『とと姉ちゃん』 第22週 「常子、星野に夢を語る」

 

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水無月の八 / 幼稚園懇談会

●6月某日: サク弁、そぼろごはん(豚ひき肉&玉ねぎ&にんじん)、ソーセージ、のり卵焼き、じゃがいも&インゲン、きゅうり、コールスロー。今週は月曜日が日曜参観の代休だったため、お弁当デーが1回だけだった。1回スキップしただけですごく楽させてもらった感じがする。夫が休日出勤の代休をとる。雨ということもあり、幼稚園の送り迎えを車でやってくれる。大変助かった。近所の友だちも乗せて行く。

昼ごはんを食べながら、夫と一緒に『ゆとりですがなにか』の録画初回を、やっとこさで見始めて、25分で私が家を出る時間のタイムオーバーになったんだけど、その25分弱で、さっすが、めちゃくそ面白いのな! 4月期連ドラもとっとテレビも終わるので、これから7月クール連ドラが始まるまでの楽しみができました! 

さて私は昼から幼稚園夏祭りの出品物を制作する、お母さんたちの「仕事会」へ。「口も手も動かす」が公然とテーマに掲げられている活動であるw 年少さんのお母さんなどとも初めてお話する機会があったりして面白い。その後は、週に一度の幼稚園の「文庫の日」で貸出係の当番。借りる絵本の内容が違うのはもちろん、借りたり返したりの様子も、年少さんと年長さんではまっっったく違って面白い。

夜ごはんは、豚肉のしょうが焼き(玉ねぎ&キャベツたっぷり)、うるめいわし、コールスロー残り、トマト。うるめいわし美味しすぎた。ビール、白ワイン。ふるさと納税のお礼の品が2自治体同時にやってきて、わが家の冷凍庫は肉でパンパン。

 

●6月某日: 朝、夫がへなへなな顔で「ひどい風邪ひいた・・・」と言う。そう言いながらもいつもより早く出勤して行ったが、そのあとに起きてきたサク、おはようの二の句で「おとうさんは?」と言う。「会社に行ったよ」と言うと「あー、ゆめかー…」。お父さんが風邪をひいたと言ってたので、お休みしてるかと思ったらしい。いや、正しい状況把握です。しかし大人はそれでも会社に行ったりするのですよ…。

サク、今日も家から友だちと歩いて登園。がんば。12時からクラス懇談会。











夕方、夫のためetcでスポーツドリンク買いに行く。「ポカリ2本、アクエリゼロ1本、VAAM1本」と指定してサクに400円渡して、入り口付近で待つ。果たして、間をおかず、やり遂げ顔で正しく買い物したサクが表れる。夜ごはん、親子丼、じゃがいも&インゲングリル(煮物アレンジ)、きゅうり。夫、38度台まで熱が上がるが、食欲はある。

 

 

『真田丸』 第34話 「挙兵」

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歴史には「ポイント・オブ・ノーリターン」という言葉があるらしい。
以下、手前みそですが自分のログから引用

「歴史的な過程においては、もう引き返せないとき、ポイント・オブ・ノー・リターンがある」と言われていて、太平洋戦争への道では、それはいつだったのか?というと、いろいろな説があるらしい。昭和13年の東亜新秩序建設を謳う声明だという説、昭和15年の北部仏印進駐と日独伊同盟の締結だという説、それよりもっと早く、昭和11年の広田弘毅内閣の「国策の基準」決定時説もあれば、もっと遅い、昭和16年夏の南部仏印進駐時説もある。

 

生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために (3・完) - moonshine

 

「真田丸」における関が原に至る家康と三成の争い、どこがポイント・オブ・ノーリターンだったのかと考えてみても、わからない。振り返って遡ってみても、そりゃ家康に頼んだら謹慎させられるわなーと思うし、七将にしてみりゃ襲いたくなるんだろうなーと思うし、三成は家康襲撃するっきゃないってなるよなと思うし、この家康はしたたかに振る舞うわな、と。ひとりひとり、ひとつひとつの行動が、「そうだよなー、この人ならこうするもんなー」と必然に見える。その必然が重なって大きな流れができてる。これが歴史だよな、歴史ドラマの醍醐味だよなーと思う。

北政所が言う「揉めごとに巻き込まれるのはまっぴら」とかね。わかるよね。この優しい女性は、はなから政争になど興味はない。ただ、子飼いの武将たち含めた豊臣の家族で、仲良く平和に暮らしたかっただけ。秀吉のために頑張っていただけ。夫に先立たれ、手をかけたつもりの子飼いたちが巣立っていった淋しさを感じさせる。

茶々のほうも政争には無頓着。大蔵卿局によって詳しい事情は伏せられているし、自身、知りたいとも思っていない。この人は、興味のあるものとないものとがハッキリしてる。今大事なのは秀頼。愛でて良し、食べて良しの桃の木が、水のやりすぎで根腐れしてくるのは、秀頼への過保護の暗示なんだろか?

