睦月の十二 / Mステに菅田将暉!!

●1月某日: 雨がけっこう降っていて、近所のお友だちに一緒に乗せてもらって登園。寒波がきていて、寒い。サクは熱もなく元気な朝だったが、私のほうが喉に違和感。鼻水も少し出始めた。家に常備している風邪薬(改源)が切れていたので、買いに行って飲む。で、まだまだごくごく軽いと思っていたら、急激に進行。来週の試験に備えて今日はみっちり勉強しようと思っていたが、午後からはだいぶ参っていた。断続的な雨と強風で、どうしようかなと思っていたらクラスの友だちが乗せて帰るよと連絡してくれて、ありがたくお願いする。助かった~。

はたして、「おひる、ちょっとゆきがふった! そとにでてあそんだよ!」と元気に帰って来たサクが、上着を着ていないではないですか。「あれ? あー、へやのなかにおいたままだ、たぶん」ですって。気温5度くらいのこの寒さの中、よく、ジャンパー忘れてこれるよね・・・! 本人は全然気にせず、「じゃっじゃーん!」と、「コマ袋」を誇らしげに披露。なみ縫いや玉結び、玉止めを教わり、中表にして縫うところから始まり、袋口を作り、ひもも通して完成した力作だ。「サクちゃんのは全然手伝ってないんですよ~」と先生が言っていたが、かなり上手にできていた。やるな…小学校で要る袋があれば、自分で作ってくれ…(うちにはミシンがない)。

夜ごはんは、鶏と根菜のスープ煮。小さいカレイの干物。小松菜とささ身の和え物。スープ煮が風邪っぴきの身に優しい。夫につきあって(いや、別に付き合う必要はないのだがw)梅酒のお湯割りを少しだけ飲みながら、Mステスペシャルで菅田くん@グリーンボーイズを見た。




出だしのフレーズからサビで、音も高いし、ソロだし、すごく緊張するじゃないですか。そこを立派にやってのけたの。そしてそのあとは、歌をこなすんじゃなくて、ちゃんとパフォーマンスになってる。途中からは彼自身すごく楽しんでるようだった。菅田くんすごい。





あ、今夜はこんなこともありました。

 

●1月某日: 義実家に泊りがけで遊びに行く予定だったが、風邪具合が悪いのでパスしようと夫が言ってくれる。うっうっ、ありがとう、あの地は本当に寒いからね…。でも、サクは楽しみにしてたし、先方でもおでんとか仕込んでくれていたようだしってことで、夫とサクは日帰りで行くことに。うっうっ、ありがとう、いってらっしゃーい、バタンキュー。と寝たいところだが、横になると鼻が詰まったり、鼻が詰まっているのに鼻水がタラーと垂れてきたりして、あまり眠れません。



ええ、休養が何よりの薬ですよ…。サクは楽しんで帰ってきたようでよかった。大きな公園に行ってローラーコースターを滑ったり、鳥の観察もいろいろできたようで。んで、おでんやお刺身などいろいろもらってきてくれてよかった。んでも、嗅覚とともに味覚がダメになってて何を食べても味がしなくて食べる気になんない(泣)。しょんぼりしてたら夫が大いに同情してマッサージなどしてくれたせいか、蒸しタオルで鼻を必死にあっためた成果が出たか、2時間後くらいに回復したのでおでんの大根とか卵とか、カンパチの刺身まで美味しくいただきました。さすがに酒を飲む気にはならず…。

 

『おんな城主直虎』 第11話 「さらば愛しき人よ」

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えーっと、「答えはひとつではない」って言ったよね。言いましたよね? 初回から繰り返していますよね?!

思いきり、ひとつの答え(破局)に向かって突き進んでるやん!!!(泣)

次郎は大丈夫じゃない?って感じだし、おまえが決めろと言われた政次も嫌な顔するどころか「俺だって共倒れはごめんだ(キリッ」なんつって即断だし、それで直親はすっかりその気になっちゃって、おまえら「三人集まれば文殊の知恵」じゃないのかよー! 三人そろった途端にこの始末かよ!!

