長月の一 / シャキーン・ミュージック「にほんご音頭」、『ゴロウ・デラックス』に東山彰良

●9月某日: 




今度、幼稚園で未就園児のお母さんたち向けにお話することになったので、原稿を作っている。まだまだ要精査。昼ごはんを食べながら、昨日の『ゴロウ・デラックス』の録画を見た。こちらではほとんど1か月近く遅れた放送で、ゲストは東山彰良。直木賞をとったことは知っていたけど作品もご本人のしゃべりも全く見たことなかったけど、すごく感じが良くて、しゃべりの賢さが今の小沢健二の系統だった(私の中で)。本を読んでみたいと思ったよ。そして吾郎さんと女性アナウンサーのMCの感じの良さもすごい。なんという衒いのなさ。

(追記:後日、東山さんの『流』読みました。近いうちに感想アップします。面白かった!) 

流 (講談社文庫)

流 (講談社文庫)

 

 

午後、夫がかかる病院の保証人を連記しなければならないことが判明したので、母を招聘。帰ってきたサクのランドセルの重さに驚愕していた。そしてコクワガタのコクリくんを見て、「まあ!小っちゃい! かわいい!かっこいい!」と母、絶賛。

夜ごはんは、アジとカツオの刺身、ローストビーフ、野菜たっぷり焼きビーフン。明日あたりから夫が粗食モードに入るので、しばらくの食べおさめとばかりに夫が刺身とローストビーフを買ってきたのだ。夫と飲みながら『居酒屋ふじ』の録画や『ダウンタウンなう』。飲み会のゲストに土屋太鳳。何に出ても太鳳ちゃんは太鳳らしさが全開で、よい。それにしても綺麗になったなあ。今日はテレビをよく見た。

 

葉月の十九

●8月某日: 朝1本目の上映で『エル ELLE』。映画館、1年以上ぶり~。KBCシネマ、たぶん10年以上ぶり~。20代の頃に、会社の帰りとかに気が向いたら立ち寄っていたミニシアターももうここだけになった。シネテリエ天神、シネリーブル博多もなくなっちゃったもんね。KBCは健在のようで何より。レディースデーだったからというのもあろうが、お客さんけっこういた。



イザベル・ユペールがひたすらかっこよかった。かっこ悪いのもかっこいいというか。大人だった。そして映画って、ドラマや小説とは全然違う頭の回路を使う感じがまた気持ちいい。これから、もうちょっとこの回路も使いたい。

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無印に寄って、いろいろ買ったり、図書館で新聞のバックナンバー読んだりして帰る。サクは学校で計算ドリルを初めてもらって、コーフン。なんて純真なんだ! 夜ごはんは、サバ缶とキャベツとしめじのパスタ。五目豆。きゅうり。

「おじゃMAP」で日本ど真ん中祭りだったかな、慎吾くんたちがダンス祭りの助っ人をするのを見る。面白かった。コウメ太夫センター起用は、そういう台本だったのかと苦笑したけど(笑)。

サクを寝かせてから、夫とNHKスペシャル「インパール作戦」を見る。TLで話題になってて気になったので、再放送を録画したのだ。夫の会社(政治的な話題などは暗黙のうちに避ける感じの、ごく日本的な会社)でも、「見た」「すごかった・・・」という人が複数いたらしい。

 

●8月某日: がんせさんとランチ。初めて行くお店はいつでも気持ちが上がる。通りに面していない、小さな入り口だったけど奥行きがあって、お客さんいっぱいだった。ピザとパスタをシェア。意外な量の多さだった。また何か楽しいことをやりましょうといろいろ話して、ブレストも(追記:そうです、このときに【ゆるマジ】の企画をしていたのです)。

サクの下校ぎりぎりに帰宅。サクは今日は漢字ドリルと教科書の下巻をもらってまたまたコーフンしたあと、静かに教科書を読みふけっていた。一年生って純だ。夜ごはんは、焼き鮭、豚汁、きゅうり、五目豆。最終予選オーストラリア戦で日本が勝って、サッカーW杯に出場が決定。テレビ観戦していた夫、喜ぶ。最終予選始まったころはたいがいピンチだったね、そういえば。

 

『おんな城主直虎』 第45話 「魔王のいけにえ」

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信康事件が、長丸こと秀忠の誕生をきっかけに描かれるのが、なんかもうすでに残酷なんだよ! うまいってことなんだけどさ。

知らせを聞いた瀬名を「おかしな顔をしておられますぞ」とたしなめる信康。「おかしな顔」という言葉のチョイスと口調が、母への優しさだけじゃなく親愛の情まで感じさせる。

高級茶碗を断り、官位授与も断って・・・その賢さと高潔さが裏目に出る。「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」を手乗りの綺麗な白文鳥を撃ち殺すシーンで表現し、それがまた信康事件の暗喩にもなっていた。