ポイント・オブ・ノーリターン。信繁を考えてみてもわからない。真田の次男として兄を支え家を盛り立てたいと思っていたはずの彼が、いつの間にか、(歴史を知っている視聴者からすれば過剰なほど)三成に、豊臣に肩入れしている。

何でこうなっちゃったのか。やっぱり豊臣で過ごした年月の長さ濃さなんだろなー。とも思うし、みんなが嫌いで、みんなを嫌いな三成に好意を持ち、また好意を持たれちゃう、信繁の聡明さと人なつっこさとまっすぐさも作用してるんだろうなー。茶々にも妙に好かれてたしなー。とも思うし、なんでこんなに大阪に惹かれ嵌っちゃったかと言えば、そもそも梅を亡くしたショックからこちらに流れてきたのもあるよなーとか。梅は徳川との戦で死んだんだったなーとか。いくらでも遡れる。もう運命としか思えないんだよ。

それにしても

「賢いし度胸も仁義もあるけどビジョンも大局観もない」

っていう信繁の人となりがあからさまに描かれていてエグい回だったー。

秀吉の死後も残って三成に仕えて。三成が立てば一緒に立ち。事が甚大になれば収束のために奔走し、家康に頼み込むのも辞さない。家康に頼むのも、頼みながら卑屈にならないのも、これ、なかなかできることじゃないよね。そういうところを家康もかってるんだろう。

政権から去らなければならなくなった三成が流した涙は心底からの悔しさだっただろう。いろんなものを見てきた信繁が、また見てしまったもの。三成も、信繁の前だから、うっかり涙なんて出ちゃったんだろう。

一転、正式な手続きとして蟄居を申し渡されたときの堂々とした態度や清正を呼び寄せ耳打ちしたこと、「今生の別れだ」の芝居がかったセリフから、信繁は三成がこのまま引っ込むつもりなんてさらさらないことを察したんだろう。なんせ「いったん心をひらけばこれほどわかりやすい人はない」のが信繁にとっての三成だから。

で、家康の勧誘を断固断る。この、徳川方が示す好条件や甘言や屁理屈に、多くの武将が乗せられてきたんだよね。おそらく多くは本多正信あたりが餌付けをしてて、徳川内府自らが出馬して誘うのはよほどの人材だとみてるってことだろう。

「石田治部様は己を省みることなく、誰よりも豊臣家のことを思い、尽くしてこられました。
 その石田様でも内府様のもとでは務めることができませんでした。
 どうして私などに務まりましょう!」

このセリフ、漢文の故事成語とかか、中国の古い軍記物とかのエピソードっぽかったです。三成(と自分)の忠義を謳い、家康の不忠を詰る、信繁バージョンの直江状っていうかね。

そう、直江状! 義だの何だの言ってもお屋形さまは現実的に領国を守るのが精いっぱいなのだと思いさだめ、事をかまえるのをあれほど嫌がっていたくせに、お屋形さまが本気になったとみれば、ここまで過剰(にしか見えないw)に挑戦的な態度をとる直江w どこまで微に入り細に入り書きつのってんだよとww それを読んで「たはっ」と笑う景勝な!! 「おまえって奴は、こういうことやるよな」っていう笑いな!!

んで、あの直江状ももちろん、三成と示し合わせたタイミングで出してるんだよね。

ついに乱世再来と湧き立った昌幸は、湧き立ちながら、今はもう、息子たちに頭を下げて助力を頼むんだね。父に従う、とけなげな息子たち。・・・に見えたあとでの兄弟の会話がつらい。

景勝が勝っても乱世なんか来ない。でも戦に勝つには真田安房守の力が必要だからああ言った。と信繁。策士だな、と兄に皮肉られても悪びれない。なんつーか、痛い。痛いよ信繁。戦のあとはどうなるか「わかりません」。宇喜多がどうとか小早川がどうとか、何もし習い茶々のそのまた袂の中で守られている秀頼の聡明さがどうとか、なんつーか大局観ゼロ! さすが真田安房守の息子だよw 

それを見ている信幸の静かな、醒めた眼差し。信繁は中央政権でさんざんいろんなものを見てきたけど、結局は秀吉の(今は三成の)近習でしかないんだね、それに比べて信幸は、真田を背負う大名になってきてる。うう、なんという辛辣な脚本でしょう。

真田昌幸の息子だから、己が望む勝利のためには策を用いる、身内をも騙す(そして大局観はない)。それが信繁なら、真田昌幸の息子だから、父が騙されるのも見てらんないし、父が衰えて夢見がちになってるのも耐えらんない。本当に勝つほうについて家を守らなきゃ意味ない。ってのが信幸なのかなー。と、予告も合わせて、思った。

今回、前半で兄弟息の合ったタッグぶりが良かっただけに(しかも将棋くずし! 1話のリフレイン!!)、どうやったって避けられない犬伏の別れが憎い~~~ポイント・オブ・ノーリターンはどこだったのよ~~~選TAXIで戻るから探して~~~!