キム兄のときだってうまくいったから、ほっしゃん程度は余裕かなって思ったらこの展開だよ!!

しかし浅丘ルリ子だからしょうがない・・・寿桂尼だからしょうがない・・・ここは戦国・・・

若く未熟な者たちのひとつの失敗が、命に直結してくる。

自分が行けばそれで済む話(直親)
自分は今川の目付です(直次)

井伊を守るにはそれしかないとわかっている。

もう見送るのはイヤじゃ(直平)
(息子を)ごらんになりたいかと思って(しの)

周囲も全員、直親の死をもう受け止めかかってる。違う道はないのかよー!!

あれだけヒステリックで激情家のしのが、夫との別れに際して、取り乱さない。
また、あれだけプライドが高く夫の尻を叩いていた瀬名が、すっかりしょげていて、「今川をとるため」と口では言ってるけど、自己肯定感ゼロみたいになってる。

傾いてるはずの今川が怖い。松平はもっと怖い。これから信長も出てくる。海老蔵やし! 柳楽くんまで出てくる。戦闘能力高そうでなー!

直親の死を前提とした人々の中で、経を唄うのこそ断ったものの、「一緒になろう」には頷いていしまう次郎が悲しい。抱きしめられると思いが飽和するよな。次郎にとっても、直親はたったひとつの甘美な思い出。

この2人、思い出といえば子ども時代だけだし、逢瀬を重ねるとか苦楽を共にするとか愛憎渦巻くみたいな、男女の生臭さとは無縁だった。恋に恋して、はかない面影を支えにして。直満の死という重さ、禍々しさが横たわっていても、や、だからこそ? 思いは甘美で綺麗なままだったのだなあ。

遠ざかる背中に、「どんなことをしても戻ってこい!」と叫ぶ次郎。こうして為すすべなく直親を失った次郎は、井伊の難局を双肩に背負い、「ひとつとは限らない答え」を必死で探し求めてゆくことになるのかなあ・・・。

井伊谷に帰還した時は「なんか怖い」と思えてならんかった直親のクシャッとした笑顔が、泣き顔のように見える日がくるなんて。脚本演出の確かさよ・・・!

先週の、馬のいななきで終わった「動」の、少年ジャンプ的なラストとは対照的に、一陣のつむじ風のあと敵に囲まれている、という静的な、しんと背筋が冷えるようなラストだった。

 

睦月の十一 / 小澤俊夫講演会 「世界のむかしばなし」

●1月某日: サク弁、牛肉、スクランブルエッグ、粉ふきいも、ほうれんそうとにんじんと鶏ミンチの甘辛煮。サクを送っていったあと、その足でクラスのママ友と太宰府、絵本専門店「あっぷっぷ」へ!







↑「狐」の目次だけで4ページあるってことね。





そういうふうに、世界中で見られるお話は、単純な話ならば偶然の一致(多発性)だろうが、ストーリー性があるもの(たとえば狐女房も、こぶとりじいさんも)に偶然はありえないだろうと言っていた。つまり「お話が移動した」。

お話は人間と共に移動する。「伝承」や「口承」と一言でいってしまえば簡単だけど、それは膨大な数の「場面」の積み重ねであり、その1つ1つは日常である。日本であれば、囲炉裏端で親が、あるいは祖父母が、唾が飛ぶような距離感で子どもに話して聞かせるような。昔話は異なる世代をまとめ、共同体をまとめあげていくものだった。

「人間は家庭を持って以来、語ることをやめたことがない」という名言がある(誰の名言だったかメモしそこねた)。「生の声で伝える」それが昔話の基本であったが、現代の文明はそれとは逆ベクトルものも。テレビにしろスマホにしろ「間接的」に拡散していくものだから。それが悪いとはあまり言わないが、子どもに対しては…。

新しいもの、新しい知識を次々とを浴びせるようなやり方は、子どもにはそぐわない。「そういうのはケチくさい」という表現をしていたのが面白かった。効率よく多くの知識を与えようみたいな考え方はケチくさいんだって。