(TLでは、側女は正室である徳姫に探させるのが筋という話も見たけれど、もちろんそういったやり方もあるけど、武将が自分の気にいった娘(もちろん格下の娘ね)に手を付けて側に置くのは別におかしなことではない。今、再放送でやってる『風林火山』でも、亀ちゃん信玄がそうやって油川氏の娘・於琴(紺野まひる)をなし崩し的に側女にしてましたぞ。閑話休題。)

男子が生まれれば正室の籍にという筋を通せばよい、信康が早く男子を得ることは織田の安心にもつながるはずだ、と岡崎側は考え、徳姫が得心して父にその旨を書いてよこすシーンもわざわざ入れられていた。ドラマに登場しない徳姫だが信康との仲が険悪なわけではないのは、はしばしの描写でわかるし、実家の織田と婚家の徳川が要らぬ争いをしてほしくないという思いがあってこそそんな手紙をよこしたんだろう。

「徳は夫思いじゃのう」と言いながら籠の中の文鳥を撃った信長は、娘の思いをわかっていながらその報告を言いがかりの端緒にして、偽の手紙を用意し徳川を追い詰めてゆくのだ。

かつて方久を欺き、己らの目的を早く達するため、何の良心の呵責もなく気賀の民たちをも攻撃した酒井忠次が、信長の前で蛇に睨まれた蛙と化し、結果として徳川を危機に陥らせるのは森下脚本らしい因果の巡りなんだけど、堀川城からここに至るまでに彼の底の浅さを愛嬌として描いてきたうえでの今回だからさ~。

家康に離反を疑われて心底傷つき、そのうえでなお信康の切り捨てを進言して「私の落ち度だからこそ、敢えて言いにくいことを申し上げております」と顔を歪める酒井忠次の姿には、ぐっとくるもんがあったなあ。凡人が必死に生きる姿を描くと、この作家は本当に強い。その後ろで、本多忠勝が無言で平伏するんだよね。同意の意を示して。榊原康政も何も言わない。そうするしかないところまできていると、みな理性ではわかっている。

温厚な家康が度を失って家臣を疑い、なじる言葉を吐き、閉じこもる。そこで武家の理を説くのが、ほかならぬ実母というのがすごい! 

「信康をお斬りなさい」
「おおせの意味がわかりかねますが」
「折よく長丸も得たことだし、信康がおらずとも問題ないでしょう」
「人の子の母とは思えぬ言葉」

「人の子の母だから申しております。獣の子はお家のために我が子を殺したりしません。
 けれど武家とはそういうもの。
 お家を守るためには、己自身、親・兄弟も、子の命さえ、人柱として断たねばならぬ時がある。
 その中で生かされてきたのですから、そなただけが逃れたいと言うは、それは通りませぬ」

すごいシーンだった。すばらしいセリフの応酬! これまで数えるほどしか出てきてない於大の方だけど、栗原小巻の演技もすごいし、それを受ける阿部サダヲもすばらしい。手を取りながら「それは通らぬのです」と重ねて言い、最後に「竹千代」と語りかける。「母はあなたの痛みをわかっていまる、だから言うのです、母にしか言えないことでしょう・・・」そんな万感の気持ちが、最後の「それは通らぬのです、竹千代」にこもっている。その場で家康が折れるのも大納得。

方久が解死人として初登場したのは2話だったか? 村と村の紛争の円満解決のために差し出される人柱。「犠牲になる人」を、このドラマはずっと描いてきた。今川に殺された直満や直親、龍雲党を含め堀川城で殺された人々。直虎も今川に殺されかけた。近藤の罠と徳川の黙認によって死んだ政次。弱い者を犠牲にして成り立つ社会システム。武家はそのシステムの上のほうの階層に位置している。弱い者を切り捨てながらその位置にいる。であれば、自分もまた、より上位の者に切り捨てられるのは必然なのだと。

あのとき、弱き井伊にとってかけがえのなかった政次を見殺しにした徳川が、今、己より強い織田に、大事なものを奪われる。自らとどめを刺せと言われる。すごい因果だ。でも、必然だと思える・・・。その必然の、不毛さ!



