今さらですが、衆議院選挙の個人的総括…からの、特別国会が始まってますね
政治家は政策や能力で選ぶべきで、同属だから・握手して話したからなんて理由で応援したり投票したりするのはおかしい。・・・とは思う。基本的に。
でも、実際、たまたま7月に自分の区の元議員さんと勉強会をしたのは大きかった。
(・・・というわけで、そのときのレポートにまたリンクを貼ります)
mamajanaiwatashi.hatenablog.com
民進党分裂からのモロモロもあったしね、彼を素直に選挙で応援できたわけじゃない。
でも、勉強会に一緒に参加した友人たちはみんな、
これまでより関心をもって選挙を見つめてたと思う。
ここ福岡2区は全国有数の激戦区だったしね。
で、今、国会中継を見たら、彼が国会議員として席に座っている!
これは「おおっ」て感じます。
議員として彼が国政で何を発言しどんな活動をしていくのか、
これからも気になって見ていくだろうなと思います。
やっぱり、政治や政治家を、何らかの形で身近に感じることが、政治参加への第一歩なんだ。
そういう意味では、
候補者たちが辻立ちをしたり、地域の行事にせっせと参加するのもわかるなあと思うようになった。
それから、3月にSEALDsで中心にいた女性とランチする機会があったり、
那珂川町の議員伊藤さんや、市民ネットの方たちと出会ったのも、
私にとって大きなきっかけでした。
◆
逆に言えば、
予想段階で結果がわかりきってる選挙区に住んでいたり、
候補者がどんな人物なのか知る機会がなければ、
そりゃ関心も持てないよねと思う。
選挙やりますってなっても、ふーん、てなもんだよね。
「自分から情報をとりにいって勉強するのが有権者の義務だ。」
というのは簡単だけど、
それが難しい事情もわかる。
選挙がどんなに大事なのか、
政治がどんなに自分たちの生活と未来に影響するのか、
日本では教えられる機会がほとんどないから。
世界を見れば、がっつりと主権者教育・歴史教育する国もあるけど、
日本は全然だもんね。
政治の世界に楽しい話はあんまりない。
難しい話だったり、汚いヤジだったり、スキャンダルだったり…。
政治的なことを声高に主張する人は往々にして攻撃的だったりもする。
そういう雰囲気にうんざりした多くの人が、
政治から距離を置く。
関係ないよ、自分にできることなんてないよと思う。
自分の生活だけで精一杯だからと。
そうやって、良識ある多くの人々が政治から離れれば、
それは、権力側にとっては好都合なんだよね。
投票率が下がれば、選挙は与党に有利。
黙ってても議席はとれる。
議席がとれたら、法案は通る。
だから説明する必要なんかない。
いろいろあっても、しばらくすれば、忘れてくれるし・・・。
って感じ?
で、選挙後、
「特別国会は7日間。所信表明はしない」
「国会での野党の質問時間を減らす」
「加計学園、認可!」
「教育無償化は、認可保育園だけ」
「大学は、実質はローンね。卒業したら返して」
「国の文書は1年で捨てるルール作ろうかな」
などなど、さっそく、いろいろ言い出した。
おいおーい。
謙虚に、丁寧に説明するって話はどこいったー?
ま、驚きはしない。
この政権は今まで5年間、ずーーーっとこういう感じだったのだ。
「選挙で勝ったんだから、これだけ議席を持ってるんだから、我々は国民全体に信任されている」
と言わんばかりのスタンス。
現政権を選挙で勝たせるとは、そういうスタンスを許すこと。
今回また、そのスタンスを許したということだ。結果的に。
だから、選挙後、あんな話やこんな話が出てくるのだ。
◆
ただ、希望はあって(希望の党じゃないよw)、
ひとつは、与党内部に、政権へNOを言う声が出てきたこと。
まったくもう、やっとこさだよ。
当選した翌朝、福岡10区の山本幸三議員(自民・加計問題でアレだった人だけどさ)が、
「9条改正は絶対反対」
と言った。
「自民党内部でも、ぼくら宏池会は基本的にそういう考えですよ」
と。
特別国会は、7日間でなく、39日間開催されることになった。
野党の質問時間を減らす案にも、与党内から苦言が出ているという。
(実際どうなるのかはまだわからない・・・注視)
そして、立憲民主党ができた。
これが一番の収穫。
「私はこの政党を支持します」
と言える政党ができたのが。
個々の政策はまだ見えづらい面もあるけど、
枝野さんたちの言葉には力がある。
言葉に力があるのは、根っこに理念があるからで、
政治家や政党の理念に共感できるってすごくいいなと思った。
昨日の国会での代表質問もとてもよかった。
言ってることがちゃんとわかるし、「それな。」と思えるので、聞いてても短く感じる。
(全文はこちらにあるよ!)
