず、彼女は祇園で50年の歴史を誇る老舗料亭『川上』のお嬢さんなのだ。

そんな貪欲な「食」が中心になっているものの、もちろん、作家という本業のことも日々書かれてある。

この日記シリーズ第2弾の日々の中では、見事!直木賞を受賞された。その日に始まる取材攻勢や受賞パーティ、執筆や講演のオファーの激増についてリアルタイムで綴られた文章はものすごく生生しく、「直木賞をとったあとって、こういうふうになるのか!」と知らしめるレアな記録だと思う。受賞パーティーに歌舞伎界や演劇界の重鎮がズラリ居並んだというのは松井さんの出歴ならでは。受賞スピーチのため壇上に立つと、椅子さえ置けない狭い会場で、身動きとれないギチギチの寿司詰めになっている祝い客の中に、小柄な坂田藤十郎夫妻が居て肝を冷やした、などというエピソードも面白かった。

作家、というと、どうしても、世の中に背を向け斜にかまえ、昼夜逆転の不健康な生活をしているような、インドアでアウトサイダーなイメージがあるんだけど、松井さんという人は、実に外向きで行動的。

50才を過ぎて始めた乗馬の魅力にとりつかれて週に1度はレッスンに通っている。作家の職業病として肩凝りはひどいらしいが、下半身の筋肉のしなやかさは整骨医が驚くほどのもので、それも乗馬で培ったものだというし、乗馬クラスでは、馬とだけではなく、そこに通う老若男女たちと交遊を深めていく様子も克明に書かれている。

他方、大の亀好きでもあり、自宅にはつがいのリクガメを放し飼いにしていて、著作には『大江戸亀奉行日記』というのもある。直木賞受賞後には、亀をはじめとする動物たちの楽園・ガラパゴス諸島に旅行しており、これは少女マンガ界の大家・萩尾望都と一緒に行ったもので、彼女によるマンガ風の旅行記も日記本に収められている。

専業作家になってからも歌舞伎をはじめとする舞台演劇はコンスタントに鑑賞しており、その感想も随時アップされる。福岡では日常的に舞台興行がなく、したがって情報もなかなか入らないのだが、唐沢寿明阿部寛大竹しのぶ松たか子宮沢りえ、若手では藤原竜也小栗旬といった、テレビドラマ・映画でもおなじみの俳優が、どんな舞台に出演してどんな役どころを演じ、かつての専門家にどういう見方をされているのか?などを知るにも楽しめる。

この日記シリーズは1冊にちょうど半年分を収めて刊行され、今回の第4弾は2008年下半期分のものである。となると、舞台やテレビ番組、スポーツについてなど、書かれていることは、現在の読者の記憶にも新しい。

エンターテイメントの面のみならず、時事について多く触れてあるのが松井さんの日記の特徴で、この第4弾では、サブプライム問題に端を発した世界同時不況、混迷する日本の政治、オバマ大統領誕生、教育問題や殺人事件などについても綴られている。その筆致は、快刀乱麻を断つが如し!

日々の文量は、パッと見、だいたい1,000字くらいかなあ・・・決して長くはないんだけど、豊富な語彙ながらも簡潔な言い回しでズバッと核心をついた意見が書かれており、刊行直後に読むと、ついこの間のことだけに、その切り口には目が覚めるような思いがする。また、後年に読んでも貴重なものになるだろう。評論家としての仕事をしていない作家の立場で、具体的な時事問題について、ここまで日常的に意見表明する人は、当代には珍しいと思うからだ。しかも、その意見が本当にすがすがしいほどハッキリしていて、まさに「女丈夫」といった感じ。こういうことを書くリスクもあるだろうに、そんなの、とんと意に介していない様子も頼もしい。

松井さんは作家なので、もちろん政治や金融、教育等のプロではなく、その意見には知識不足だったり、的外れな部分もあるのだろう。それでも、どんな立場の人間であれ、この世の中に対して関心をもち、感想を述べる権利はあって、それを堂々と行使するべきなんじゃないかと私は思う。

松井さんは歴史に詳しい作家という立場で、また、かつては企業人、舞台人として働いた視点でこの時代を見ている。また、私は半年あまり前に読んだのだが、『西の魔女が死んだ』でおなじみの作家・梨木香歩さんの著書『ぐるりのこと』では、自然や動植物の生態系に詳しく、海外でいろいろな宗派の人と暮らした経験をもとに著作活動を続ける彼女ならではの視点で、この時代について思うところが書かれていた。

もちろん作家だけではなく、元スポーツ選手だったり、お医者さんだったり、あるいは一般的なサラリーマンだったり、主婦や母親であったり高齢者であったり、いろんな人がいろんな立場で「この時代」「これからの時代」を見て、それに対して意見をもつことによって、より多層的な価値観による大きな意見が形成されると思うし、たとえそれが直接は反映されなくても、すごく意義のあることだと思う。それは社会のためだけではなくて、その人個人の人生をも豊かにすることに繋がるんじゃないかなあと思う。

確かに、政治や金融がどうだとか、50年後、100年後の世界がどうだとか、日常には関係ないし、そんなヒマもそうそうないんですけどさ。でも実は、毎日ちょこっとずつでも、ニュースに触れるような時間はあるし、それがムダなんてことは、きっとない。私たちは意見をもつことによって社会に参加する。そして何かに参加するというのは、より自分の世界を広げることだと思う。

世界が広がることによって、たとえば現状への憂いや将来への悲観に繋がることもあるんじゃないかとも思えるが、そこは、それ。私たちは政治家でも革命家でも、学者でも日銀総裁でもない。自分の人生をせいいっぱい生きるだけだ。日常の生活とささやかな日ごとの楽しみ・あるいは苦しみと、この世の中のことは、並行しながらも割り切って考えればいい。どっちかに偏る必要はないし、どっちかを捨てる必要もない。松井さんの日記は、そういうふうな、「この時代」を生きる楽しさとたくましさにみちている。