強い者が弱い者を挫きながら成り立つ、そんな不毛が永遠に繰り返される社会システムから降りるために、直虎は家を潰して甘んじているのだよね。いや、完全に降りられたわけじゃない。今も井伊谷は近藤の支配を受け、近藤は徳川の配下にあり、徳川は織田より弱い…というピラミッドはあるんだけど、直虎は「井伊の名のもとに弱い者を犠牲にする、人柱を捧げる」のをもうやめようと思った。

家康の勘気を覚悟して進言した忠次や、同調した忠勝、心を鬼にして信康を断罪した康政に比べ、これまであれだけ快進撃を続けてきた万千代が、なすすべもない、という姿を描かれたの、よかった。想像もしなかった大きなもの、理不尽なものを見て言葉を失うしかない、という経験を、若者はするよね。そのうえで来週どう動くのか。

そして信康の前に現れた家康。何もうつさない、光を失ったガラス玉のような目。阿部サダヲも照明や撮影もすばらしい! 断罪される信康を、まず母の瀬名が庇う。家康はピクリとも動かず、「奥は乱心した」と切り捨てる(ほんっとうに家康は、瀬名に対してひどい!)。続いて平岩親吉が白髪頭でいざり出て、「私の首で、どうかどうか」と平伏すると、家康が初めて首を動かし、その姿を視界に入れる。私の涙腺はここで決壊・・・! 

冒頭、長丸ベビーの傅役になりたいなりたいと、その役目を出世の階段くらいにしか思っていなかった万千代に突きつけるという意味あいもあるシーンなんだけど、モロ師岡の演技が迫真で・・・! 

平岩に続いて、岡崎の家臣たちが我も腹を詰める我も我もと言い出し侃々諤々となると、呆然としていた信康が立ち上がり、みなを諌めるのだった。

「私は内通などしておらぬ。こんなバカなことが通るはずはない。きっと疑いは晴れる。殿が晴らしてくださる。だから短慮は起こすな。血気にはやるな。そんなことでいいことはひとつもない。それこそ、しかけた輩の・・・敵の思うつぼだ。俺は必ず戻ってくる。」

信康役の平埜生成さんというんですかね? 一言一言に思いを乗せた、すばらしい演技! 何者なのでしょう(「重版出来」で社長の若い頃をやってた人だよね)。そして聞いているサダヲの表情・・・!

家康が救ってくれると言ったけど、信康は内心、もう戻れないと悟っていたと思う。あの涙に、父に縋るような、命を惜しむような色はなかった。家臣たちが自分に代わって死ぬと言う。「弱い者が強い者の犠牲になる」悲劇を徳川の中で起こしたくなかったから、信康は「地獄へは俺が行く」(彼の場合は天国か)と言ったのだ。徳川のために、家康が自分を切り捨てるしかないのもわかっている賢明な信康なのだ。そのこと、信康が最後を悟っていることを、きっと家康もわかっている。わかっていて、無言だ。かつて政次の助命を縋る直虎に一言の言葉も持たず、無言で去っていた家康が、今、信康を無言で見送るしかない・・・。




織田信長が徳川をこんなめにあわせるのが、私怨のためでも、加虐心やサイコパスでもなく、「徳川は味方として大事だが、大きくなりすぎると困る」という、非常に現実的な理由だとしたのがこの大河のすばらしいところ。そして、今は魔王然として力をふるう信長にもまた因果が巡ってくるのを、この回の明智光秀の登場によって既に明示したのも面白い。

おとわは以前、瀬名と竹千代(信康)が今にも今川に処刑されるという時にも居合わせてたよね(というか、会いに行った)。あのときは、家康が2人を迎えに来た。今度は・・・。てか、ここで氏真が絡むのかーーー! ものすごくみなぎるラストだったんだけど、信康事件の顛末は知っていますが、いったいどうなるのか全然読めん!!

ともかく今回は、於大の方とのシーン、そして最後の信康のシーンがすばらしかった。私の大河ドラマ史に残る名場面として刻まれました。脚本、長セリフの言葉のチョイスや流れのすばらしさ、栗原小巻と平埜さんの大河俳優ぶりもすばらしかったけど、やっぱり阿部サダヲあっての名シーンかと! 再来年の『いだてん』も早くも楽しみになります。いやもちろんその前に・・・来週・・・!!!!

 

『暇と退屈の倫理学』 國分功一郎

毎日ヒマを持て余す子ども時代、スチャダラパーの『ヒマの過ごし方』をこよなく愛する中学時代を送った私が読まんでどーする?! ってな本ですよ。哲学書なんて人生で初めて読んだかもしれない…。だいたい、哲学自体がヒマのたまものって感じもしますよね(笑)

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ラッセル、パスカルハイデッガーホッブズマルクスボードリヤール、etc…。
あまたの名だたる哲学者たちが、こんなにも暇や退屈について考え言及していたのだと知るだけで面白い。また、この本では哲学だけでなく、考古学や経済学、生物学、映画などいろいろな分野からも暇と退屈を考察していく。ほんと、ヒマにふさわしい壮大さなのである。

中でも、私がもともと歴史方面に興味があるからか、考古学的観点からの「定住革命」なる説は目からウロコだった。

人類は狩猟・採集で遊動を繰り返す生活から、約1万年前に定住を始める。それは、食糧の貯蔵や大量生産(農業)技術を得て「定住できるようになった」からではなく、地球の気候変動の結果、狩猟・採集が思うようにできなくなって「定住せざるを得なくなった」結果だというのだ。貯蔵や農業は、定住を余儀なくされる生活スタイルに伴って、“必要は発明の母” 的に獲得した技術なのだという。い、言われてみれば確かに~! 

