『村上ラヂオ 2 おおきなかぶ、むずかしいアボカド』 村上春樹

10年ぶり?の村上ラヂオ。これはもう鉄板でしょう。面白くないわけないでしょう。しろうと考えで思うに、村上さんほどの才能や体力(作家としての)があれば、ananはともかく(週刊だから)、同じくマガジンハウスから出てるGinza(月刊)、最低クウネル(隔月刊)ぐらいなら、常時、エッセイの連載できそうなもんだし、してくれたらうれしいところなんだけど、「まえがき」代わりの文章で、「小説を書いているときは忙しくてとてもエッセイの連載どころではない」とハッキリ書かれてた。そうなのか…。

そんな話を、「本職が小説家である僕にとって、エッセイは、「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなもんだと思ってるけど、でもビールは飲まないって人もいるんだし、せっかく作るからには日本で一番おいしいウーロン茶を作ろう、という気構えもあって…」などというウィットあるたとえで書く村上さん、やっぱり超絶。

最初の「野菜の気持ち」、最後近くの「カラスに挑む子猫」や「ベネチア小泉今日子」は、手を変え品を変え書き続けられている村上さんらしい思考。「オリンピックはつまらない?」も、名著「シドニー!」の読者はもちろん、「村上朝日堂」なんかでも書かれたことのあるテーマだけれど、ぜひいろんな人に読んでほしいなと思う。

僕は現地で日本選手・チームの出る試合ももちろん見たけれど、それよりは日本と関係のないゲームを飛び込みで見る方が多かった。たとえばドイツとパキスタンホッケー試合、とか。そういうのって、ただそこにいて見ているだけで面白いんですよね。利害が絡んでないぶんゲームの流れを純粋に楽しみ、プレイにワクワクすることができる。世界にはさまざまな人がいて、強いなりに弱いなりに懸命に汗を流してがんばってるんだと実感する。メダルを何個とったかなんて、国家や国民のクォリティーとは何の関係もない。つくづくそう思う。


実際のオリンピックにはそういうナマの血が通った温かい雰囲気がある。不思議な「場の力」みたいなものが。ところがテレビの画面からは、それが伝わってこない。すぽっと消えてしまっている。日の丸が揚がった揚がらなかった、だけで話がどんどん進み、アナウンサーが大声をあげ、強い世論みたいなものまで作られていく。これは選手たちにとっても僕ら自身にとっても不幸なことではないか。

あと、私が本書収録の中で特に好きなのは、「体型について」「医師なき国境団」「ちょうどいい」「並外れた頭脳」あたりですね。村上さんは本当に「ふつうさ」と「独自さ」のバランスが絶妙で、突拍子もないエピソードを繰り出してきて笑わせたかと思えば、ちょっとゾッとするような暗い深淵に触れる文章を書き、また「うんうん、生きるってそういうことだよな。」と小市民読者を頷かせたりもする。

「決闘とサクランボ」で触れられるプーシキンの短編のオチ、相当気になる。そしてなんといっても、今昔物語版「おおきなかぶ」には唖然としました。なんっちゅー、下世話っていうか、シモネッタな話を知ってるんだ、しかもananの連載で書くんだ(ええ、私は好きですwww これ読んだら一生忘れんぜ)。そのうえ、あろうことかサブタイトルにまで…。さすが、侮れない村上さんなのである。必読の一章です(?)。