https://www.facebook.com/rikkenminshu/posts/129296784423272
自分たちが政治に対して求めることを
言ってくれる・やってくれる政治家を
議員として国会に送る。
それがまっとうな形なんだよね。
逆に、理念に賛同できない政治家や、
理念が見えない政治家しかいないのはつらいことだよな、と。
政治家が身近に感じられない、支持する政治家や政党がないのは、
当たり前でしょうがないことじゃないんだよね。本当は。
市民として、不幸なことなんだよ。
◆
立憲民主党はSNSでの伝え方が上手くて、いい感じに盛り上がってる。
(街宣やSNSでの戦略には、元SEALDsの人たちの貢献もあるみたい。
こうやって、草の根が積み重なってリンクしていくのも、いい感じ。
やっぱり、無駄なことなんてない。失敗も糧になる。)
【ママじゃな】相方のちひろちゃんとも、こないだ、
「推しを明言していきたいよね」
と話した。
「立憲民主党を支持しています」
「草の根からの民主主義に共感します」
と堂々と言いたい。
なかなか堂々と言えない日本の世の中ですが・・・
言える人から言うことで、変えていくしかない。
私は、twitterもfacebookもやってて、
私のタイムラインには、
大河ドラマや朝ドラとか、
歴史関係、
音楽、映画、テレビ番組、
役者、アイドル、
フィギュアスケート、
子育てあるある、
おいしいごはんやお酒、
友だちの表現活動やイベント、
友だちの近況報告などなど、
いろんなことが雑多に流れてきます。
その中に混じって、
ジェンダーや家族や教育の問題、
そして
政治のことも流れてきます。
そこまで含めて私の日常だと思ってます。
そこまで含めた私の日常を、
私もまた書き散らかして、誰かのタイムラインに流しているわけで・・・。
うんざりしないで、見てくれる人がいたらうれしいのですが。
あまりに多いとうんざりしますよね。ごめんなさいね💦 適当に流してね。
できれば、たくさんの人の日常にも、
自然な形で、政治が含まれていくといいなと思っています。
それは私たち自身のためになるはずだから。
長月の六 / Mステに小沢健二とか
●9月某日: しくしく。歯医者へ。久しぶり。親知らずを温存しているので、2年にいっぺんくらい何かの拍子で痛くなる。でも痛くならないとなかなか歯医者に行かないのでちょうどいい機会だったりもする。しくしく。
発売して半年近く経っていた『海街diary』最新刊をやっと入手したので待ち時間から読み始める。面白かった・・・しみじみ。夜ごはんは、豚バラの塩焼きとたっぷりキャベツ。もやしときゅうりの和え物。そのほか、空心菜炒めとかアスパラサラダめざしとかトウモロコシとかトマトとかちょこちょこしたものをドバッと大皿に盛ったらなんか素敵な感じになった。
夫、今日からアルコール解禁。Mステのトリに小沢健二とセカイノオワリで『フクロウの声が聞こえる』。す、す、すごいエネルギーが放出されていた!!!
小沢健二しか作れない詩、曲、ワールド! 服部隆之が生オーケストラを生指揮するとか、なんという豪華さ・・・。もちろん服部さんが昔の曲もストリングスのアレンジとかやってたの知ってるけどさ、「これはやっぱり小沢くんがポケットマネーでギャラ払うんだろうか」とつぶやくと、夫が「ギャラの支払いとかそういうレベル超えてんじゃないの」って。そうね、祖父の代くらいから両家に付き合いが合って「僕と健二くんの仲じゃな~い」みたいな。
それにしても、小沢健二とだいすけお兄さんが一緒にMステに出てる2017年を誰が想像したでしょうか。そしてタモさんのうしろで福山雅治と小沢健二(ともに乳児の父)が談笑する2017年・・・
●9月某日: 10時から朝ラン、7kmちょっと。後半けっこうきつかった、9月の日差しをなめてた。でも走ったあとはスッキリ。夫がiphoneを最新機種に変更。サクもドコモショップについてった。事務的作業の間は、ショップに貸してもらったipadでyoutubeを見ていたらしい。はー。すごいな、21世紀。
夜ご飯はコロッケ(じゃがいもとかぼちゃ2種)、フライドポテト、生ハム、しいたけとしめじのソテー、トマトなど。夫が朝からこまこまと準備していたので、サクも「よるごはん たのしみだな!」とわくわくしてた。夫のインスタブーム、もうしばらく続くだろうか。品数や彩りが気持ち(1~2割?)増しているのだ☆
『ブラタモリ』で長瀞の特集だったけど、今までどんな番組でも見たことのない土地だった。まさに風光明媚。ブラタモリを見ていると、断層の隆起とか川による浸食とか、要は地学的な説明って映像(動画)で見るに限るなとつくづく思う。教科書(静止画)じゃわかんなかったわけだよ。と勉強不足の言い訳。
『72時間ホンネテレビ』(後)
たくさんの人がゲストに来て絡んだり、顔を出したりしてくれてとてもうれしかった。
山田孝之、きゃりーぱみゅぱみゅ、爆笑問題、リリー・フランキーなど、自由なイメージの芸能人たちが出るのは納得で、そういう人たちと3人との相性は当然良いのだった。驚いたのは、山崎賢人が1コーナーがっつり、ピンで出たこと。ダストの売れっ子なのに! ダストは大丈夫ってこと?! てか、「腹蔵なんて皆無です」て感じの賢人くんとSMAPとは、これまた相性いいことがわかったよね…。ああ、東出くんも出てほしかった!!
山本耕史が出るのには何の驚きもなく、むしろ誰一人出なくても山本さんは出るでしょ、って感じだけどもちろんうれしいし安定感が格別だし、彼を筆頭に『新選組!』のキャストが次々に登場して胸が熱かった。オダギリジョー、谷原章介、佐藤浩市まで出てくるんだもん!