遊動生活には常に多大なる刺激と緊張があった。獣と対峙する狩り、安全な寝床や水の確保。移動するたびに新たな場所に適応しなければならない。退屈している暇などない。定住するようになると、その負荷はなくなった。

しかし人間には発達した大脳がある。その余力が文明の発達に振り向けられた。定住するようになったとたん、見事な縄文土器のような工芸品、建築物、祭祀そして統治システムなどなど、複雑なものが出現する。定住するまでの3~400万年と、定住を始めてからの1万年では、進化のスピードはケタ違い。思わぬ定住によってできた「暇」がいかに大きかったか、という話。

同様に、生物学からのアプローチも面白かった。「環世界」という考え方。トカゲにはトカゲ、ミツバチにはミツバチ、ダニにはダニの、「時間と空間」がある。私たち人間とはまったく異なる世界を生きているということだ。時間も空間も、まったく相対的なものなのだ。

ほとんどの動物は自分の環世界しか生きられない。けれどたとえば盲導犬は、犬の環世界を変形して人間の環世界に近づき、人を支える。人間はさらに、環世界を移動する能力が高い生き物である。たとえば大学で宇宙物理学を4年間勉強すれば夜空はまったく違うものに見える。新しい環世界≒環境に置かれると、人は考え、適応し、やがて習慣を獲得していく。すると退屈が訪れる。

まさに、人間を人間たらしめてきたのは、「ヒマ」の存在ではないですか!! 

その「ヒマ」を利用して発展し、世界を大きく変えたのが20世紀の経済である。自動車王フォードは、ライン方式で大量生産を可能にするため、1日8時間労働と余暇を承認した。それは、労働の準備のための休暇であり、実は資本の内部にあるものだった。高い賃金を払い、余暇を与え、賃金を合理的に消費させて、次の労働へのモチベーションを高めさせる。そのために発達するレジャー産業。

人々は、「自分が欲しいものであるかを広告屋に教えられ」消費する。本当に欲しいものが何であるかわからないまま、消費を繰り返すむなしさ、満たされなさ。それらから逃れるために「殴り合い」という“現実の痛み”に魅せられる人々・・・。ブラッド・ピットが主演した映画『ファイト・クラブ』の文脈を、本書はそのようにとらえる。

現代の哲学博士が、多くの哲学者の論を参照しながら書いた本書が、暇と退屈の“哲学”ではなくて “倫理学” なのはなぜか?というと、ただヒマについて考えるだけでなく、「良きもの」を求めたいという思いの表れだろうか。

私の頭ではこの本のすべてを理解できたわけでもない。結論のところは特によくわからなかった。でもいいんです。別に今から哲学者になるわけじゃないし。こういう本を読んでる間って、なんだかちょっと頭が良くなったような気がするもんだし、こうして哲学の先っちょに触れたことで、これから何かしら物事を見つめ考えるときのヒントになるんだと思う。

この本の、とってもわかりやすい、現代社会に即した結論のひとつとしては、筆者の國分さんが『社会の抜け道』で言っていたことだと思うんだけど、(以下ね)

國分: 一見ものがあふれているように見える消費社会では、知恵が奪いとられちゃう。自分で探さなくなる。だから、みんなつまらなさそうにしている。で、つまらさなさそうにするからどんどん商品が投げ込まれるんだけど、結局のところは、もっとつまらなくなってしまう。
古市: 永遠に満足しないサイクルに組み込まれてしまうわけですね。
國分: 消費社会の根底には、消費と不満足の悪循環があると思うね。

國分: うまく遊べないときに、人は退屈する。だから、うまく遊べなかったり、楽しめなかったりすると、人は外から仕事や課題を与えられることを求めるようになる。自ら自由を捨てて、何かに従いたくなる。人間が従属へと向かう契機のひとつには、自分で楽しめないということがあると思う。自分で楽しめないと退屈してしまうから、外から仕事を与えられた方が楽だという気持ちになるんだよ。だから俺は、人はきちんと遊べるようになる必要があると思ってる。小さいときからとにかく遊ぶことが大切だと思うね。それができていないと、隷従したがる人間ができあがってしまう。

『社会の抜け道』 古市憲寿、國分功一郎 - moonshine

 

ヒマの大切さをこよなく愛するヒマラーな私としては、その背後にある論をたっぷり読めて、あらためてヒマの世界の奥深さを思いました。ものを考えるにはヒマが必要なのです。考えなくなれば人は…。

 

