生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために (2)
「細かすぎる平和教育」の弊害(?)で長らく戦争周辺に強いアレルギーを持っていた私なんですが、いかんせん、同時期から大河ドラマが大好きだったもんで、自然、高校に入ると日本史を選択しますわな。そのころには流石に大人になりつつあったので、近現代史の授業も身を入れて受けてて…っていうかだんだん近現代史の面白さにも目覚めてきて。
ここでいきなり終戦までの年表を掲げますが。
- 1928 昭和3 張作霖爆殺事件
- 1930 昭和5 昭和恐慌
- 1931 昭和6 満州事変
- 1932 昭和7 五・一五事件(犬養毅首相暗殺)
- 1936 昭和11 二・二六事件(皇道派青年将校のクーデター、内大臣斎藤実、蔵相高橋是清らを殺害)
- 1937 昭和12 盧溝橋事件 → 日中戦争開始
- 1938 昭和13 国家総動員法制定 東京オリンピック中止
- 1939 昭和14 ノモンハン事件 (ドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦開始)
- 1941 昭和16 真珠湾攻撃 → 太平洋戦争開始
- 1942 昭和17 マニラ、シンガポール占領、ミッドウェー海戦
- 1943 昭和18 南洋の島々で玉砕相次ぐ。出征学徒大壮行会。
- 1944 昭和19 本土空襲開始
- 1945 昭和20 東京大空襲、沖縄戦、広島長崎原爆、ポツダム宣言
このうち、いわゆる「平和教育」の題材になるような出来事…空襲とか疎開とか玉砕や特攻など、全国的(およびアジアや南洋全全域)にどこもかしこも悲惨な状況に陥るのは、最後の2、3年なんだよね。
だけど、その、ずーーーーーっと前から、きな臭い時代は続いているのね。血が流れる事件も折々で起きている。中国との開戦は早い*1。かといって、終戦の2,3年より前までは、不穏ながらも粛々と過ぎて行っているというか…。
小学生的・平和教育的な知識だと、なんとなく「軍部が暴走」とか「大本営の嘘に国民は騙されていた」とか「現人神として君臨していた天皇」みたいなイメージなんだけど、それは歴史の一面でしかない。「日本は最初から、全面戦争に向かって一億まっしぐらだったわけじゃないんだ…」ってのが、高校で日本史を勉強したときの驚きだった。たぶん、小学校でも、中学校でも昭和史は(3学期ぐらいにサラッと)やってるはずなんだけど、やっぱりそういう驚きを得るには高校生ぐらいまで成長しなければならなかったんだと思う。
犬養毅は「憲政の神様」と言われ、満州事変を話し合いで解決しようとしていたし、盧溝橋事件が起きたときも、当時の近衛文麿内閣はいち早く「不拡大方針」を打ち出している。天皇は立憲君主的で、国政を意のままにするなどとは対極の立場にあった。その天皇が唯一(唯二ですが)主体的に動いたのが二・二六事件の鎮圧と終戦のときで、特に太平洋戦争については、当初から一貫して反対の立場だったという。
なのにどうして、あんな破滅的な戦争になってしまったんだろう?という疑問が浮かんで、雷撃のように私を撃ったよ。
もちろん治安維持法はあったわけだけど、政党内閣だったんだよ。新聞だってあったし言論人もいた。世論というものが明治に生まれていたのは「八重の桜」で見るとおりだ。ある日突然、軍部がなんもかんも握って国民を洗脳できるような、そこまで未熟な時代じゃない、昭和のはじめってのは、もう。
大正後半は世界的に軍縮の時代だった。そこに、昭和初期の深刻な不況。地方では身売りや間引きが相次ぎ、「大学は出たけれど」就職先もない。二・二六事件に参加した将校たちは若く、貧しい地域の出身者が多かった。満州事変のあとは一時的に軍需景気が発生して、財閥はもちろん、その恩恵を被った人は多かったろう。海軍に多かったといわれる対米強硬論。日本を追い込むブロック経済。
いろんな状況があったとしても、当時だって、国民ひとりひとりの根幹は同じだったに違いない。「自分が痛いのも家族が死ぬのも人を傷つけるのもイヤだ」って。人間だもの(by みつを)。それでも戦争を防げなかった。ある日いきなり襲われたんじゃない。じわじわと昭和の初めから17年くらい、ずーっと、不穏で、でも、ずーっと、戦争を避けようとする動きもあったのだ。「戦争はイヤだ、怖い、痛い、悲しい、ダメだ」って思いを持っていた人がたくさんいたから。一般の人はもちろん、政治家の中にも、たぶん軍人にも。
血の流れる事件が起こるたびに、「こんなんじゃだめだ」「危ない」「なんとか事態を打開しないと」という気持ちになっていた人はたくさんいる。だけど飲み込まれた。確かに軍のあり方も、憲法も、世界情勢も今とは違う。だけど、「だから飲み込まれるのは当然だった」というのは結果ありきでの単純な結論づけだし、「『戦争はダメだ』とさえ念じていれば戦争は防げる」というのは、あまりにも“あまちゃん”な気がする。そんなふうに思わせる静かな恐ろしさが、昭和初期の歴史にはある。そうして再び現代に向き直り、未来を思えば、こんなちっぽけな自分でも、よりいっそうしっかりしなきゃな、と思うんである。
願わくば歴史に目を向ける人の増えんことを。
(だいたい日本史を選択しないで高校卒業できるなんてどうかしてると個人的には思うんだけど、美しい国だの愛国心だのさんざん標榜しながら、アベさんがその辺にちっとも手をつけようとしないのは、やっぱり政治家としてはそのあたりを勉強してほしくないってとこがあるんだろーなーと勘繰らざるを得ない。ま、かつて私が身をもって体験した左巻きっぽい平和教育もどーかと思う部分はあるが、「戦争を知らない子どもたち」どころか「戦争があったことを知らない子どもたち」が増えるのは、それこそが平和が続いている証左とはいえ、やっぱり問題ありすぎると思う。) (つづく)