あ、きりちゃん。ますますキリスト教に傾倒してるかと思えば「不穏大好き!一緒に乗り越えていきましょ!」「わたし、役に立ってる?」だったので超笑いました。なんか、「信繁を愛し続けるための信仰」って感じがした。「信じていれば、気持ちはもうデウス様に通じてるんですって☆」 このセリフも、デウスさまって結局信繁だろって思えて面白くてエグい。

だって、きりちゃんて当時の女子としてもういい年(いき遅れ…)だろうし信繁にはちゃんとした正室もいてどう考えても今さら自分の出る幕は無さそう、それでも信繁を思い続けて近くにいたいって、もう信仰並みの思いの強さだよね。でも、信繁の近くにいるためなら危険があってもいい、むしろ危険があるほうが盛り上がれそう、っていう俗さがきりちゃんの肝で、そこは全然変わらんのねって安心しましたw

 

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水無月の七 / スマホ紛失事件とか

●6月某日: 園の友だちの新居に、3人で遊びに行く。那珂川の山のほう。真新しい杉の木の香り。玄関から台所まで土間の三和土になっているのも、子どもたちの部屋の作りも、いろんなものが彼女らしい。日差しが強く暑い日だったけど、家の中を通る風は涼しく心地よく、そこに寝かされている3ヶ月の赤ちゃんの姿もとても気持ちよさそうで、いるだけでいい気分。

お昼は近くのおうどん屋さんに。知る人ぞ知る名物亭主といった感じで、こだわりのお料理と垣間見える個性的な人生観。友だちにしろ、この店や亭主にしろ、「自分がどう生きたいか、自分にとって何がもっとも心地よいか」がハッキリしていて、そのために、持たないもの・選ばないもの・あきらめるものに対してももキッパリしている感じがして、こういう人といると、「さて私は何が大事?どうしたい?」とフィードバックすることになりますね。

・・・なーんて言いつつ、夕方、スマホ紛失事件が起きて右往左往していた現代人でありました。近所のスーパーで落としたらしく届けられていました。サクも一緒になってかなり熱心に探してくれたのはうれしいんだけど、本気で不安に思っていたようなので、「大丈夫だよ。見つからなくても、スマホは、ものだから。家族が元気でいるならお母さんはものがなくなっても大丈夫なんだから」と抱きしめて、優しく言い聞かせる。「そうだね・・・」と安心したようだったので我ながら良いこと言ったなーと満足していたら、「パソコンも、なくなっても大丈夫?」と付け加えられたのには笑いました。う、うん、だいじょうぶ・・・(じゃないかも)。夜ごはんは、ドライカレー、トマト。スマホ騒動で簡略化されましたw

 

●6月某日: 近所の子のお母さんが朝イチで所用のため、一緒に連れて、歩いて登園。帰り道は歩いて帰ることが多い最近なので、脚力には問題なし。ただ午後2~3時ごろと違って朝8時半は歩道にも自転車が多いので、注意。

気温25度から30度近くにもなる最近、園では手作りプールをやっているらしい。作り方をサクに教えてもらう。園庭を、年長さんだけが使えることになっている長シャベルで掘って掘って広ーく掘って、そこに大きな青ビニールシートを敷いて、ホース&バケツで水を溜めて、入るらしい。すごい疲れそう。でもすごい楽しそう(笑)。

今日はサクを預かり保育に預けて、夕方4時まで、家事雑事自分のことをいろいろやった。夫は日帰りで湯布院出張。インバウンドも相当戻っているように見えた、と。夜ごはんは、ハンバーグ、じゃがいもとインゲンの煮物、キャベツと人参とハムのコールスロー、トマト。ハンバーグ作りはサクも手伝う。大人も子供もハンバーグ大好き。

 

 

『ゆとりですがなにか』 完走しました

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7月に入ってから録画を見始め、お盆休みに見終わりました!

「ゆとりですが何か」この挑発するような、あるいはスカしたようなタイトルと、OPテーマの恥ずかしくなるくらいまっすぐな若者バンドサウンド、そのバックの彩度の低い映像。
最初の頃は、「ゆとりの怒り」というか「世代で括んなよ個々人だろ」みたいなのを描くのかなと思ってた。ゆとりにも五分の魂の気概で、不条理な社会にコミットしていくしかないんだ、っていう決意表明とか。

それは大きくは外れていないんじゃないかと思いながら見てたんだけど、やたらに凝った時制で描かれていった最終回のラスト近くで、山路が子どもたちに向かって

 

「人の失敗を許せる大人になってください」

 

と言ったとき、ああ!と思った。そうか。そういうことだったのか。そういう目で見たら、パズルがピタッと嵌るような感じがした。クドカンドラマはいつも面白いしいつも人間賛歌なんだけど、最終回で、こういう「すべてが噛み合う」感覚を覚えたのは初めてかも。

 

思えば数々の失敗が描かれてきたのだ、
坂間、山路、まりぶの3人の「ゆとり」たちは。

営業から店舗勤務に飛ばされ。
山岸にパワハラで訴えられ。
まりぶにおっぱいパブでぼったくられ。
悦子先生は「叱られた」「グイグイくるんです」なんてその場その場で都合いいし。
あげく静馬のせいで学校中に童貞をバラされ。
まりぶは植木の職場で暴力沙汰を起こし。
妻子に逃避行を強いて。

自業自得にしろ、とんだとばっちりにせよ、みっともない失敗ばかり。

 

それと同時に、「失敗を許す」姿も描かれてきた。

山岸を許し。
ぼったくった、まりぶを許し。
悦子先生と静馬を許し。
妹をガールズバーで働かせ不倫までしたまりぶを許し。
父親である「レンタルおじさん」麻生を許した。


最終回間近になって、茜が上司と関係を持ち、あまつさえそれを、結婚が決まり既にダンナの親元で同居までしていながら坂間に自ら打ち明ける展開を見て、「そりゃねーだろ」と思ったのだけど、「そりゃねーだろ」だからこそ最後に持ってくるエピソードだったんだ。

