『やがて哀しき外国語』 村上春樹

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私が人生でもっとも繰り返し読んでいるエッセイの一つ!

1991年、アメリカのプリンストン大学に客員教授として招かれ、当地に暮らした2年間のあれこれをつづったこの本は、私の “比較文化論考”(大げさ)のルーツといっていいかも。

もちろん学術書じゃない、小説家が書いた単なる読み物ではある。でも、日米の文化の違いにとどまらず、ヨーロッパとの違い、合衆国内部でも東海岸と西海岸の違い、現代(この本が書かれた当時、という意味)と1世代・2世代前とのライフスタイルの違い、社会的ヒエラルキー、アメリカ女性のジェンダー観、映画、音楽、車、床屋・・・などなど、カバーしている範囲が異様に広い。こんなふうに複合的な視点を持てるってすごいなあ、いいなあ、と若き日の私は素直に思った。

この本における「今」と、読んでいる私の「今」とに乖離が出てきたのは今に始まったことじゃないけど、2017年に読み返すとやはりまた感興をそそる。

このころ、今では懐かしい「日米摩擦」の残滓があって、たとえばアメリカでは日本車が叩かれたり(文字通りハンマーでたたき壊されたり)してた。その後、日本経済は長らく低迷というか凋落し続けて外国にバッシングされるレベルではなくなったのだけど、今アメリカは「ラストベルト」なんかの問題が深刻でトランプが登場し、排他主義を強めている。ヒラリーが大統領選を戦い、敗れたことで、アメリカのジェンダーに関する記事もよく読んだこの1年だ。25年あまりの月日は世界を大きく変えたようで、意外にまた似たところをめぐっているというか、人間ってそんなすぐ変わるもんじゃないというか。

それにしても、今この本を読むと、「かなり好き勝手書いてんなあ」と思う。以前の感想では

「やれやれ」の精神がそこここに息づいています。

と書いてるんだけど(我ながらけっこううまい)、村上さん、なかなかの愚痴っぽさです(笑)。元気な女の人も、大学人たちのスノッブぶりも、エグゼクティブたちのマイウェイも、村上さんには「やれやれ」なんである。このネット社会、そういう意見ってちょっとでも間違うと “炎上” 案件になるよね。昔だから書けたことかな~、と思う反面、いや、この村上さんの書きぶりなら(もちろん「気に食わねえ」って騒ぐ人らは一定数いるとして)、許容されるんじゃないかという気もする。「これぐらい自由に表現できる世界じゃないと、息苦しいよなあ」とも思った。

でも、この「自由な表現」の根底に何があるか?とよくよく考えてみると、やたらめったら放言してるわけじゃないのもよくわかる。村上さんはとにかく文章が上手くてエンターテイナーだし、ユーモアの中にも「上から目線」が無いのが何より重要なのかな。いってみれば「多様性ありき」、「基本的人権の尊重」は当然に押さえてあるというか。

(以前の感想にも書いてるけど)「黄金分割とトヨタ・カローラ」「元気な女の人たちについての考察」「ロールキャベツを遠く離れて」「運動靴をはいて床屋に行こう」など、目次で章タイトルを見るだけでもわくわくしてくるような本です。最高なのはやっぱり、「梅干し弁当持ち込み禁止」かな。なんてクリエイティブなタイトル!!

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