「子どもは、もう知っているものと出会いたがっているんです」と言っていた。だから何度でも同じものを読みたがる。絵本や昔話も、優れたものはリズムを大事にしている。同じ場面を同じ言葉で語る。3度繰り返し、3度目は長く強調する。これはクラシックでも同じ。

シューベルトの子守唄をごらん、「ねむれ ねむれ ははのむねに」。ね、3度目が長いでしょう? 同じものの繰り返しが心を安定させ、心の安定が成長につながる。うちの息子たちにも同じ絵本を何百回も読まされましたよ。次男はボロボロになった毛布を手放さなかったり(小沢健二だ!)。大人だってそうでしょう、年末になると毎年、第九を聞きたくなったり忠臣蔵を見たくなったりする人、いるでしょう。毎朝のコーヒーだってそうですね、同じ事を何度でもしたがる、それで安定するのが人間なんですね。

昔話の文章は単純でなければならないとのこと。「シンプルでクリアな文章であること。アレンジしない。手を加えずに伝える」。福音館書店の「おおきなかぶ」を持ってきてすばらしさを解説していた。 

おおきなかぶ

おおきなかぶ

 

 絵のすばらしさ。人間も動物もカブも、とても写実的に描かれている。でも、全体を見るとこんな絵はありえないよね。こんな大きなカブ、ありえない。それが肝。「部分は写実、全体はファンタジー」これが昔話。抜けたばかりのカブが真っ白とかね。これで土がついてたら台無しですよ。抽象的だから面白い。

日本の昔話の採集、再話の取り組み。日本の昔話の特徴は、「主人公が、自然の中の何かと出会って何かをする」。自然の中の何か、というのは姿があるとは限らない。声が聞こえるだけだったり。それは往々にして神さまだったりする。お堂の神、流木の神。流木の神っていうのもあるんですよ!衝撃でした。動くものの姿を獲得することもある。蛇や、蜂や、鳥、狐、地蔵・・・。

なるほどねーと思った。「かさじぞう」も、「鳥のみじい」も、「狼の眉毛」もそういうことなのね。西洋の昔話では狼は葬るべき敵だけど、日本の狼は神様なんだよね。
とにかく軽やかで自由な話しぶりと、地道で根気強く、かつグローバルな仕事ぶりに、ものすごく元気をもらったのだった。

お昼は、その近くのお店で、友だちのおすすめの「鯉のあらい」ランチを食べる! お醤油だけじゃなく、酢味噌や柚子ごしょうや赤/青トウガラシなどいろいろ用意してあって、飽きない。独特の歯ごたえと味。あら汁もめっちゃおいしい・・・! そのまま幼稚園のお迎えへ。サク、昼間、37度9分の熱を出したらしいので、すぐに帰らせようと思ったら、なんか遊びで盛り上がってる。帰宅して熱を測るともう37度未満だった。夜ごはんは、焼きそば。りんご。

 

↓ 講演会の話をしたら、どんぐり文庫の梶田さんが、小澤さんの本をおすすめしてくれた。すごく面白かったです!

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睦月の十

●1月某日: 寝違えたようで、朝から背中にかけて違和感。だんだん痛みが右肩にまとまってひどくなってきたのを感じながら、お迎え時、サクとその友達に乞われて一緒によーいドンをする。

園庭は凹凸が激しく(子どもたちのどろんこなどの造形による…)めちゃ走りにくいし、肩は痛いし…と思ってたら、いつもはクラスのママたちにそっけないMくんが、お母さんに手を引かれて帰りながら

「サクのおかあさん、はしるのはやかったね、ぼく、みよったよ」

とまっすぐに私を見つめて熱心に言ってくれて感動した。一緒におしゃべりしてた他のお母さんたちからも「Mのああいう姿、初めて見た!」「ちょっと嫉妬するわ~」と言われるw そして、元看護師のクラスのお母さんに寝違えの対処法を聞いて実践すると、かなり痛みが引いた! 小さないいことが重なるわ~。朝は寒いけれど午後は日差しが出て暖かいので、子どもたちはなかなか帰らず園庭で楽しそうに遊んでいた。

