『日本国憲法の200日』(半藤一利) その1

日本国憲法の二〇〇日 (文春文庫)

日本国憲法の二〇〇日 (文春文庫)

過去の戦争について初めて知ったのは小学校1年生のときだ。6月19日に福岡大空襲について習った。それから、7月7日の盧溝橋事件、8月6日の原爆忌、12月8日の真珠湾攻撃といった日にも平和教育があり、それとは別に、年1回、体育館に大スクリーンを設置して、『はだしのゲン』とか『対馬丸』のような子ども向けの戦争映画を見ることになっていた。私が小学生だったのは1980年代後半なので、そのころはまだ戦争体験者も今ほど高齢化しておらず、そのような人の講話を体育館で聞くこともあった。沖縄戦のことも習ったと思う。

空襲や原爆が市民にとってどんなに悲惨なものか、大陸で日本兵がどのように残虐な行為を行ったか、というようなことを、具体的な阿鼻叫喚のエピソードを交えて教えられることは、小学生の私には恐怖だった。目の上の低空を旅客機が通る音がするだけで、「爆弾が落ちてきたらどうしよう」と想像したり、平和教育のあった日からしばらくは父親と一緒に寝たがったり。私の異常なほどの怖がりように、昭和18年生まれの両親もほとほと呆れるほどだった。

今にして思えば、そのころ通った小学校は、当時としてもかなり平和教育に力を入れていたのではなかろうか。それも、日教組的な力が強かったというか、いわゆる左翼的な教え方でもあったように思う。現に、5年生で引っ越して転校した先では、原爆忌に夏休み中の登校日が設定されていた程度だった。それがどれほど、子どもだった私をホッとさせたことか!

平和学習というのは本当に大事だと思う。それでも、あの小学校での教育はどうだったんだろう? 無垢な子どものまっさらな脳に、最初から「戦争は絶対にだめだ、何が何でも愚かしいものだ!」と植えつけるのは、ある意味、疑いようもなく正しいことだといえそうだ。しかし、あのころの教育体験が強烈すぎて、私は逆に、「戦争関係のことは、恐ろしいから、これ以上もう何も知りたくない!」と長いこと思っていた。過去に日本が体験した戦争ばかりではなく、現在も世界の各地で続く民族紛争や宗教戦争についても、もう一片たりとも知りたくもなかった。怖かったのだ。一種の思考停止状態に陥っていた。

小学6年生になると、社会では「歴史」を習うことになり、そのころ既に大河ドラマや各種マンガで戦国時代やら平安時代やらにかぶれていた私にとっては「待ってました!」という感じだったが、教科書の再後半にある昭和期の歴史をパラパラと見て、これを習うときがくるのだと思うだけで憂鬱だった。

しかし、予想に反して、実際の授業はあっさりしたものだった。中学校でも同じだった。昭和の世というのは時系列上、どうしても3学期の学習になり、学年末というのはなんだかんだで時間がなかったりするのもあるし、昭和が終わってまだ間もない当時だから、「現代史」ということにもなるその頃を客観的に評価して子どもに教えるのは難しいという理由もあったのかもしれない。

高校生になると、日本史は必須科目ではない。が、昭和史さえ除けば、歴史オタクの私である。社会では当然、日本史を選択。そこで初めて、昭和史について割と詳しく学んだ。そのころから、国内では『新しい歴史教科書』を作ろうとするグループの活動が活発になり、彼らは、いわゆる「自虐史観」を脱しようという趣旨の本を多数出版したので、それらのいくつか読んだ。それは私にとって瞠目の内容であり、そこから、もともとの歴史好きの性質もあって、よりいろいろな視点からの本を読むようにもなった。

もちろん今も、戦争や紛争を根絶したいという気持ちに変わりのあるはずもない。ただ、かつての自分はあまりにも無知だったと思った。戦時下の暮らしや空襲・原爆にあわれた人たちの悲惨さを知ることは、もちろん戦争反対への意志を生むものだし、痛みを分かち合う(と、体験していない者がいうのは傲慢だろうが)という意味でも大事だけれど、残念ながら、それだけでは戦争を防ぐこと、止めることはできない。

日本の本土に空襲が始まったのは、おそらく昭和17年か18年。しかし、そこに至るまでには長い道のりがある。戦争の端緒をどこに特定するのかは専門家の間でも意見の分かれるところだろうが、張作霖爆殺事件は昭和3年、柳条湖事件は昭和6年、盧溝橋事件は昭和12年だ。日本の国土が壊滅的な打撃を受け始めるまでには10年以上もの年月があったことになる。どこかで回避できなかったのか? なぜ、できなかったのか? 日本の指導者は、どういう政策(軍事策)をとっていたのか? 世界の指導者は? 当初、日本の世論がいっせいに開戦礼賛したのはなぜか? 

そういうことを考えるためにも、歴史、とりわけ、近い歴史、戦争に至るまでの歴史というのを知らなければならないんじゃないかと思う。それはもちろん、小学生に教えることじゃない。子どもには俯瞰する能力がないから。国内外のさまざまな状況というのは、中学、高校、大学というふうに成熟していくに従って、理解できる範囲が広がるものだろう。でも、今の日本の高校大学では、そういった学習が必修ではない、つまり、今はもう、私たちのような30代だって、昭和前期の歴史のことは、ほとんど知らないんだよね。とても不思議だ。そんなんでいいの? 近い時代のことだから、教えるのが難しいという理由だけなのかなあ? 教えたくない理由、勢力ってのもある?

ともかく、こんな感じで(だんだん文章が雑になってきましたよ)、私は戦争に至るまでの歴史について知りたくて、大人になってからいろいろな本を読んだのだけど、それに比して、終戦後についての意識が薄かった。この本を読むまでは。

って、やっと、この本の話だよ。もう時間がありません〜。また次回(あれば。)