そして「新選組!」の脚本家、三谷さんね。香取慎吾のスター性や才能を早くから見抜き惚れこんで、たくさんの仕事を共にしてきた人。忙しい三谷さんが即興の脚本を書き3人に稽古をつけて一緒に芝居を作っていくプロセスを見せるコーナーは、まさに新しくてエキサイティングなコンテンツだった。その意図や、コーナーを終えての所感などは、三谷さんの新聞連載『ありふれた日々』に2週にわたって書かれ、やはり3人へのエールとリスペクトがつづられていた。
「わけもわからず出てきました」って感じの賢人くんを除いては(彼に関しては、それがステキなところ)、名のある人々はみんな自分の意思で出てるんだろうなって思った。話題の番組に乗っかりたいなんて次元にはいない人たちが、3人や、彼らの新しい取り組みに深い好意や意気を感じて出演したんだなぁというのがそこここにあふれてた。
出たくても出られなかった人もきっといっぱいいたんだろうな。それはしょうがないことだよね、と思う一方で、それこそが問題なんだよなとも思う。「こういう業界だから仕方ない」「誰か一人が悪いわけじゃないんだよね」みたいな許容が、さまざまな弊害を存在させ続けてるんだと思う。能年さんの名前とか、電通の高橋さんの自殺とか、相撲界の暴行事件とか、モリカケもそうだし、いろーんな問題に共通する問題。SMAPの解散がただの芸能ネタなんかじゃないよねと思うのは、そこだ。そして、「新しい地図」はそこに風穴をあけている。
彼らは絶対に誇大広告をしなくて、『新しい地図』と同様、『ホンネテレビ』という名称もダテじゃなかった。最初の夜、つよぽんがこの番組のために作ってきたという歌の歌詞にびっくり。「新しい別の窓」略してアベマの歌、というタイトルがこれまた本質的で、かつ気が利いてるんだけど、その歌詞が。これまでの息苦しさとか、世間の排他的な風潮とかもちゃんと盛り込んでる。だからといって、負のオーラはまったくなくて、「だからこそ新しい別の窓をあけて気持ちいい風に吹かれて世界にとびだそう!」っていうメッセージは、なんかもうSMAPそのものだよね。
堺マチャアキとの圧迫面接wでも、彼らが語るアイドル論はとても興味深かった。そして泣けた。もうとっくの昔にアイドルの固定観念なんて突破してるし、でもやっぱり最高のアイドルなんだって、ファンが思っていることを、彼らは全部わかっていると思えた。マチャアキは怖かったけど、「世間」の姿だったんだよね。私なんかはかなりファン寄りな気持ちで見てるけど、「仲がうまくいかなくなって解散したんでしょ?」とか「四十代だし、もうグループの名前はいらないよね」とか、悪気なく思ってる一般の人だってたくさんいるもんね。彼らはそういう相手にも、臆せず、激せず、誰かを責めたりせずに、とてもフラットにホンネを語るのだ。
そして、森くんにもホンネを求めたのがまた熱い。「脱退をみんなに黙ってるとき、どんな気分だったの?」とか「(オートレースを)やめたいと思ったことはある?」とかさ。テレビの世界から離れて20年以上経つ人に、しかも生放送で聞くか?!っていう危うい質問だ。へたなこといったら炎上するし、かといって上辺だけの答えでも興ざめだもん。
それらの質問ができたのは、彼らがこの番組とホンネで勝負してるからだし、何より森くんを信頼してるから。森くんなら大丈夫と信じたからだよね。そして森くんがまた、見事に応えてくれる。ホンネで、簡潔だけど真情がこもっていて。森くんは別の道を選んだけど、彼が番組の最後に寄せたメッセージの通り、ずっとSMAPの仲間なんだなって思った。
最後の72曲ライブ。ライブ! そう、ファンが見たかったのはそれだ。
「僕たち、曲がないから」っていう一言にも泣けたが、セットリストは彼らが歌うのにふさわしい名曲ばかりだった。歌唱力とかじゃない「歌の力」を感じさせてくれる人たち。ああ良い歌だな、とか、ああ、彼らに重なる詞だな、とか、とにかく味わい深い。いつでも生歌でそのときの声を聞かせてくれるのも大きい。彼らは隠さない、とりつくろわない。歌もダンスももっとうまいグループはたくさんあるけど、やっぱり彼らのライブが見たいと思える。見られないと淋しい。
見ながら、「これはSMAPだな」とすごく自然に思った。3人だけど、名前は違うけど、SMAPだ、と。これまでも、5人そろわないことがあった。そのときもSMAPは活動できる人たちで活動しながら待ってた。今もそうなんだ、と思った。いや事態はかなり深刻ですけど、今回の問題はかなり根源的なところにあるわけですけど、当時もやっぱり、前代未聞で先が見えない中で彼らは活動してた(休んでた)のだ。
ゲストたちからのVTRを見て吾郎ちゃんが泣き崩れる姿がいろいろなところで取り上げられたけど、私は、72曲歌い終わった直後の彼らを見て既に泣いてた。ありがとうと繰り返しながら、3人とも呆然としたような顔をしていて、すぐに言葉が出てこなかった。
「できたね」「なんとか歌いきることができた」という言葉に、ずっと楽しそうにしててすごく自然体だったけど、やっぱり簡単な挑戦なんかじゃなかったんだと思った。彼ら自身、最後までできるのかどうか自信がもてないくらい手探りで、不安もあったんだなって。たくさんの制約もあっただろうし無尽蔵のパワーが必要だったんだろう。
慎吾くんが「ずっとボロボロだったからね。ボロボロだった僕らをずっとみなさんが支えてくれてここまでこれた」と言ったとき、わたし、声あげるくらい号泣。彼らは最後まですごいホンネを話す。やっぱりずっとボロボロだったんだよね、と思うとすごく悲しい気がするし、ここにいない2人が心配にもなる。でも彼らはそんなときにファンを支えにしてくれるんだ、ってことが本当にすごい。尊い。