夜ごはんは、ふるさと納税でもらったサバの一夜干しみたいなのと、ささみとニラ・もやしの和え物、味噌汁。また悪いクセが出て、具沢山で汁少なめの味噌汁でござんした。

 

●1月某日: 昨日の寝違えがほとんど気にならないくらいに治った! いつも3日くらいかかるのに。ありがたやー。

近所の子を連れて、一緒に歩いて登園。Nくん、最初は昨日落としてしまった手袋(片方)を気にしていたけど、サクとふざけながら行くことで気がまぎれたみたい。片方の手袋に両手を突っ込んで歩いたり、サクに「ちょっと、代えっこしよう」と持ちかけたり。それで、五本指の手袋に慣れていないNくんが、間違えて指を入れた状態を見て2人で大爆笑したり、ほんっと朝から元気だね、君たちは。いったん帰宅し、12時から懇談会。





帰りも家まで歩く。友だちが遊びに来るというので、一緒に。友だちが帰った後もサクは意欲十分。



夜ごはんは、鶏の手羽元グリル、イカ焼き、にんじんサラダ、もやしとニラ・ささみの和え物のの残りなど。サクを寝かせてから飲み足しつつ、夫と「カルテット」の1話を。録画はいろいろたまってるけど、ネットでの評判があまりにいいので先に見よう!と意見が一致したのであった。

 

『ろばの子 ~昔話からのメッセージ』

 

ろばの子―昔話からのメッセージ

ろばの子―昔話からのメッセージ

 

 

どんぐり文庫の梶田さんにお借りした本。今年1月に、筆者・小澤俊夫の講演を聞く機会があったことをお話すると、「これを読んでみませんか?」とおすすめいただいた。子どもたちが思春期のころ、梶田さんがとても励まされ、支えにした本だという。

まえがきやプロローグがすごく面白い本って、ほぼ間違いなく本文が面白いんだけど、本書も例に違わず。

日本の昔話といえば、「こぶとりじじい」とか「はなさかじじい」とか、とかく「爺」の印象がある。主人公は正直者の良いおじいさん、隣に住むのは強欲で悪いおじいさんで、最後には悪いおじいさんは痛い目にあう。明治以降、道徳的教訓を得られるものとして教科書への採用も多かったので、代表的な昔話として認識されるに至ったが、「とんでもない」と筆者は言う。

この種の「隣の爺」型の話はほんの一部で、昔話にはもっと広大で奥深い世界が広がっているというのだ。筆者がすすめるのは、「変化する若者」を語る昔話である(「隣の爺」型の昔話は、「良い爺」「悪い爺」と最初から最後までパーソナリティが変わらないものだ)。

昔話は口承で伝えられてきた。老人が孫ほどの小さい子に囲炉裏端で聞かせる。自分が子どもの時に聞いた話で面白かったものを覚えていて語るわけだが、そこには、彼が「聞き手」から「語り手」になるまでの長い人生での経験や、人間観察も込められていただろう。鼻たれ小僧・悪たれ小僧が10年後にはまじめに働く若者になり、立派な父親になる姿も見てきただろう。

社会的道徳よりももっと根本的な、「人が育つとはどういうことか」「人は人生をどのように歩いていくか」という人間観は、かつては昔話によって、年長者から口承で伝えられてきた。核家族化・個人化がすすむ現代社会では、そのような子どもについての知恵の伝承は激減している。昔の人が子どもを・若者をどう見ていたか? 昔話から見ていこう、と筆者は呼びかける。


以降、本文では古今東西の昔話が取り上げられる。表題にもなっている「ろばの子」は、筆者のもともとの専門、ドイツのメルヘンから。

「子どものいない国王夫妻についに授かったのは、人間ではなくろばの子だった」という奇想天外な始まり。熱望して授かった子は標準的ではなかったが大事に育てる、というのは、日本にも「たにし息子」「へび息子」などある通り、世界中で見られる型である。親は子にいろいろな期待をするものだけれども大抵それは外れる、それでも愛情を持って育てていくことの隠喩だという。