浮気して、それを結婚式直前の相手に打ち明けるなんて。
そんな大きくて愚かすぎる失敗だからこそ。

同期入社の正和を常に仕事でリードし、順調に出世してきた「できる女」茜の初めての失敗。いや、別れる・別れないのときもグダグダしてたよね。茜は正和のことになるとすごいグダグダする。サラリーマンの同期である2人の付き合い、すごく良かったな。相手の性格の掛値の無い良さをお互い分かってる。弱点も。

それは仕事の場でもそのまま表れて、それが互いへの劣等感や物足りなさに繋がる。でも、その良さも弱点もまるっと込みで好きなんだ。だからこそ鬱陶しい。相手のことも自分のことも。そんな気持ちを抱えたままエッチしちゃうっていうね。

茜の部屋で部屋着に着替える坂間の感じが、すごーくよくて、ぐっときてた。所帯じみた夫婦とか同棲カップルとはちょっと違うんだよね。生活感じゃないんだけど、オフィシャルではある意味お面をかぶった付き合いだからこそ、部屋での馴れ合いにも味があったりしてさ。

それにしても、新垣結衣と完ぺきな美男美女のカップル(掟上今日子)を演じた後で、安藤サクラともお似合いになれる岡田将生のキャパシティの広さよ! 

夫と一緒にクドカンの脚本とか、俳優さんたちのすばらしい演技やらを絶賛し、爆笑しながら見てたんですけど、

岡田将生安藤サクラ半同棲できる世界って本当にすばらしいよね、
 ガッキー(@掟上今日子の備忘録)は無理でも安藤サクラちゃんなら自分に置き換えて妄想しても許される気がして・・・
 ・・・・ちょ、岡田将生安藤サクラが結婚できる世界! 
 親戚友人一同の前でたっぷり10秒キスできる世界ーーー!」

って、うわごとのように口走ってましたよね・・・

あ、もちろん、松坂桃李でも柳楽優弥でも全然いけます!!



 

閑話休題

課長との関係を告白してしまった茜。
失敗しなかった茜の失敗。
失敗を隠しておくことの難しさ。

坂間にとっては、失敗を許すことの難しさ。
「失敗を許せる大人に」それは簡単なことじゃない。時にものすごく難しい。
悩み苦しむ坂間を見て、茜も苦しむ。失敗は時に、簡単に許されることじゃない。相手を苦しめる。

正確に言えば、坂間も指摘した通り、茜と早川が関係を持っていたのは「別れていた」期間だから、坂間に対する裏切りじゃないんだよね。だから、言わなきゃいいんだよ。一生黙っておいた方が優しさだった。黙っておけなかったのは、弱さであり、愛かもしれない。弱さも愛も、それらを丸ごと受け止めるかどうか、坂間は迫られた。茜は覚悟した。

披露宴会場に連れ戻された坂間に向かって、痺れた足で、花嫁衣裳や鬘を脱ぎながら匍匐前進する茜の姿は、本当にみっともなくて、恥ずかしくて、エロティックだった。衆人環視の中でさらけ出される失敗。

でも茜はひるまず、叫ぶ。結婚式という儀式の場をうまくやりこなせず、でも最後には自らぶっこわして、身も世もなく坂間を求める(それを待っているまーちん=岡田将生の表情!)。

ようやくたどりついて坂間に抱き留められた茜は、まるでエクスタシーに達した事後みたいな表情に見えた。それをみんなが祝福してる。すごくよかった。

早川とのことが、これでスッキリ水に流せたわけじゃないんじゃないかなとも思う。互いにどこかで気になり続けて、何年も、何十年も経った後に、ふといさかいの元になるかも。それほど重いものだと思う。でも、そういう古傷を抱えながら生きていくのが人間だし、人間同士の関係だったりする。

 

 

坂間も山路も、失敗しても、恥ずかしいめにあっても、職場を辞めなかった。
ただいるだけの人にもならず、なんだかんだずっと一生懸命だった。
これはゆとり世代にとって難しいことだと、一般的にはいわれている。
プツッとやめちゃう。ばっくれちゃう。興味のないことには無気力。
山岸がその最たる例。

序盤の山岸のエピソードは強烈で、自殺した男性と共に、このドラマを社会派と位置づけたり、ハードだと言わしめたりした。太賀も真野響子もすばらしかった。
彼らのエピソードが落ち着いた中盤からはカラーがだいぶ変わった感じで、ちょっと一貫性に乏しいかな?とも思うんだけど、「失敗」の観点から見ると何となく腑に落ちた気もする。

自殺した彼は失敗から立ち直れなかった。脚本家はそれを本人のせいとも言わないし、直属の上司のせいとも言わない。ただ環境が彼の失敗を許さなかった。彼の環境には失敗を許せるゆとりがなかった。

そして、人間は、死んだらもう二度と次の失敗もできない。

そう思うと、なんとなーく山岸が仲間のようになっていくのも納得だし、よかったと思う。山岸が徹底的に断罪されず、徹底的に改心もせず、でも何となく、「失敗しながらやっていく」「失敗する奴だけど許す」って感じになったのが。

 

 

ゆとり世代」はアラサーの男子3人+茜が中心になりつつ、その上下の世代もくまなく描いていく。

坂間たちの上が、兄の宗貴夫妻。
その上が、早川課長や、山路の小学校の先生たち。
その上が、麻生や、坂間の母や、茜の父。野上さん。
坂間たちの下が、山岸や悦子。
その下が、ゆとりや静馬。