地図を作ったやつの ゆとり
なみたいていのものではあるまい
うるう年に気づいたやつの ヒマさかげんを想像してみろ

今の人がヒマを受け容れることが できなくなりつつあるなら
それは能力の減退だ
減退はいかん くいとめるのだ
ヒマ人どもよ立ち上がるときだ
ヒマを見つけて ヒマを知れ
ヒマを生き抜く強さをもて

一生 棒にふるくらいの
ヒマとゆとりをもって進もう
人の数だけ ヒマはあるのだ
それこそあたりまえのことなのだ 

スチャダラパー『ヒマの過ごし方』

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

 

葉月の十八 / 始業式・Jアラート

●8月某日: 新学期。8月なのに2学期が始まる。ありがとう。虫かごを見ると、ちょうどコクワガタが土から出てかっこいい姿を表していたので、「おはよう。コクリくん、枝に乗ってるよ~」と正体なく寝ているサクの耳元でささやくと、ガバッと起きてダダダと玄関まで走っていった。

久しぶりなのに特に渋ったりすることもなく、ルーティンをこなして元気に登校するサク。えらい。で、そうすると、やることいろいろ片付く片付く~。夏休みのダラダラ感に慣れてて、あー明日から規則正しい生活かぁ、めんどくさ、と思ってたけど(←順応性の鬼と言ってくれ・・・いや単なるなまけもの)、やっぱり子どもが学校に行くってすばらしいことです! 

子ども会の運動会の種目決めを経て、1時ごろサク帰宅、ものすごいハイテンション。午後は、サクに味噌汁の作り方を伝授。煮干しと昆布で出汁をとるところから始まり、ガスのつけ方も教えた。うだるほど長い夏休みがあったのに、2学期が始まる日にそんなことを教えるのが私だ。そんなみそ汁のほかに、夜ご飯はハンバーグととうもろこしとひじき煮。

 

●8月某日: Jアラートが鳴る地域ではなかったが、テレビ画面は軒並みアラートの静止画像になったようだ。夫が見て驚いていた。





寝違えて首が痛い。首というか肩というか、二の腕まで含めてそのあたりが全体的に痛い。年に2回くらいやってしまう。

夜ご飯は、ねぎ豚キャベツ丼、きゅうり。夫は飲み会。Nスペで「9秒台への挑戦」の録画を見ていると、多田修平が9秒94の記録を出した映像。サクに「え、9びょうでたの?」と言われ、追い風参考記録について説明を試みるも、うんうんと真面目に聞いた最後に「ワカラナイ」と出川哲朗@イッテQ風に言われる。でも、なんか面白いらしくて、何度も説明を迫られる。そして「ワカラナイ」と言われる。何のコントだよw

 

葉月の十七 / 家事シェアとか夏祭りとか

●8月某日: 昼ごはん、鶏ハムを作ったときに出たスープで野菜たっぷりのにゅうめん・・・を夫が作ってくれた。うますぎる。夏休みももうすぐおしまい。ミシンをひっぱりだして、2学期用に雑巾を2枚縫っていると、その間に夫が洗い物や洗濯干しをやってくれた。これぞ “家事シェア” の教科書に載せたいような事例だw 

家からほど近いカフェで、先月の豪雨の被害にあった東峰村の焼き物を始め特産マーケットをやるので見に行く。小石原焼。日本酒にも良さそうなぐい吞み(というのか?)を2つと、中皿を1つ購入した。空心菜も安くて綺麗だったので買った。

17時からランニング5km。夏の疲れの蓄積を感じる。いや、ただの運動不足? 夜ごはんは、餃子(サクが包んだ)、小鰯の煮つけ、空心菜とエノキのニンニク炒め、もやしと青じその辛和え、キャベツのコールスロー、チャーハン。これだけすべてを夫が作った。おつかれちゃん。
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(日本酒のそばに見えるのが、本日購入したぐい吞み。お茶を飲むのにも愛用してる♡)

夫、「餃子の皮がちょっとやぶれた以外は、イメージ通りにできたな」とホクホクしながら、会社でもらった美味しい日本酒を飲む。

 

●8月某日: 一昨日からの頭痛をなんとなく引きずっているような・・・。夕方から、幼稚園の夏祭りに行く。30分弱の道のり、小躍りしながら歩くサク。そんなにも、そんなにも楽しみか。いいね。

着くと、クラスの友だちいっぱい来てる。今年もお父さんとお母さんが作った手作りの夜店がずらり。年長さんはそろいのハッピ。変わらないこの風景がいい。在園児のお買い物がひと段落してから、卒園児含む一般のお買い物の時間。「どうぞー」とアナウンスがかかると目当ての店に走っていくサクを、たちまち見失った。財布に入れていた小銭がなくなったら、親を探して戻ってくるw 一度、100円だけ補充してあげた。

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(お父さんたちお手製の、カブトムシやクワガタのペーパークラフト)

だいたい買い物が終わると、5,6人でずーっとたむろってる。というか、延々と走り回っている。太鼓の演奏のときも、盆踊りの時も、ずーっと走り回っていて、花火が始まるとやっと落ち着いた。火って惹きつけるものがあるんだねー。卒園児、在園児、いろんなお母さんお父さんに会って、話し込んだり、すれちがいざまにちょっと挨拶したり、楽しかった。子どもたちは虫を探しながらの帰り道。明日から新学期だ。何はともあれサクを寝かせて、直虎の録画・・・ぐあーっ、ある意味先週以上の鬱展開!!

