フクジョウシ、その意を知ったはいつの日か?
さて、家に帰って、明日のお弁当のおかずを作り、録画していた「天地人」を見る。
このドラマに対するハードルは、既に自分としては、古今の大河ドラマの中でも例を見ないほど低くなって久しいわけで、
「もはや、突っ込むために見てます。でも、まがりなりにも伝統ある大河なんだから、1話にひとつくらいは、宝石のようなシーン、役者の芝居があるかも」
なーんて惰性で見続けていますよ。
今日で2回目の登場となった、武田勝頼役の市川笑也さん。
猿之助一座のスーパー歌舞伎で女形として活躍されてる方で、私は歌舞伎では見たことないんだけど、wikiを見ると「もう49才なのか・・・・!」とびっくり。
私と笑也さんの出会い(出会ってないけど)は、なんと、もう20年近くも前に遡るのでありますよ。
「日本ファンタジーノベル大賞」なる文学賞が新潮社の後援で創設され、その第1回受賞作となった『後宮小説』(酒見賢一)がアニメ化となったのが1990年。
- 作者: 酒見賢一
- 出版社/メーカー: 新潮社
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(そのころから既に、好きになったら一直線に突き進む性格だったのね・・・)
今でも大事にエミ文庫の1冊として祀っている(?)のだが、そのとき、主人公・銀河の夫となった皇帝・コリューンの声を演じたのが、若き日の市川笑也さんでありました。
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アニメはゴールデンタイムに放送されたため、子どもが楽しめる作品に仕上がっていたが、原作はタイトルからして『後宮小説』とくれば、娘が買ってきた本を見た我が親は、
「これって小学生女子が読むような本なワケ・・・?」
と眉をひそめていたが、その危惧は今にして思えばもっともなもので、この小説は、
腹上死であった、と記載されている。
という、身もふたもない書き出しに始まるのである。
続いて、
「天子様は後宮で亡くなられたらしい」
「お好きな方でいらっしゃったからなあ。ありえないことではないな」
「とすれば、それは畏れながら、房事の最中に違いあるまい」
「そうかもなぁ。場所が場所だからなぁ」
「とすればだ。奇麗な夫人の上であったろうことは疑いない」
「いや、おそれおおいことだが、下であったかもしれん」
「なるほど、そうかもしれないが、そうに違いなくもあるな」
「お好きな方だったからなぁ」
「本当に・・・」
と、下世話極まりない会話でこの小説は続いていくのであって、私の両親が全くもって読書に興味のない人種だから良かったようなものの、最初の2ページでも読んでいたら、12歳の娘がこんな小説を読み進んでいくのを、張り倒してでも阻止したに相違ない。
しかし読んだ本人(私)といえば、その頃はもちろん性のイロハの知識すらないので、その後も延々と(しかし淡々と)続くシモの描写に特にドギマギすることもなく、ただ、詳細を理解する能力はなくとも、子どもならではの小さな視点から俯瞰して、
「これはアニメよりも、断然大きく奥深い、大人の世界を描いた作品なのだな。」
と、一国の衰亡を描くというスケール感と、それに比して下世話なディテールに、ただただ感心していたのであった。
この小説は、30歳になる今日まで、もうかなり読み返してるんだけど、1,2年おきに読むたびに、心も体も(?笑)大人になっていく自分と相まって、新たな発見があるんですよー。
つい先週も、結婚して以来はじめて読み返したばかりです。
しかし、これを書いたとき、酒見賢一氏は20代の若さだったわけよね。
どんな世界でも、モノになる人って、器が違うなあ。
超大作になりそうなので、まとまった分量になってから読み始めようと思っていた「陋巷に在り」のシリーズも、いつの間にか完結しているようだし、これは近いうちに、手をつけなければいけませんね。
ちなみに、このアニメ、主人公の銀河の声をあてたのは、今は芸能界からすっぱり身を引いた、武豊騎手の奥様たる佐野量子さんだったはず。
自分の中で過去最高の4カテゴリにまたがらせた記事になりました。