例外なく、みんな、足りないところや、ろくでもない部分を持っている。
彼らもいろいろ失敗をする。
世代関係なし。

ただ、「上の世代は下の世代に対して良き年長者であれ」という描き方をしているのが、クドカンらしい善性だなあと思う。
山路は子どもたちに対しては失敗しない。最初から一貫して、子どもたちを大切に思い、それを正しく表現する良い先生なんである。

このドラマでは、親は子を、先生は生徒を、兄は妹を、上司は部下を、相応に大事に思い、行動で表す。それをできない大人の元にある年少者はどこかにゆがみを抱え、やがて大人は激しく糾弾される。まりぶと麻生の関係。

早川と坂間の最後もそうかな。あれ、殴られた早川がどこまでも執拗に追いかけてくるのが面白かった。なんかよくわかんないけど殴られてはい終わり、ってスルーしないのよねw

ゆとりや山岸、下の世代はさらに激しく「ゆとり化」していくようでも、彼らなりにがんばってる。時には上の世代を助けてもくれる(ゆとりからまりぶへの手紙)。基本的には、理解できなくても下の世代を見守り、大事にするのが上の世代のつとめ。

 

 

ゆとり教育」については6話で山路が子どもたちに話をする場面がある。

ガッツがない、ライバル意識がない、トラブルに対応できない。

・・・と、社会に出たらクソミソにけなされるゆとり世代。国が勝手に決めて、勝手に教科書を薄くして休みを増やしたのに。

でも、いいところもある。

人の足を引っ張らない。周りに惑わされないでベストを尽くす。個性を尊重する。
割り算の苦手なダイゴが算数だけ個別に授業を受けることを、

「かわいそうじゃない。特別扱いするのでもない。
 みんなと一緒に社会に出るための必要な措置」と言う。

最終回は性教育の授業。性差は個体差を際立たせる。「みんな一緒」じゃなくなる。
それは自然で当たり前のこと。
それらを受け容れられる心を持つことの大事さ。
ゆとりのある心を。
失敗できるゆとり、失敗を許せるゆとりを。

「心の思春期」という言い方はどうかなと思うんだけど、
人間の凹凸・完ぺきでなさを肯定すること、
失敗できる環境の大切さ、
失敗は時に相当重いけど、その傷を抱えながらでも、人間しぶとく生きていけるよってこと、
クドカン先生のメッセージはさすが、今の社会にぴったり。

 

失敗しないと成長できないし、行動しないと失敗もしない。
失敗イコール炎上で完膚なきまでにたたきのめされることや、
失敗を恐れて抑圧されて萎縮することが一番かなしいよね。

 

日本人的絆は無言のうちに同調を強要する。
自己責任の冷たさ、重苦しさ。
そういうものに対するアンチテーゼなドラマだったなと思った。

 

で、そういうものを、悲惨さまで持っていかず(ある意味、生ぬるいともいえる)、説教くさくなりすぎず、ユーモアたっぷりに描けるのがクドカンだなあと。なんといっても、登場人物ひとりひとりのめんどくささの描きわけが卓越した能力だなと思った。特に、茜、悦子、ゆとりの女性3人の、種類の違うめんどくささよ!!

 

 

役者はなんといっても主演3人+安藤サクラのすばらしさ。 
岡田将生ってヘタれが板についてるんだけど、彼史上でも最高にドタバタした役だったんじゃないでしょうか、それがうざったくならないのが彼の味だし、どこかセクシーさがあるのが今回のまーちんだった。

対照的に松坂桃李のオーラゼロ、色気ゼロな感じ! 頭の中ではいやらしいこといっぱい考えてるのに色気ゼロな感じ。ユーモラスなセリフの間とか、セリフを言いながらのちょっとした仕草もとてもうまくて、繊細な演技。彼がひっぱりだこなのわかりますね。

柳楽優弥はひとつの違和感もない役。いつか柳楽くんが童貞っていう役を見たいなと思いました(笑)。先生たちの飲み会にずかずか闖入してズケズケ言ったあげくおっぱいおっぱいで締めるのと、山岸の椅子を蹴り飛ばすアクションが最高でした。

安藤サクラ。仕事のできる女、宮下エリアマネージャーと、甘ったるい声でまーちんと喋ったり、山ちゃんと友情を築いたりするガサツでめんどくさい茜とを何の矛盾もなく成り立たせる演技。最高だな。この先も安泰だな!

このドラマで太賀くんスゲーって思った人には大河ドラマ『江~姫たちの戦国』での秀頼役を見てほしい・・・。本当にメタメタなドラマだったけど、りえ様の淀と太賀くんの秀頼は出色だったのよ・・・。

吉田鋼太郎の舞台調な演技をクドくなく見せるクドカンのアテ書きはさすがです。
安藤サクラ手塚とおるの上司と部下がどうにかなっちゃうっていうのが何かもうめっちゃ生々しくてさ・・・! お兄ちゃん役の高橋洋の地道な好演も心に残った。彼を今作で知った。次にどこで見るか楽しみだ。

 

 