ろばの子はあるとき、水に映った自分の姿を見て「自分は ろばなんだ」と気づき、悲しんで旅立つ。これまでは自分中心の世界に甘んじていたのが、あるとき自我に芽生えたり、客観的なものさしで自己を見たりして、焦ったり悩んだりする。思春期の姿である。気づいてしまった少年は広い世界にひとり、出ていくしかない。ここで、「小さいときにたっぷり愛されて育ってきたから、危機に際してひとりで立ち向かっていける」大切さを筆者は強調する。

他国に着いたろばの子は、いくつかの経緯の末、その国の王女と結婚する。その国の王も王女も、「ろばが姫の夫なんて」と嘆くが、王女と2人きりで寝室に入ったろばの子は、なんとろばの皮を脱ぐのだ! 出てきたのは美しい王子だった。王女は心から王子を好きになり、キスをする。

これは間違っても「人は見た目で判断される」という隠喩ではなく(笑)、「一見、ひどい姿をしているが、内面は美しい」という世間一般の若者の姿そのものだという。普段はちゃらんぽらんしたり、大人に心配をかけ世間に非難されるような若者でも、本当は内面に美しさをいろいろ持っている。若者自身も、自分に自信がない。あるとき、やっとの思いで本当の自分を表す。

王女と一夜を過ごしたろばの子は、それでもまだ揺れ動いている。ろばの皮をかぶったほうが安心ではないかと。それで、皮を探すが、どこにも見当たらない。狼狽したろばの子は(シャレか)「ここから逃げなければ」と出て行こうとする。そこに来たのが王女の父の王さま。「おい、そんなに急いでどこに行くんだ。おまえは、そんなにも美しい若者だ。去ってはいけない」。体や“なり”は大人になっていても、まだ自信のない若者たちは、こういわれると安心して本来の美しい姿でいられる。大人を信頼して、社会の中に入っていく。


ほかにも、「揺れ動きながら成長する」シンデレラや、「ようやく起きて知恵を働かせる」三年寝太郎や、「失敗を繰り返す」白雪姫、「段階をふんで成長する」わらしべ長者などが紹介される。

最後に紹介されるのは、「かにのふんどし」で、章題には「愚か者を受け入れる社会」とある。昔は、弱い人や、人より劣るとされた人への差別は今と比べ物にならないくらい激しい面もあった。でも一方で、だからこそ、弱い人を優しく見守り、差別された人を仲間みんなで守ってやるような気風もあり、それが昔話に表れているという。

筆者は言う。現代は資本主義社会で、教育についてすら効率主義がはびこっている。小学生への全国一斉テスト。成績の良い学校への補助金優遇。ひとりの子が、かけがえのない人生を踏み出していくことに対する思いやりがそこにあるか? 国家として役に立つ子どもとそうでない子を選別し、順番に並べるような冷たい所業じゃないか?と。

講演でも言っていた、筆者独自の「三年寝太郎」理論(笑)。若いときは誰も眠くてしょうがない。自分に自信もない。慣れたあたたかい布団の中で、ぬくぬくだらだらしたいもの。みんなそうだったけれど、人間はその時期を卒業すると忘れてしまう。自分はだらだらしてたことなんてないよ、という顔をして、子どもに「勉強しなさい」「しっかりしなさい」と言う。

個人がそうやって忘れてしまったことを、昔話は覚えている。それは「人類の集合的な記憶」であるという。一時期、永遠に寝ているんじゃないかと思われた若者が、いつかは起きて動き出す。知恵を働かせ出す。「大丈夫、人間、そんなものだよ」と昔話は言っている。

けれど今の若者たちは、寝たい時期に寝かせてもらえないまま大人になっているのでは? それは歪つなことでは?

