『日本人と象徴天皇』 NHKスペシャル取材班

日本人と象徴天皇 (新潮新書)

2015年、2回にわたって放送されたNHKスペシャルをもとに編まれた本らしい。記述の8割がた、昭和天皇に関して。残りが今上、つまり平成の世の天皇

昭和天皇についての研究は、実質亡くなってしばらくしてから始まったわけで、私がシロート目線でこの20年くらい?いくつかの本を読んできただけでも、「進んできたなあ」と感じるしこれからもっと進んでいくんだろう。

皇太子時代に洋行し、第一次世界大戦の戦跡のむごさをつぶさに見た昭和天皇(当然だが、当時、そういうものを見た日本人はほとんどいない)は、満州事変も、盧溝橋事件や英米開戦についても否定的で、平和を願う御製(歌ね)を多く作っていた。没後あるていどの時期までは、そんな「そもそもの平和主義者」な天皇像を伝える本が多かったように思う。それも確かな一面なのだと思う。

しかしある時期から、「大元帥としての天皇の言動」が明らかにされるようになってきた。たとえば山田朗の『昭和天皇の戦争』だったり。これは東大の加藤陽子さんが新聞に書評を書いていたので学術的な本と見てよいと思う。

本書「日本人と象徴天皇」では、3章「新憲法下の天皇外交」を始め、戦後から冷戦期にかけての天皇の動向が印象に残る。「憲法下で “象徴” という役割に転じても、天皇は変わらず国家元首としての意識を持ち続けていた」というのがその眼目である。

天皇は時の首相を始め閣僚を呼んで「内奏」という情勢説明を欲し、アメリカ側に対して自分の意思を伝えることも辞さない。そのあたりのことは、岩見隆夫の『陛下のご質問』などでもうずいぶん前から出てはいたが、最近ますますはっきりと踏み込む研究が増えているように感じる。天皇は冷戦構造における日本の安全保障のため、米軍基地はもちろん沖縄占領も是としていた。

先日、「今上は“現人神”としての父・天皇の歩みに疑問があったのでは?」という記事が出て(西日本新聞、2018.8.16)驚いたのだけど、即位前から一貫して特に沖縄に寄り添うことを重んじてきた今上の姿勢を思い返して、なかなか興味深い分析だと思った。

とはいえ、戦後の昭和天皇の発言(もちろん、基本的に非公式の発言)は「戦争を容認するということではなく、国際政治でいう “勢力均衡論” であり、かつて大元帥の地位にあった天皇の軍事的リアリズムだろう」という本書で紹介される分析もまた、あたっているのではないかと思う。象徴といってもそれがどのような役割を果たすべきなのか、誰も知らなかったのだし、天皇には天皇なりに「日本国」に関する責任を終生手放すことはなかっただろう。政治家は(日本もアメリカも)その知見や権威を適宜利用したのだろう。「そりゃ、するよな。天皇という存在があれば。」という感じがする。

天皇制の是非や、まして天皇の戦争責任について触れる本ではないのだけれど、読むとやはり考えさせられる。戦前戦中とて、天皇に権威はあっても権力や実力はないシステムだっただろうと思うと、やはり彼一人の力ではどうすることもできなかったのではないかと思うし、まして彼は自分で望んでシステムの一部となったわけではなく、根本的に、システムの中に生まれ落ちただけだ。

利用した者も曲解した者も守ろうとした者も、みな「システムありき」で動いていた。システムがいかに歯止めをなくして暴走したのか、システムの修正システムをどう作るべきか? そしてシステムは大衆にどう作用したのか? 現状を鑑みても、その研究…研究そして敷衍が喫緊に必要だろう。そういう意味でも、今読む価値のある本ではないかと思う。