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水無月の六

●6月某日: 今日は幼稚園の父親参観。雨なので、近所のお友だちの家を回って車に乗せていく。朝ごはんを食べ終わったあたりから、サクは興奮ぎみでペラペラよく喋り、8時半に2人が出ていくと「うわーっ! 今から、彼らは幼稚園で充実した時間、私は4時間近く一人の時間で充実だ!」とまだ何もしていないのに充実感w 

まあ、こんなイレギュラーな日ならではのことよりは、ルーティンとか、たまってることを片付けるので時間は過ぎて行ったが。ランニングもした。7キロほど。やんだかと思って出たら、途中からまた降り出してけっこうなびしょぬれになった。

パパと作った竹馬を持って、サク帰宅。パパにプレゼントした手染めのハンカチも得意げにサクが持って帰ってきたw 夫の口からサクやクラスメートたちの様子を聞くのが面白い。午後、夫は某案件でまた会社へ、私とサクは家でのんびり。まあ、のんびりというかサクはバーンとやっておったが。夜ごはんは、焼き鮭、豚汁、キャベツとベーコンの炒め物、トマト。ふだんの日曜はもう1ランク粗食って感じなんだけど、今日は夫が仕事して帰ってくるのでちょっとボリューム付けた。真田丸、小田原合戦。氏政と三成に目を瞠る。

 

●6月某日: サクは日曜参観の代休。でもサクと一緒に幼稚園に行った夫には、もちろん代休なく出勤です。おつかれさま。夫が出勤したあと起きてきたサク、「おとうさんのしごとが ぐじゃぐじゃだから、わかんなくなったー」と愚痴る。そだね、土曜日も仕事、日曜日は幼稚園のあと仕事、今日は月曜日だけどサクは休みでお父さんは仕事、カレンダーめちゃくちゃになってますよな、ここ数日w 

さあ平日のすいた時間に天神へ行きましょう。美味しいお茶(友だちにあげる分も)や柚子の石鹸や小豆のアイピロウ、かわいい水筒など、いろいろ買う。たまにするこういう買い物って楽しいよね。サクにもひとつ、「ほしい」といった紙細工のおもちゃ(なんといっていいかわからん)を買う。イムズのソリッド&リキッド、ここに来るたびに、もう4,5回いいなーほしいなーと眺めていたもので、1,500円のコスパがどうしても解せなかったのだが、サクもお小遣いを持っている今、「500円お小遣いから出すなら買ってあげよう」と手打ちにした。ソラリアでお昼を食べて、スーパーでもたくさん食料品を買う。夜ごはんは、鶏ときのこ・野菜のクリーム煮、ズッキーニのめんつゆマリネ、新玉ねぎのおかか和え、トマト。

 

水無月の五 / 優しくなれるおまじない

●6月某日: サク弁、ごはん(おかか)、揚げ餃子、鶏と野菜のトマト煮、卵焼き、きゅうりとパプリカ。揚げ餃子は冷凍しといたのを朝揚げた。夫の弁当にも入れたけど大丈夫だったようです。とと姉ちゃんがプロポーズ週で、まったくもって目が離せない! 

幼稚園に迎えに行くと、年長組の部屋の前に色鮮やかな染物がズラッと干してある。日曜日の父親参観で渡すプレゼントで、昨日サクが作り方を詳しく教えてくれたのだけどサッパリぴんとこなかったのが、実物を見るとよくわかった。模様をつけるためのあのプロセスだったのだね・・・! 

夕方、唐突に私の胸元に掌をじっとあて、5秒くらいしてから「おかあさん、こうやったら やさしいきもちになるよ」とにっこり。自分で考えた、という。「ほんとだね。いいね。サクにもやってあげよう」とひとときの穏やかな時間。そんな彼は今日、チビ鉄向け雑誌「鉄おも!」の最新号を買ってホクホク。様子を見ていると、雑誌を毎号買って読む楽しみをもうしっかり堪能しているなあと思う。チビウサくんなどが出て来る連載マンガコーナーと、特集と、プラレールアドバンスのグッズが載っているところと(販促・・・w)、そして、目次が好きらしい。目次! おお、オタッキーな香りの嗜好よ・・・!

夜ごはんは、皿うどん、味噌汁、きゅうりと青じそのポン酢和え、ミニトマト。サクの座り方を注意するとおもむろに立ち上がって私の胸元に手をあててきたw

 

●6月某日: 今日も降園後、時間ギリギリまで外遊び。帰ってサクと一緒に餃子包む。気ままなおしゃべりしながら25個。何だか大きくなったなーとしみじみ。さてそれを揚げて、他に豆と野菜のマリネやら唐揚げやらメロンやらビールやら持って、友だちの家で持ち寄りパーティ。子ども付き&アルコール付き。大人たち、よく食べよく喋りよく飲み。子どもたち、よく食べよく遊び。

家主しほちゃんの絵「フラワーエッセンス」全38枚完成記念での宴でもあった。7cm四方くらいの小さいシリーズ。すうっとしながら惹き込まれていくような。お仕事を終えたみやさんも合流し、さらによく喋りよく飲む。仲間内でも菅田くんやオダギリジョーの人気は高い。仕事の某案件で繁忙な夫、深夜帰宅。

 