 

【ゆるマジ】 vol.3 絵本の力、読み聞かせの効用

facebookにてライブ配信した、15分ほどのおしゃべり動画です。

3回目にして早くも大事なものを忘れてきたわたくしですが
絵本のことなどおしゃべりしてます♪

福音館書店の名作絵本の数々や、小沢健二の父こと小澤俊夫さんのこと。
ゆうに1時間は喋れるネタをギュギュッと! 

https://www.facebook.com/akiko.ganse/videos/1488608034553903/

facebookやってない方でもごらんいただけるはずです(夫のスマホで動作確認済み)

手探りでやっているので、ご感想などいただければうれしいです~♡

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葉月の十六 / 大人のための絵本・読み聞かせ講座 by わたくし

●8月某日: 「大人のための絵本・読み聞かせ講座 @ マミースマイル保育園10周年わくわくフェスタ」の遂行日。10冊近い絵本・本とささやかなレジュメ等をリュックサックに詰め込み、サクと姪浜駅に降り立つ。そこからはバスで行くつもりだったんだけど行ったばかりで次までに20分以上あったので、歩くことに。1kmちょっとあったかな、けっこう暑かったけどサクもそれぐらいは余裕なのでね。

雁瀬さんが10年前にひらいた、(主に)専業主婦の休憩や用事のときのための一時託児所(月ぎめにも対応)。10年前ってことは年子のお子さんたちは当時サクと同じくらいの年頃だったのだ・・・と思うとあらためてすごい。中に入ると、さっそくグリーンコープのガチャポンやら、ココナッツオイルを使ったスイーツの試食やらさせてもらう。11時から不肖わたくしが一区画を陣取ってお話会開始。

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(facebook投稿より)

唐突ですが、村上春樹が小説家になる前、8年くらいジャズ喫茶の店をやっていたのをご存知ですか? 
なんと早稲田大学在学中に結婚して、借金をして、自分の店を開いたのですから、起業家スピリッツあふれる話ではありませんか。

その頃の話は彼のエッセイのあちこちに出てくるんだけど、私の印象に深く残っているエピソードのひとつは、
「店というものには、いろんな客がやってきて、みんながみんな僕の店を気に入ってくれるわけではない。というか、むしろ気に入る人は少数派である。
でも、たとえ10人のうち1人か2人しか気に入ってくれなくても、その1人か2人が “本当に” 気に入ってくれたら、店ってけっこう成り立っていくものなのだ。
むしろ、大部分の人に気に入られず、1人か2人が本当に気に入ってくれたほうが、かえって良い結果をもたらす場合もある。」
と書いていたこと。

今日、私たぶん50分近くしゃべったと思うんですけど、私の話が目的というわけではなく、マミスマフェスタに来てたら(しかもお子さん連れで)、たまたまその場でお話会が始まったから・・・という感じの方がほとんどだったと思うんですね。
なのに、最後まで聞いてくださった方が何人もいたんです。アンケートも思った以上に回収できて。

細かいことを思い返すと反省点は多いのですが、基本的にお気楽な人間なので、上記の村上春樹のエピソードを思い出して、とりあえず自分を褒めています(^^) (村上春樹を自分に置き換えるおめでたさよ)

話し手としての私は何かちゃんとした資格や経験値を持ってるわけじゃないうえ、
私の話って、
「こうしたらお子さんが伸びますよ」
「こんな得することがありますよ」
みたいな、ダイレクトな実利とは遠いので、ピンとこない人もいると思うんですよね。
でも、興味を持って聞いてくれる方もいる。
感動でした~!

自分の話を聞いてもらえた喜びもあるんですが、
こういうテーマもイケるんだ、興味をもってくださる人もいるんだなぁってのがうれしい。

10周年の大切なイベントの中で、こんな機会をいただいて、雁瀬さんに感謝です。
マミースマイル保育園にもうかがってみたいと思っていたので、うれしかった。
ここで10年。歴史だなーと思いました。
赤ちゃんや小さい子たちの姿には、笑顔だけじゃなく泣き顔にもきゅーんときますよね
雁瀬さんご夫婦やスタッフさんたちのそういう気持ちが伝わってくる感じがしました。
ココナッツオイル(うちで使ってるのと同じブランドでした!)のスイーツや、
エスプレッソや、
グリーンコープの牛乳、
デコルテマッサージ(講座での緊張がほぐれました~最高)、
手作りパンもいろいろ購入して、
いろいろ楽しませていただきました。
同伴して、私の話も聞いていた息子(小1)の感想は
「かーさん、はなし、ながすぎて、おれ、かーさん きらいになるかもしれん とおもった」
って(笑) あぶねー、あぶねー。
でも、
「えほんと れきしの つながりなー。すだまさき、すきだよなー」
って、何となく理解したようです(笑)