社会にはルールが必要だ。けれど人は、時にルール違反をし、道徳的に逸脱する。怠けたい気持ち、ずる賢い気持ちもある。そういうものを大目に見る、ゆったりとした人生観が昔話には残されている。

・・・とはいえ、本文中で紹介された「白雪姫」や「シンデレラ」「桃太郎」にも見られる通り、筆者が「これがこのお話の肝」とする原作の部分が、いろいろと削除されたり改訂されたりして現代に伝わっていることも多い。口承ではなく文字で、また、挿絵をつけて伝承されるようになる過程で、お話が本来もっていたメッセージよりも別の何かが優先されてきたのだろう。それは、昔話に限らず、社会のいろいろな面で見られるところなのだろうと思う。より迅速に、より効率的に、より商業的に・・・。

筆者は大学を定年退職し、1998年に「小澤昔ばなし研究所」を設立して、昔ばなしの研究・出版・講演などを今も精力的に続けている。私が行った講演も満席御礼だった。ますます息苦しくなっているような気のする社会で、寛容や長期的視点を大切にするアプローチが一部とはいえ長く強く支持されているのは小さな希望だと思う。

そして、こういう考えをもったお父さんに育てられての、小沢健二なのだなあ、と、高校時代に『小沢健二とスチャダラパーのオールナイトニッポン』第2部(深夜3時から2時間よ!)を録音しながら毎週聴くほどフリークだった人間としてはしみじみせざるを得ないw 講演でも、筆者は子どもたちにせがまれて「おおきなかぶ」を何百回、何千回と読み聞かせていたと言っていた。小沢くん、表立った活動をほとんどしていない時期からもう10年以上? 今も、「小澤昔ばなし研究所」が出している雑誌「子どもと昔話」で連載してるんだよね。

【追記】
私、このログ、2/24に書いたんです。まさかこの1週間後に、小沢くんが19年ぶりのシングルを発表し、あまつさえ生放送で歌うとは!! 人生はわからない。人生はすばらしい。

 

『ごちそうさん』 第18週 「乳の教え」

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睦月の九 / コマ回し、コマ袋縫い

●1月某日: 幼稚園、「年長児とパパのお正月遊び会」。先生に聞かされてからというもの、

「おとうさん、こんどのにちようび、ようちえんこれる?」
「ごぜんちゅうだけだけど、こままわしとかするよ」
「おとうさん、いっしょにいこうな!」

と楽しみにしていて、当日の朝もこの冬いちばんの冷え込みと言われる中、意気揚々と出発したサクである。こんな無邪気なのも今だからこそだよね。かわゆい。2人が行ってる間、私は自分の時間が過ごせるのもとても良い。

コマ回しの調子はなかなか良かったようで、満足して帰ってきた2人と、昼はそのまま、近くのうどん屋さんへ。もう6年以上住んでいるのに初めて行った店。博多うどんといえばごぼ天うどんですよ(サクは肉そばを食べていたが)。美味しかった。幼稚園の近所の友だち一家と会った。夜ごはんは、いわし煮、お味噌汁、さつまいもポテトフライ、ほうれんそうのおひたし。鉄腕DASHの放送がなかったのでスーパーサラリーマン左江内氏の録画を半分くらい見たら、想像の3割増しくらいで面白かった。

 

●1月某日: サク弁、ごはん、のり卵焼き、牛肉炒め、ほうれん草と人参、鶏ミンチの甘辛煮、さつまいもフライ、里芋&厚揚げ煮。朝のローカル番組の天気予報コーナーで、「今の福岡は0.9度です」なんつってる。帽子をかぶり、マスクを装着して登園。

降園時は、自転車の空気を入れにいったり、文房具屋さんでノートを買ったり、おやつに美味しいたい焼きも購入。久しぶりに食べたら、高いだけあってめちゃ美味かった。

幼稚園でコマを入れる袋を縫う活動を始めたサク、実際に針と糸を使って、玉止めと玉結びのやり方をレクチャーしてくれる。

「たまむすびは、ゆびに いとをまきつける。こどもは2かいくらい。おとなは1かいでもいい」
「たまどめはね、はりが だいかつやくするよ!」

と、先生がそういう教え方をしたんだろうな~という言葉のチョイスが面白いw 夜ごはんはシチューや、ほうれん草と人参の…など。シチューは、今夜飲み会でごはんのいらない夫がゆうべのうちに仕込んでくれていたものです。ごっつぁん。『富士ファミリー2017』を見始めたら面白くて、サクも面白がって、一緒に一気に90分見てしまった。夫の帰宅後、ちびちび飲みつつ「逃げ恥」の録画を。やっと第3話!