●6月某日:  某案件で繁忙な夫、朝6時半ごろ出社。ごめん、起きれんかった…。そしてゆうべ友だちの家で夜遊びしてきた私とサクは寝坊。母と待ち合わせて一緒に昼ごはん。今日は今シーズン一番の暑さだと思う! 30度くらいいったんじゃないかな。サクが幼稚園の活動で作ってプレゼントしてくれた紙粘土のネックレスをつけていくと、母、目ざとくすぐに気づき、超ナチュラルに褒める。褒められると割と平静な顔をするサクw 食事中、すごく当意即妙なことを言って私と母を大いに驚かせ笑わせたのだが~、何を言ったか忘れてしまった。こういうときはすぐにメモせねばなりませんな。

食後、本屋に行って母に2冊絵本を買ってもらう。私はひとりで自転車で帰り、サクは母と電車&徒歩で帰宅。遅いなーと家で待っていると、「おそくなってごめんねー。かいものしてたんだよ」とサク。見るとクレープを持っている。そして私が何かを言う前に、腕を伸ばして私の胸元に掌をじっとあてる。数日前からやってるサク考案のおまじない(?)「こうすると優しい気持ちになる」の実践らしい。お店で「こんなの買ったら、ママに怒られちゃうかな」と母が言ったとき、既に「だいじょうぶ。おこらないほうほうを しってる」と言ってたらしいw 

18時ごろ、夫帰宅。夜ごはんは、ニラ豚(にんにく!)、カツオ刺、イカ串(スーパーの)、豆と野菜マリネ、野菜の酢漬け。ビール、赤ワイン。

 

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山に生きる人びと (河出文庫)

山に生きる人びと (河出文庫)

 

 

筆者は戦前戦中戦後を通じてフィールドワークを身上にした民俗学者。生活誌はもちろん史料や伝承も、山や谷のすみずみまで自らの足で歩くフィールドワークによって得たものばかり。

冒頭の章は「塩の道」。生きていくために必要不可欠な塩を、古い時代、山中深く住んだ人はどのようにして手に入れていたのだろうか?という、問い。素朴だけど盲点だな、っていうここから始めるのがすごくうまいな、と思う。

その答えとしては、海岸で塩を製造した者が山中まで売りにくるパターンのほかにも、「山中から海岸まで出て行って塩をつくる」パターンもあったという。そこから派生して、「自分でやるのは大変だから、塩を焚くための木を海岸に送って海岸の者に焚いてもらう」パターン。木を塩の対価にするわけである。考えてみれば塩を作るには海水を焚くための薪がたくさん必要で、海岸地方よりも山中のほうが木がたくさんあるわけだから、理に適った取引だ。塩を焚くための木を「塩木」といったりしていたのだそう。ちなみに、この論理で、名字でもよくある「船木」は造船のための木のことをいう。

木を海岸まで送るため、川を使う。水運。でも都合よい川のある山中ばかりではない。川が無ければ牛や馬の背に乗せたりもした。また、灰を塩の購入対価にする例もあった。紺屋で染色の色止めに使ったり、麻の皮のあく抜きに使ったりするので、よい灰は高く売れたのだという。一俵の灰をつくるため、多くの雑木を伐る。五斗俵一俵の灰で、二斗俵一俵の塩が買えたらしい。このようにして、山間の村と海岸の村とは意外な結びつきがあったり、そこに婚姻が生じたりしたという。すごく興味深いよね。

ここから、山に生きる人々の生業がさまざま紹介される。

●狩人、つまり野生の鳥獣をとる人。

●杣(そま)、これは木こりですね、林業。

●そこから派生して、大工や木地屋。木地屋も今ではほとんど耳にしない言葉だが、木を使って椀や杓子などの生活用品などを作る仕事のこと。

●鉄山労働に携わる仕事。その中にも、「鉄穴流し」という砂鉄を掘る仕事、砂鉄を銑鉄にするたたら踏み、鋼鉄にする鍛冶屋、たたらに使う炭を焼くなどいろいろな仕事がある。

どうも、昔の人は大部分が第一次産業に携わっていて、その内容は農業または漁業、というくらいのざっくりしたイメージしか持てなかったりするんだけど、これだけいろいろな職業が昔からあったのだなあと思う。

そして、山の生活は平地とはかなり違って、定住しないとか、稲作をしないとかいう特徴も多く見られたという。獣をとったり木を伐採したり、木で製作したりするために、山から山へと移り歩く。柱を2本立て、棟木を乗せ、軒廻りの柱に庇木をわたして、屋根をふく。壁はカヤで覆い、入り口にカヤ菰をたらし、中に筵を敷く。そんな簡単な小屋掛けをして、その一帯での仕事が終わると移っていく。

では、そういった「山に生きる人々」は、どんな人々で構成されているのか。大きく分けると、

「山の人」

「落人」

に二分されるようである。落人というのは平家に代表されるような、戦いに負けたり世を捨てて逃れてきて、人里離れた山深く落ち着く人々。

「山の人」については、以下長いが引用する。

野獣が農耕をさまたげる山中に入ってなお耕作にしたがわなければならなかった理由は、耕作が最初の目的ではなく、野獣を狩ることが本来の目的であり、狩猟による獲物の減少が、山中の民を次第に農耕にしたがわせ、さらに定住せしめるにいたったものと思われる。

山中の人びとの生活を記録したものはいたって少ない。しかし以上のようなわずかな例からしても、山中の民は平地の民とはその生活のたて方がずいぶん大きく違っていたことを知る。