天神で、サクに絵本『すばこ』を買って帰る。サクに・・・というか、私がしばらく前からほしいなと思っていた絵本。絵がすばらしい。

夜ご飯は、夫によるたこ焼きパーティ! オクラ、ポテサラ、トマト。タコをまだ好まないのサクは「おれのは、たこやきじゃなくて、ただの“やき”だな」と言って悦に入っている。ソーセージやチーズを入れて焼いたよ。

 

葉月の十五 / コクワガタとの邂逅、怖いおはなし会

●8月某日: サク的に盛りだくさんの1日。まず、ラジオ体操に行こうと家を出たところで、地面を這い歩くコクワガタを発見! 急いで家に戻り虫かごを持ってきて確保に成功。この夏、特製ジュースを木肌に塗り付けたりしてカブトムシ・クワガタの捕獲にいそしんできた(そしてことごとく実らなかった)彼への神様からのプレゼントだろうか? 

体操からの帰り道に枯葉や木の枝を拾い集め、土と一緒に入れて環境を整え、この日はまったく10分~20分に1回というくらい頻繁に、「コクリくん みてくるー」と虫かごチェックしていた。あ、コクワガタのオスだから「コクリくん」と彼が命名。

そのあと、午前中は公民館の子ども教室へ、今日のプログラムはバルーンアート。昼、ピンポーンとチャイムが鳴りドアモニターに映ったのは、色とりどりのバルーンアートを両手に山と抱えてニコニコしている彼の姿。「ぜんぶじぶんでつくった! もう、もってかえってくるの、めっちゃたいへんやった! のどがかわいてもすいとうものめんし、あたまがかゆくてもぼうしもとれんし!」と、そういう障壁すらテンションアップのガソリンにしながら友だちと盛り上がって帰ってきたことが察せられる。

パリパリ麺の皿うどんを食べて、夜はどんぐり文庫の夏休み特別企画、小学生以上限定の「こわいお話会」デビュー。 

ゼラルダと人喰い鬼 (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

ゼラルダと人喰い鬼 (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

 

 






サクはそんなに怖いもの知らずな子ではないので、私は正直、「直前になって“やっぱりいかない”」と言い出すかも、ぐらい思っていた(それはそれでいいと思っていた)のだが、一度も逡巡せず敢然と(おおげさw)参加したことにちょっとびっくりした。

実際はそんなに怖い話はなかったのだけど(年によって怖さ度は違うみたい)、「こわがらずに参加して、やりきった!」という解放感、充実感を漂わせる、終了後のサクだった。大事よねw が来ていて、いつものお話会より読み聞かせ、語り聞かせの数も多いし時間も長いのに、前のめりで聞けるんだなーとも実感。来てる子どもたちも常連さんがほとんどだから、緊張しすぎず集中できるんだろうな。8時半ごろ帰宅し、ハイテンションでアイスを食べて、歯磨きしてパタッと寝た。夫とだらだら飲みながら桑田佳祐の『SONGS』をリアタイする。


 

『おんな城主直虎』 第44話 「井伊谷のばら」

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おう。お小姓たちとのえげつないバトルが続くのかと思ったら、さっくり4年経って先輩たちはお小姓卒業してた~! そうだよね、もう44話だもんね、尺あんまりないもんね。だから万千代編を1年確保してだな・・・!

でも、えげつない “色小姓” ネタはちゃんと続くのだった。殿の大事な色小姓ゆえ、安全第一の万千代たち。「我らに手出ししてみよ。殿のお怒りが、お・よ・ぶ・ぞ」 大いばりで切った啖呵が、ちゃーんと己にしっぺ返ってきてるんであるw

放置プレイにふてくされるも、悪態をつくだけついたら切り替えて、手も頭も動かすのが万千代の稀有な美点である。決して怠け者でも凡愚でもない万福が疲れて寝かぶってしまう姿を描くから、なおのこと万千代が卓越していることが強調される。(でも、ぎゃーぎゃーうるさい万千代の相手をせずサッサと寝ちゃう万福、かわいかった)