「3人だから、これまでより強い気持ちで、前に進んでいかないと。みなさんが原動力です」とつよぽんが言った。たぶん「(今は)3人だから」って意味だと思う。「こうして会うの久しぶり。元気だった?ずっと変わらず応援してくれて・・・」と吾郎ちゃんが言った。「ほんと、気持ちよかったね。やっぱ楽しいね」と慎吾くんが言った。
なんかさー、両思いだよね。すごいよね。このフィナーレを見ていてつくづく思った。ファンが彼らを思うのと同じくらいの強さで、彼らもファンを思っているのがすごくわかる。ファンが彼らに望むことと、彼らがやりたいことは、奇跡的なくらい一致してるよね。それはどっちかが無理してるんじゃなくて、彼らとファンとが築き上げてきたものなんだよね。
だから彼ら5人は、ファンが5人を望んでいることもちゃんとわかってるし、彼らのほうでも、それをもっとも望んでるんだと思う。なんかそれを確信した。森くんの「ずっと仲間だよ」は6人にかかってる。6人ともそう思ってるはずだ。
おわり。
『おんな城主直虎』 第46話 「悪女について」
ううっ、そうよね・・・信康事件の帰結、最初から知ってた。そうなるよね・・・。
前回ラスト、氏真が異様にかっこよかったから軽く期待しちゃったけど、史実に立ち向かえるはずないよね( ノД`)。。。 瀬名の首桶を囲んで共に涙にくれるための氏真さんのにわか活躍であった・・・容赦ない、そして巧緻な脚本よのう! そう、とわ・鶴・亀が井伊谷の幼馴染3人なら、氏真・瀬名・家康は共に今川で育ったいわば幼馴染なんだよね。一方で氏真は、かつて(家康の裏切りに怒って)瀬名を殺そうとした張本人でもある。
◆
家康と瀬名との一筋縄ではいかない関係が最後まで描かれていた。単純に美しい夫婦愛とか、冷え切った関係にしてしまわないところが佳子さんの腕ってもんよ。
長年別居していて、夫には(おそらく複数の)側女がいるという状態だから、嫡男であるよくできた息子を生きがいにしているのかと思いきや、瀬名は今も変わらず、夫とぼんやり過ごしたいと楽しみに待っていた。偽の手紙を用意して罪をかぶろうとするのは身を挺して子を守ろうとする母の姿そのものだが、「愛する息子のため」でなく、「殿と、殿の愛する息子のため」に死ぬのは本望だと言う。
「自分はあのとき殿の強運に救われた命だから」という言葉が切なかった。今川館一の美少女であり、徳川家の正室・嫡男の母となりながら、瀬名は深層心理ではずっと、自分の命をはかなく、ちっぽけなものだと思っていたのかもしれない。
でも、「遺される者の気持ちを考えたことがあるか」と直虎に迫られた彼女は、遺る家康に、とても優しい言葉をかけるのだよね。「信康と徳姫に子宝が授かったら、その子は私です」と。「だから、悲しむことはありません」と。もう、ここでダーダー泣いたわ!!!
瀬名は家康を最後までずっと愛していた。
という事実がある一方で、家康の首桶を前にした悔悟「わしのせいだ。わしがもっと頼りがいのある夫だったなら、おとなしく岡崎に座っていてくれただろうに」も真実だと思うんだよね。万千代の話を聞き、「井伊は逃げる・隠れるには慣れております」という直虎の力強い(勇猛果敢に戦うイメージの戦国時代ドラマでこう力強く宣言するのが可笑しいところだ)後押しにも、少しも心動かされない瀬名の暗い表情が印象的だった。
家康は決して瀬名を軽んじたりどうでもいいと思っているわけではなかった、たぶんずっと。瀬名がどう思っているかを気にかけて数正に尋ねたり、「ずっと泣かせてばかりだった」という自覚もあった。
でも、実際に叶えてやった願いは(劇中で描かれたのは)虎松に井伊を名乗らせることにした、それぐらいなんだよね。家康は、今川館から瀬名と竹千代(当時)を救い出したあともずーっと寺に放置してたり、やっと来たかと思ったらすぐ帰ったり、井伊を助けてやってほしいという瀬名の切実な願いをかなえなかった。そして信康の潔白を必死に訴える彼女を一顧だにせず、「乱心した」の一言で閉じ込め、会話も持たなかった。
もちろん、家康には家康の、武家の当主としてのいろんな事情があるんだけど、やってることだけを見てると、そりゃ瀬名ちゃんも夫を信じられないよね、ってなる。「これこれこういうわけだからしばらく井伊に隠れとくがよかろう」と万千代を連絡係にした。事務的なんだよ!! 命の危機に瀕しながら「あまりご無理なさらぬように」という心のこもった言葉を父に託した信康との差な!!!
万千代の育成や、岡崎衆への恩賞など、家臣に対しては公明正大かつ情をかけてきた家康が、瀬名に対してそれができなかったのは、まあ多分、愛であり甘えなんだろうね。瀬名ならわかってくれる、許してくれるという思いでずっときたんだろうね。そうなの、瀬名は家康を愛していた。でも、何も言わない、してくれない夫を信じきることはできていなかったのよ。報いだなあと思う。家康は直虎に伏しはしたものの、一言の言葉もなく政次を見殺しにした。そして同じく、きちんとした言葉がけをしてこなかった瀬名に信じてもらえず、瀬名を失った。その瀬名の首は役に立つことすらなく、徳川は結局、嫡男までを失うことになるのである…
◆
信康と瀬名を残酷な運命が襲うことによって、家康が悲しみの淵に沈み、万千代が大きな挫折を味わう・・・というだけじゃなくて、直虎に「これから」を突きつけるのか~!ってのが印象的だった。
瀬名は徳川のいわゆる「解死人」になった。(結果的には信康も許されなかったのであるが)信康を失うよりは瀬名に罪をかぶせよう、という暗黙の了解が家中にあった。瀬名がどんなに賢く、人望厚いお方様だとしても、女である以上、同じ流れになっただろう。そこで瀬名は妻として母として命を使いきることを選んで、死んでいった。