しかもそれは山中であるがゆえに文化的におくれていたのではなく、生活のたて方そのものが違っていたとみるべきである。

まず第一にこの仲間がかならずしも稲作を取り入れることに熱心ではなかったということである。

本気になって水田耕作を求めるならばある程度までそれが可能であったと思われることは長野県下伊那郡坂部の例が物語ってくれる。坂部にかぎらず、そういう例は少なくない。

したがって過去に稲作の経験をもっているならば、山中に入っても大なり小なり稲作へのこころみをしているだろうが、その努力を焼畑集落ではほとんど見ることができない。つまり焼畑集落は最初から焼畑をおこなっており、しかもさらに古くは酒量を重要な生活手段としていたと見られるのである。

そこで少しとっぴな想定であるけれども、縄文式文化人がやがて稲作文化をとりいれて弥生式文化を生み出していったとするならば、それはすべての縄文式文化人が稲作文化の洗礼をうけたのではなく、山中に住む者は稲作技術を持たないままに弥生式文化時代にも狩猟を主としつつ、山中または大地の上に生活しつづけてきたと見られるのではないかと思う。

 

稲作や畑作を含めた、筆者の古代への言及は『日本文化の形成』に詳しい。

『日本文化の形成』 宮本常一 - moonshine


また、取り立てて掘り下げることはしないが、このような「山の人々」が平地の人から軽視あるいは賤視されたこと、しかし同時に、子どもが生まれれば彼らに名付け親を頼むようなスピリチュアル視をしていたことも、筆者は随時書き添えている。

島国で単一の民族だと思いがちだけれど、アイヌや琉球に限らず、古い時代から多様な生活があり多様な仕事があり、「塩木」や「船木」を始め、科学や産業が発達する前から人は知恵や必要性をもって様々な仕組みを作ってきたこと、その過程でタブー視が生まれてきたことなど、読み取れるのは興味深いことばかりだ。

 

『とと姉ちゃん』 第21週 「常子、子どもたちの面倒をみる」

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水無月の四 / サクのうた、はじめてのおつかい

●6月某日: 最近また、サクが即興で歌を作るブームになってきておもしろい。今の心情や状況説明を適当なフレーズに乗せて歌うと、サクが続きを作ってくれて、それを受けてまた私が・・・という「連歌方式(笑)」もよくやってる。

私  「サクもそろそろ新しい長靴買わないかんね。小さくなってきたもんね」
サク 「N(ともだち)、きのう、あたらしいの はいてきとったね」
私    「♪長靴履いた~ Nくん♪」
サク 「♪はれなのに~あたらしいのを みせたくて~♪」
私    「♪さくたろうにみせたくて~♪」
サク 「あおいながぐつ うしろにしろいマーク~♪」
私   「♪かっこいいながぐつね~♪」
サク 「♪さくたろうは みどりがいいな~ すべらない~ながぐつ~♪」

降園後も園庭で遊び続ける。さるわたりをしたり、鉄棒をしたり、虫カゴをカメラに見立てて撮り合いながら走り回ったり、電車ごっこをしたり、気ままでとても楽しそう。たけのこ、本日は4件におすそわけ。皆さんご協力ありがとうございます(笑)。夜ごはんは、イワシ煮、キャベツと厚揚げなどの味噌炒め、野菜の酢漬け、きゅうり。

●6月某日: 今日のサクの即興の歌

「♪おかあさんが だいすきでー ゆめのなかでも あいたいくらいー♪」

おかあさんだいすき、おとうさんだいすきというのは普段からしょっちゅう言うんだけど(私たちも「さく、だーいすき」としょっちゅう言う。暑苦しい親子)、“夢の中でも会いたいくらい”って詩的だね。

今日も降園後は園庭で遊ぶも、もうすぐ3時だよと声をかけると「あっ!そうだった!」と素早く帰るモードに入るサク。自転車のうしろカゴで「あー、すごくたのしいきもちがするー」とワクワクしてる。今日は家から最寄りのコンビニまで、いわゆる「はじめてのおつかい」をすることになっているのだ。

これもマンガ「よつばと!」の影響だろうが、しばらく前からやりたがっていたのでね。心配がないでもないが、サクは慎重なタイプだし、ひとりでマンション1階の郵便受けを見に行く、幼稚園の少し手前で別れて自分で歩いていく、最寄りのポストにひとりで投函に行く、というステップを経て、めでたく本日デビューとなった。ちょうど買い忘れていた牛乳を買ってきてもらうことにする(スーパーに比べると高いが、そこは子どもの社会経験の費用だと思い目をつぶる)。左右を見て横断歩道を渡ること、コンビニの駐車場に充分注意すること、知らない人に絶対についていかないことを言い含めて送り出す。思ったより時間かからず帰ってきた。真面目に一目散に行ったのだな。特に飲みたくなかったけどコップに牛乳ついでくれたので笑顔でいただくw ひとつだけ好きなおやつ買っていいよ、と言ってたら、チロルチョコ1個買ってきてて、実にうれしそうに食べてたよw サク、おばーちゃん(私の母)に電話してさっそく報告、帰宅した夫にも、もちろんいの一番に報告。

夜ごはんは、鶏と野菜・きのこのトマト煮、きゅうりとパプリカとトマトのサラダ。サクを寝かせた後、友だちに借りた『洞窟おじさん』の録画、完全版の最終回を夫と見る。12時ごろまでちびちび飲む。