で、薬箱の紐の結び方から疑念をもったホームズ万千代が講じる一計。

いくつもの鮮やかな「反転」が印象的な回だった。

信康の小姓、武助が家康の命を狙う曲者に反転。
あろうことか殿の寝所で寝こけて起きない不届き者が、殿の命を救うお手柄を上げる反転。

それにしても、「しょうがない奴じゃな、もう1回起こしてみようか。ほれ、万千代、起きよ」って、家康優しすぎる~~~! この4年、そうやって散々甘やかして可愛がってきたんだろうなってのが丸わかり。そりゃ嫉妬もかうわ~! なんせ自ら色小姓してるしね…w

ともかく、自らの危険を顧みず挙げた手柄が、「寝所での手柄」ってことで下ネタにされているw 「どんな良い槍を持ってるんだ、ムフフ」って、ほんっとひどい脚本書くよね!(好きですw)

てか、家臣たちの間では、この一件から、家康が攻めから受けに反転したってこと?(やめなさい)

で、この寝所でムニャムニャな手柄がもとで、なんと一万石を賜ることになった万千代なんだけど、家督を継いでもいない、元服すらしていないのに、褒賞でそんな破格の知行地(江戸時代なら大名よ!)を得ることがあるんですね~。今作のことなので適当な展開じゃないと思うんだけど、そのあたり、補足情報ほしかった。

おとわと祐椿尼さまの「反転」、泣けました。心配ばかりかけ、孫を抱かせてやることもできなかった自分を親不孝だと自嘲するおとわが、母の愛を一身に受ける「果報者」に反転する。試練続きの我が子に何もしてやれない役立たずだったと嘆く祐椿尼もまた、娘に心から礼を言われて幸せをかみしめる。

ここで語られた言葉は、直虎のこれまでの人生を総括するものであり、人生の普遍を語るものでもあったと思う(私はベルばら未読なのでわかりませんが、オスカルのセリフにも通じるのですかね?)。

「屋敷の奥深くに暮らす姫だったら、百姓は単に米を運んでくる者で、ならず者は単なる悪党で、商人は銭に卑しく、家を乗っ取ろうとする家老はただの敵だっただろう。この人生でさまざまなことを経験したから、いろんなことを知ることができた。悲しみも多かったが喜びも多かった。(大意)」

そう、ただ守られ、悲しみが少ないことが人生の幸いではないんだよね。わが身になればそう思う。「深くコミットする」ことの苦しみと喜びを描くのは森下さんの脚本の常で、そこがすごく好き。でも、これが我が子のことになると、つい悲しみに出会わせたくないと思うのが親なんだよね。

「いつまでもそなたを案じていたい」 すばらしいセリフだったし、財前直見の情の深い演技と相まって、胸にしみわたりましたよ~(泣)。そして、祐椿尼の身を案じていたはずの井伊谷のみなが、祐椿尼から心のこもった手紙を一人一人もらうという「反転」もすばらしかった。桶狭間のあとの、お方様としての仕事を全うするエピソードを彷彿ともさせて。

万千代に言わせれば「いじわるばばぁ」「薬はよこしても家督は譲るまい」な存在でしかない直虎だが、直虎は万千代たちが戦に出たとなれば、一心に無事を祈っている。まったく、親の心・子知らずなもんですよね。

近藤のもとで裏方として甘んじる直虎に、「誇りはないのか」と激昂する万千代。名を上げたいだけではないか、くだらない・・・と詰られると、そのくだらないこともできずに逃げただけじゃないかと反発。罵りながらも「殿は」と思わず “殿” 呼びしているところが、セリフこまかい。

近藤と直虎について、「さまざまな経緯があって今の形に落ち着いた」と方久は深いまなざしで語り、家康はそれだけで概ねを了承したけれど、若い万千代には理解できない。直虎も言葉を尽くして教えようとはしない。「頭でぶつかりながら」でなければ体得できないのだとわかっているからだろうか? 

直虎と万千代、2人の衝突を見ていて不思議な気分になった。何か月も直虎の人生を見てきて、その過程で何人もが死んだり苦しんだりするのも知っている視聴者としては、直虎がやっと見つけた「落としどころ」と平穏な井伊谷に思いを寄せているのだ。でも一方で、向こう見ずな勢いで道を切り開き駆け上がっていく万千代がうれしいし、応援してる。勝手なもんです。でも、簡単に割り切れないのが人間ってことかしらね。

「それの何が悪い、武士とはそういうものだろうが」と直虎に言い放ち、徳川家では桜吹雪ばりに生傷を見せつけて大見得を切った万千代。色小姓が武勇の者に反転した!!と、カタルシスもりもりのシーンなのだけど、これで終わらないのが怖いとこ。

これは、万千代が「寝所での手柄」の真実を明るみにしたので、武助をオフィシャルに厳罰に処さなければならなくなったということなんだろうか? ほっほっ、やりおるわい~、というような酒井・本多・そして家康の笑いに比べ、榊原康政の厳しい表情はそれを物語っていたということか? 

武助は見目好い従者だった。色小姓とまではいわずとも、信康は彼をかわいがっていたんだろうなあ…