女というのはそれだけで社会の中心じゃなく、周縁の者なのだ。でも今作では、さらにその周縁を描く。妻であり母であることが女の中心舞台だとしたら、直虎の場所はそこではない。「妻でも母でもないそなたは、何に命を使うのだ?」 直虎にそう尋ねる南渓和尚もまた、武家に生まれながら武士としての人生が望めなかった周縁の者だ。
かつて直親が死んだとき、その変わり身となって生きようとした直虎は、政次の喪失を始め厳しい現実に打たれもはや戦わないことを選んで井伊の看板を下ろした。もう若くもない。次は万千代に託す。そして、万千代を通じて徳川に戦の無い世を実現させようとする。
万千代はまた、信康の思いを継ぐことも期している。自身が語ったように、政次に碁を教わり、碁を通じて人生訓を教わった者でもある。
こうして、生き残った者は、さまざまな者の思いをさまざまな形で引き継ぎながら生きていかなければならないということだね。
豊かな才能や強運をもった万千代、ひいては徳川家康が、最終的にはあまたの死者や弱き周縁の者たちの思いを収斂して継いでいくのだけれど、じゃあ周縁の者たちは単なる弱者・敗者なのか?というと決してそうではない!!というのが『おんな城主直虎』の物語なのだなあと思った。
瀬名も、ふりかえれば政次や直親などなども、誰かのため何かのために精一杯生きて命を使ったのだ。それは自己犠牲という名の美談ではない。むごい戦国の世の中にあって、彼らはをそんな形で命を使わざるを得なかったのだ、と描いている。だから戦国の世を終わらせなければならない。直虎はそのために力を尽くさなければならない。
とはいえ、ちっぽけな井伊谷の農婦にすぎない直虎が徳川を思いのままに動かせるはずはない。でも、井伊谷で起きたことが、今、徳川を襲ったように、日本中のあちこちの大小の地で、同じことがずーーーっと繰り返されてきたんだよね。そして、きっとあちこちで、直虎や万千代のように、「こんなことが繰り返されるのはもうまっぴらだ、終わりにしたい、誰か良い人に託したい、そのために力を尽くしたい」と思ってる人々がいる。信康と瀬名を失ったことで、家康自身も骨身にしみている。
家康はやがて江戸幕府というとりあえずの太平の世をひらく。それは英雄の偉業ではなく、凡人が英雄になったわけでもなく、「皆が当事者としてそれを望んだからそうなったのだ」という物語になっていくのかなと今回思った。
◆
今回もみなさんの演技よかった~
瀬名を前に爆発する直虎。大河ドラマの醍醐味の大きな一つに、月日の積み重ねを経た主人公の血を吐くような叫びへのシンクロがあると思う。直虎があんなに泣き叫ぶわけ、誰を思い浮かべているのかも、ずっと見てきた視聴者にはわかる。悲しみだけではなく「怒り」が表現されているのもいい。柴咲コウは本当に直虎に同化してる。
残酷な現実と己の無力に打ちのめされる万千代の一筋の涙も美しかったし、その後の家康との対峙はさらにすばらしかった。碁盤をワヤにされた家康が、往年を思い出して「せな・・・」と口走るところもいいけど、そのあとの激昂もいい。「みなの意見を聞いた結果がこのざまじゃ! これからは誰の言うことも聞かない、自分で決める・・・」 家康が独裁者になるかどうかの分岐点を描いていた。万千代をはり倒しながら自分も倒れ伏すのがいい。ボロボロの家康。
怒り狂った主君に張り倒されても動じず、井伊の過去を語る万千代の抑えた口調が本当によかった。菅田くんはこういうことができるから仕事が引きも切らないわけよね。
そして菜々緒さん。よかったよねえええ! 時代劇の演技が板についている、とまでは言い難いんだけど(ほぼ初挑戦だろうから当然よね)、それがまた、艶やかな容姿と気の強い中に、不器用で頼りなげなリトル瀬名ちゃんがいるって感じでよかったですよね。気品といい、着物の着こなしといいすばらしかった! こういう柄の大きなお方様ができる若い女優さんは貴重かも!
酒井忠次のみのすけさんも、相ッ変わらず良い味出してる。「北条と同盟するまで時間稼ぎ大作戦」を知らされず、「遠江ではないか~!」「浜松~!」みたいに、いちいちヒエ~ッ!ってなってる姿が哀れだけど滑稽で超うまい。大仰な演技をしても脂っこくないのが映像時代劇向き。
松也の氏真にも、もはや出てくるたびに釘づけ。最終回までにもうひと出番あるよね?! 近年、大河ドラマに出た若手~中堅歌舞伎俳優では、映像の演技が一番うまいかも!?とまで思うようになった。それでいてもちろん伝統芸能の匂いもふんだんに漂わせる。そこへいくと、海老さまの信長演技の一本調子・・・セリフ回しの危うさよ・・・いや、そういう造形なのかもしれないけど。ともかくオーラは絶品だしね。
実生活で若い妻を亡くしたばかりの彼が、家康に妻を殺すよう命じる役か…と思っていたが、命じるのではなく、徳川内部の判断で(もちろんそこには忖度もあるのだけど)…という形になったね。役のオファーがあったときはご存命でも、厳しい闘病をしてることはわかってただろうから、オファーするほうも受けた方もすごいなとも思う。でも、歌舞伎俳優というのはそういうものだとも思う。歌舞伎の演目には肉親と死に別れたり、殺し殺されたりするものも決して珍しくなくて、海老蔵は麻央さんの闘病中も、亡くなった後もそういう舞台をつとめてきただろうしこれからもそうだろう。だから海老蔵へのこの信長のオファーは、役者としての彼への信頼でありリスペクトでもあるのかなと思う。
ちょ、先週から信康事件で息も絶え絶えになってて、ラストの虎松に一筋の希望が見えたと思ったら、来週、高天神! そこ律儀に拾わなくてもいいとこよッ! ほんと、とことんやるよね森下さん‥‥ #おんな城主直虎
『やがて哀しき外国語』 村上春樹
私が人生でもっとも繰り返し読んでいるエッセイの一つ!