 

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睦月の八

●1月某日: 朝、途中の交差点でクラスの友だちと会う。心底うれしそうな顔になって一緒に走り出す子どもたち。元気ね・・・。今日も寒いのに・・・。

BSの再放送に合わせて見てる「ごちそうさん」が面白すぎる。「べっぴんさん」は一応、録画を流してるけどながら見になっている。テスト勉強やら途中になってた書き物やら、新聞メモやら、いろいろ。迎えに行くと、今日は友だちの家に行くとサク。車に乗せて行ってもらうので「じゃ、カバンは持って帰っとくね」と言うと、「おう!ありがとう!」と、めっちゃ元気に気持ちよくお礼を言うのがなんかうけるw 

しかし、夕方帰宅後は、ちょっとしたこと(というのは私の論理で、もちろん本人には大問題なのだ)でスネ夫くん。夫が帰ってきても、「ごはんたべない。テレビみらんで」など、最近では珍しいメタメタ加減であったが、切り替え時が来たらものすごく切り替わって元気にごはんを食べていた。水餃子スープ(ほうれんんそう、えのき、にんじん、ねぎ)と、鶏と厚揚げ煮。

ぴったんこカンカンSPにキムタク。ミッチー&安住アナとのおしゃべりが楽しい。ヨガも楽しい。キムタク、さすがインナーマッスル鍛えてる感あった。サクが寝てから続きを見ようと思ってたのに、一緒に寝てしまう。夫は起き出してナウシカを一応最後まで見てから寝たそうだ。特に宮崎駿ファンとかでなくても、チャンネルを回してナウシカ・ラピュタをやっていると見てしまうアラフォーあるあるである。

 

●1月某日: サク、昨日は拒まれた「スタンプセット」を今日こそ出してもらおうと朝から面白かわいい顔と言葉でねだる。出してやると、説明を見ながら器用に根気よく作っていた。べっぴんさんでなく「ごちそうさん」を見る私に、夫が、「あ、今もうそういうことになってんの?」と言う。そうなんです。今日はカレーでチューして仲直りの回! 



さて、センター試験の週末、日本列島に大寒波である。福岡は全然マシなほうなんだけど、午前中は断続的に小雪。覚悟してランニングに出たら、意外に大丈夫で、しかもけっこう調子も良くて気持ちよく走れた。お昼はちゃんぽん。

午後から、サクのたっての希望で2度目の篠山紀信展。「(主に“しり”の写真を)おとうさんにもみせたい」のだそうだ。土曜日なのでお客さんはさらに多かった。夫も楽しんだもようで、サク満足。1階でちょこちょこ買い物したり、茅乃舎の出汁の試食品をもらったりして帰宅。

夜ごはんは焼きしゃぶ! ふるさと納税でいただいた薄切り牛肉、超うまい。キャベツや玉ねぎやエリンギを焼き、ネギ焼きも作り(夫が)、餅まで焼いた。最近買ったホットプレート、大活躍している。11時過ぎまで、お茶をハサミながら夫とちびちび飲んで録画を消化。

 

2/26 毎日新聞 「長野パラリンピック 金メダリストの挑戦」

「Life is mine」 vol.37 長い不在を経て小沢健二が2017年に歌うこと ~流動体、歴史の連続性~

というわけで(?)、小沢くんのことです。

当時のファンの多くは彼のことを、「小沢健二」でなく、もちろんオザケンでもなく、「小沢くん」と呼んでいた! あるいは「小沢」。

格差による分断が世界各国に現れている今このときに、
ニューヨークに住み、世界のいろんな国を知る小沢くんが、
危機を警告するのではなく、すごくポジティブなメッセージを携えて、
日本のメジャーシーンに帰ってきた!

・・・というのは、私にとって驚くべきニュースで、ちょっと泣けました。
彼にとっても、妻や子ども(3才と0才)の存在はすごく大きいみたい。

ちょっと気をゆるめればどんどんどんどん長くなっていくので、がんばって割愛に割愛を重ねて書きました(笑)。書き足りないことはまた別の文章として書くつもり。

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