1991年、アメリカのプリンストン大学に客員教授として招かれ、当地に暮らした2年間のあれこれをつづったこの本は、私の “比較文化論考”(大げさ)のルーツといっていいかも。
もちろん学術書じゃない、小説家が書いた単なる読み物ではある。でも、日米の文化の違いにとどまらず、ヨーロッパとの違い、合衆国内部でも東海岸と西海岸の違い、現代(この本が書かれた当時、という意味)と1世代・2世代前とのライフスタイルの違い、社会的ヒエラルキー、アメリカ女性のジェンダー観、映画、音楽、車、床屋・・・などなど、カバーしている範囲が異様に広い。こんなふうに複合的な視点を持てるってすごいなあ、いいなあ、と若き日の私は素直に思った。
この本における「今」と、読んでいる私の「今」とに乖離が出てきたのは今に始まったことじゃないけど、2017年に読み返すとやはりまた感興をそそる。
このころ、今では懐かしい「日米摩擦」の残滓があって、たとえばアメリカでは日本車が叩かれたり(文字通りハンマーでたたき壊されたり)してた。その後、日本経済は長らく低迷というか凋落し続けて外国にバッシングされるレベルではなくなったのだけど、今アメリカは「ラストベルト」なんかの問題が深刻でトランプが登場し、排他主義を強めている。ヒラリーが大統領選を戦い、敗れたことで、アメリカのジェンダーに関する記事もよく読んだこの1年だ。25年あまりの月日は世界を大きく変えたようで、意外にまた似たところをめぐっているというか、人間ってそんなすぐ変わるもんじゃないというか。
それにしても、今この本を読むと、「かなり好き勝手書いてんなあ」と思う。以前の感想では
「やれやれ」の精神がそこここに息づいています。
と書いてるんだけど(我ながらけっこううまい)、村上さん、なかなかの愚痴っぽさです(笑)。元気な女の人も、大学人たちのスノッブぶりも、エグゼクティブたちのマイウェイも、村上さんには「やれやれ」なんである。このネット社会、そういう意見ってちょっとでも間違うと “炎上” 案件になるよね。昔だから書けたことかな~、と思う反面、いや、この村上さんの書きぶりなら(もちろん「気に食わねえ」って騒ぐ人らは一定数いるとして)、許容されるんじゃないかという気もする。「これぐらい自由に表現できる世界じゃないと、息苦しいよなあ」とも思った。
でも、この「自由な表現」の根底に何があるか?とよくよく考えてみると、やたらめったら放言してるわけじゃないのもよくわかる。村上さんはとにかく文章が上手くてエンターテイナーだし、ユーモアの中にも「上から目線」が無いのが何より重要なのかな。いってみれば「多様性ありき」、「基本的人権の尊重」は当然に押さえてあるというか。
(以前の感想にも書いてるけど)「黄金分割とトヨタ・カローラ」「元気な女の人たちについての考察」「ロールキャベツを遠く離れて」「運動靴をはいて床屋に行こう」など、目次で章タイトルを見るだけでもわくわくしてくるような本です。最高なのはやっぱり、「梅干し弁当持ち込み禁止」かな。なんてクリエイティブなタイトル!!
長月の五 / 参観のち、絵本
●9月某日: 昨日持って帰ってきた虫かごを、朝になったらまた持っていくサク。なんなんだよw 見せたかったのかw 午後、授業参観&懇談会。学校行くとき、すっごい大雨だった(泣)。
算数の授業で「3つのかずのけいさん」。なんつーか、サクの学校では1年生は1クラス30人以下に設定されているが、30人でもけっこう大変だなーと思う。その半分くらいがいいんじゃないかな。子どもたちはみんなかわいくて面白い。そのかわいさ面白さを抑圧しないで、一人一人をケアしながら学習を楽しむためには、15人くらいで十分では? もちろん理想論だが・・・この少子化の時代、未来を担う子どもに対してそれくらいリソースを割いてもいいんじゃないかと思うけど。
参観者はけっこう多いけど、懇談会の出席は10人いるかいないか。他の学年のきょうだいとかぶって・・・というだけではないと思われる少なさだが、それもまあ、わかるのよね(詳細は割愛)。
私も途中で抜けて、サクとどんぐり文庫へ。初めて子どもたちの前で絵本を読ませてもらった。『イエペはぼうしがだいすき』むちゃくちゃかわいい写真絵本で大好きなので、むちゃくちゃ心を込めて読んだよ。サクも大好きだし、幼稚園で読んだ時も思ったけど、この本、子どもたちの心をとらえる。
梶田さんのストーリーテリング『ありこのおつかい』では大爆笑が起きて、このあと何日も、サクは「ばぁかー。とーんちきめー。わーるものー」と言い続けるのだった。夜ごはんは、餃子、豚と大根煮、ポテトサラダ。
長月の四 / ギターコンサート
●9月某日: どんぐり文庫で、大人のためのギターコンサート。橋口さんというギタリストがクラシックギターを聞かせてくれる。
映画音楽あり、南米のギタリストの曲あり、オペレッタあり、そして平野啓一郎の長編小説『マチネの終わりに』にインスパイアされて若い音楽家が作ったという曲もありとバラエティ豊か。曲の紹介を兼ねて随所に挟まれるMCも含めて、すごく知的で優し気で品があって、とにかく素敵な方だった・・・。奥さんも一緒にいらしていてこれがまた綺麗な方で、聞けばもう高校生になる娘さんが小さい頃、どんぐり文庫に通っていたのだそうだ。
コンサートの前にはどんぐり文庫らしくストーリーテリングもあり、かじたさんの「おいしいおかゆ」と、とまりさんの「いばら姫」を聞いた。「いばら姫」はとまりさんのスペシャルエディションだったらしい。少しの違和感もない完璧な構成に驚く。終わった後はスタンディングティータイム。何この優雅な空間~(ばくばく食べながら)!
サクが昨日とったバッタを持って帰ってきた。数が増えてる・・・。夜ごはんは、さんまの塩焼き、具だくさん味噌汁、大根おろし、豚と大根煮。旬のはしりのさんま、おいしかった!
長月の三
●9月某日: 夫、白おにぎり×2だけのお弁当。ゆうべ早く寝て、朝もいつもの時間まで寝ていた・・・のだけど、朝はまだビミョーに体が重かった。先週の前半にやっちゃった寝違えはついに治ってきたもよう。もしや四十肩なのかもと思いつめたりしてたよ。
夜ごはんは、納豆チャーハン、もやし炒め、きゅうり、鶏グリル少し。「雑炊しか食べられない夫があまりうらやましくならないような…」というのがテーマの夕食を、夫が帰宅する前にササッとサクとすませた。彼は納豆は断然そのまま派で、私がチャーハンにしたりそばに入れたりするのを冷ややかな目で見る人なのだw
●9月某日: 病院に行くので朝ごはん抜きの夫を「だいじょうぶか?」とちょっと気遣うサク。私が2日連続で雑炊を食べているのは夫に遠慮したわけではなく食べたい気分だったからです。
生活科で虫捕りをすると張り切っていたサク、帰宅するやマシンガントーク。
「ビオトープに、めっちゃ むしいた! おれ、すっごくはやくショウリョウバッタバッタとれた! いっぱいとったけん、○○ちゃんとか○○くんにやった。とれてなかったけん。おれは1ぴきいれば十分やけん。でも○○が、ショウリョウバッタ2ひきともメスやったら1ぴきくれるって。そしたらたまごうむかもしれん。ああ~!」
恍惚としているw その後は突然黙り込んだので何をしているかと思えば、図鑑を見つつバッタの種類別エサや育て方等を真剣に検討していた。
小さな小さなポリープを1つ切除して夫が帰宅。夜ご飯は、じゃがいものそぼろ炒め、キャベツとオクラのサラダ、かぼちゃ煮。
長月の二 / お母さんなら、そうする
●9月某日: 土曜日だけど登校日。今週月曜日から長い夏休み明けの新学期が始まって、翌日にはもう給食&通常授業が始まったのに、厳しいスケジュールだなあ。
2時間目は「親子で草取り」という時間。子どもに遅れて学校に行く。1年生は無邪気なもので、どれだけたくさんとったかを誇示する子もいれば、すぐに飽きてしまう子も。
そのまま、3時間目を参観するため、子どもと一緒に教室に上がる。算数の授業を見るのは初めてだ。「どっちがながい」という章らしく、前の時間に紙テープで教室の中のいろいろなものの長さを測ったという前提のあとで、今日は自分の手(親指と小指を広げて)やエンピツで長さをはかろう、でも君が測ったのと僕が測ったのとでは同じかな・・・? というような内容をやっていて、これは先般見た国語に比べてずいぶん面白い授業に感じられた。教室や廊下には、夏休みの宿題だった絵日記や朝顔の観察日記が掲示されていて、すごく面白かった。
さて今夜は夫があまりいろいろなものを食べられないというのもあって、そうだ「夜の動物園」に行ってみようという話になる。夏休みから9月上旬にかけて、夜9時まで営業して動物の夜の生態を展示しているのだ。初めて行ったけど、もんのすごい人出だった。そうだよね。子連れで夜のお出かけなんて、限られるもんね。みんな考えることはおんなじ。夜は展示されていない動物たちもいたし、まあ満喫したとは言い難いけど、一度行って「こういうもんか~」ってわかった感じと、やっぱり「夜のお出かけ」っていう雰囲気だよね。それだけで子どもはもりあがるよね。
おなかすいたすいたとわめくサクに帰路のコンビニでフライドポテトを買ってやり(こういうのも滅多にないこと)、親はぶりカマの塩焼きを食べながら日本酒。スイッチインタビュー、大友良英×稲葉俊郎の回を見た。すごく面白かった。
●9月某日: 内視鏡検査前で自分は野菜を食べられない夫が、そうめんを茹でるついでにかぼちゃとピーマンと鶏の天ぷらをあげてくれた。それは「ついで」なのだろうか、と首をひねるレベルだが超おいしかった。やっぱり神かな、と思ったけど、違うね。これは「お母さん」なんだよね。世の中のお母さんはきっと、自分が諸般の事情で食べられないときも、家族のごはんは普段どおり作るよね。「あたし白おにぎりしか食べられないから、あんたたちも、それだけね。」とは言わないもんね。
家のソファを新調することになり物色に行く。こんな大きな家具を購入するのはめったにないことで(そりゃそうか)、サクは大はりきり。いろいろ座り比べていると、幼稚園時代の友だちにばったり会ったり。全然違う区のお店まで来てたのにホント偶然。夕方、ランニング7キロ。急に秋の風だ。夜ごはんは、さんまの干物、味噌汁、オクラとトマト。夫はさんまの干物と味噌汁の具の豆腐だけ。
なんかすごく疲れてて、サクと一緒に寝る。「直虎」すら見なかったのだから、どれくらいの疲れかお察しください(もちろん録画はしてる)。夫も驚愕してた。
『72時間ホンネテレビ』(前)
『72時間ホンネテレビ』のこと、今さらだけどやっぱり書いておきたい。
3人が「新しい地図」をリリースしたのが、前の事務所を辞めてから2週間かそこらだったと思う。
で、そのあとまた1週間か2週間で、この番組の放送が発表された。
事務所をやめることで露出が減るんじゃないか、新しい仕事なんか来ないんじゃないか、メジャーどころとは絡めなくなるんじゃないかという心配は、日本の芸能界の慣習を思えばもっともなことで、ファンのそんな心配を承知していたからこそ、このスピード感で新しいニュースを見せてくれたのだろう。
写真解禁!! ネットの記事に、慎吾くんの写真が載ってる~! と、(ジャニーズが禁止してることができるようになって)衝撃と感動に包まれるファンをひらりと軽やかに飛び越して、「SNSも始めるよ!」という。「新しい地図」、ダテじゃなさすぎる…!
AbemaTVって何よ~? 会員登録とかしなきゃダメ~? クレジットカード要る~?くらいの、何も知らなかった39才の私でも、サラッと開いてサクッと見られることに感動したね。ネットTVって簡単やん!と。新しいメディア、新しいツールに移行するのって、年を重ねると面倒に思えるから、その背中を押すパワーが甚大な3人を呼んだのは、サイバーエージェント、うまくやったな!と。私、10年近く株主やってたんだ~(2年くらい前に売却した)
テレビを見ながらSNSで感想をつぶやいたり、人の感想を見たりは今や当然にやってるけど、出演者側がテレビと同時進行でSNSやってるって新しい! しかも、今まさにSNSを始めたばかりの人たちが、やり方を学び、実際に投稿してく様子をリアルタイムで見るって、すごく面白くて貴重なコンテンツ! 他の芸能人から教えてもらう、というスタイルも面白かった。
で、彼らの1つ1つのなにげない投稿に、またたく間に付される何千、何万の「いいね!」や、リツイート、リプライ…。【モンスター級】って言葉が思い浮かんだよ。あ、もちろん私も、彼らのフォロワーになってます。twitterとインスタ。慎吾くんのインスタの写真が、さらっとしてるのにうまいんだ。やっぱりアーティストだよね。
3年前。「武器はテレビ」というキャッチフレーズを掲げたフジテレビの27時間テレビでのメインMC。とてもよかったんだよね。「72時間」は、それを思い出させ、なおかつ、ひっくり返すことでさらなる進化を見せるってことだったのかな。「いやいやいや、長すぎるでしょ、大丈夫?」という長さ! 前代未聞へのチャレンジも彼ららしい。
もう7,8年は前じゃなかろーかと思うけど、慎吾くんが
「起きた瞬間から、24時間、ずーーーっとカメラ回って撮られてても平気ですよ、僕」
と言うのを見たことがある。彼は時々冗談ぽく “自分はパーフェクト・ビジネス・アイドルだ” と言い、それは「24時間だって完璧にテレビ向けの対応ができる」ってことかと解釈してたけど、半分そのとおりで、半分違うんだなと今回わかった。
いつ再生しても、どんなコーナーでも、どれだけじーっと見てても、彼らはおんなじ感じ(あ、マチャアキの時だけはね…)。いつもテレビで見ている姿(収録後に編集されたもの)と比べてまったく違和感がない。
たとえば若手の芸人さんが高いテンションや「キャラの演技」を保つのは、長くても数時間が限界じゃなかろうか。ベテラン俳優だって、2日目、3日目ともなると、時にカメラが鬱陶しくなったり、不機嫌さや傲慢さがひょいと映されてしまったりするんじゃなかろうか(『情熱大陸』なんかが、そういうシーンを意図的に放送したりするよね)。それが当たり前だと思う。カメラに撮られて、それが中継で流されてるって特別なことだもん。
でも、彼らはいつ見ても自然体で、しかもかわいくて、楽しそうだった。不特定多数の視聴者に対して、誤解を招くような言動もない。これが、四半世紀以上、SMAPという第一線にいる人の力なんだなあ・・・!
しかも驚いたのは、20年も前に脱退している森くんも同様だったこと!!
てか、森くんの麗しさよ・・・!
そりゃ確かに天賦のスタイルや顔の造作の持ち主だし(顔、小っちゃ! 脚、長っ!)、オートレーサーって職業柄、人前にも出れば体重制限やトレーニングもするだろうけど、それにしたって芸能界から離れて20年。40代になって、このオーラは何! 現役バリバリSMAPと並んでも、まったく違和感ないよ?!
で、その森くんが、2~30分じゃなくて、何時間も…6時間くらいだっけ?出続けたのには本当にびっくり。これは絶対に地上波テレビではできない企画だよね。森くん以前に、同じ4人きりで、何時間も喋るだけっていう企画がありえない。
レースを終えて駆けつけた森くんと喋って、宿舎の食堂で喋って、森くんが寝泊りしている部屋で喋って、森くんの愛車のそばで喋って。すごいよね。喋り続けてさ。それがさ、私も全部見たわけじゃないけど、もう、ずーっと見てても面白いの。
去年の大みそかのあの焼肉屋で、「俺が一番うまいんだから!」とか言って森くんが立って歌い出したって話、サイコーに面白かった。森くんの歌聞きたい、何を歌ったのか知りたい!
10代の頃、かっこよくてやんちゃで時に傍若無人だった森くんの話をして「大人の世界を見せてくれる人だった」と言う草彅くん。脱退を聞いたときは悲しくて悔しくて一人で泣いていたという慎吾くん。脱退の前日はデート優先して(?)メンバーのところには集まらなかったけど、実はその前日には森くんちに行ってた、森くんと同い年の吾郎ちゃん。で、去年の焼肉屋で、森くんは吾郎ちゃんとだけ連絡先を交換して、やりとりしてたんだって。そのことに素で驚くつよポン&慎吾含めて、出来すぎなくらい、すごいエピソードだったなあ。
森くんの今の仕事についていろいろ質問する3人の姿が本当に感動的だった。
バラエティ的にウケを狙うわけでも、たいして興味ないけど仕事だから義務感でこなすわけでもなく、大好きな森くんのことを知りたい気持ちや、異業種への純粋な好奇心そしてリスペクトにあふれた態度だった。彼らがすばらしい社会人であることを思わせた。多くの人と関わりながら多くの経験をして、高いレベルで大きな仕事をしている人ほど、人に興味があって、たくさんの質問が出てきて、多様性を尊重できると思う。そんな姿そのものだった。
仕事関係について質問される森くんの受け答えがまた本当に上手で、気負って難しい専門用語や激しい言葉を使うでもなく、ダラダラしゃべり続けることも言いよどむこともなく、すばらしい反射神経と平易で的確な言葉選びで、誰のことも何のことも悪く言わず過剰に持ち上げたりもせず、何にでもフラットに答えていた。こういうセンスがあるからどこの世界でもやっていけるのか、それともやはり若い頃から様々に揉まれて磨かれたのかわからないけど、これは本当にすごいことだと思った。
SMAPに集まった才能、SMAPから始まって培われていった能力、本当にそれぞれがすごすぎる。奇跡だ。
再会したときの、4人4様に思いのつまった表情も、思い出話も、ヘルメットに燦然と輝く星も、森且行の大きなバナーの前に並んで座った笑顔の写真も、泣けたよ…。
こんなに書いたけど、まだ書くことがだいぶあるので、いったん切ります。そのうちに、つづく。