生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために (3・完)

ただ、この数年、「戦前」に言及するものは増えてきたなという感じがしてる。それも時代の移り変わりなんだろうなと思う。私が最初に受けた平和授業(小1)で、校長先生が「今年は戦後40年です」と言ったのをハッキリ覚えてる。もう四半世紀以上前のことだ(ガクブル)。兵役や空襲、原爆を経験した人がまだまだ多く存命だった。であれば、そういった人の経験を語り継ぐ、といった方向での取り組みが多かったのも自然ではある。

少し変わってきたなと思ったのは(というか私自身が別の視点に気づいたのがそのときだった、というだけかもしれないけど)、やはり平成に入ってしばらくしてからの「新しい歴史教科書をつくる会」で、自虐史観からの解放を謳う彼らと、それに対する異論反論等で、「あの戦争はなんだったのか」と追求されていく様子が一般人にも伝わるようになった。

すごくインパクトがあったのは2009年刊の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子)。小林秀雄賞受賞。帯には“かつて、普通のよき日本人が「もう戦争しかない」と思った。世界最高の頭脳たちが「やむなし」と決断した”というPRフレーズが書かれていた。福岡の丸善でこれが売上1位になっているのを見たときには、「戦争までの道のり」に興味がある人はたくさんいるんだな、と驚いたし、うれしかった(とか書いてますけど私この本いまだに未読なんですよね。読みたい読みたいと思いつつ…)。

そしてすごかったのが2011年(下半期)朝ドラ『カーネーション』だ。これはホントにどこを切り取っても面白くてすばらしい、朝ドラの傑作のひとつだと思うんだけど、戦争期の描写という点でも圧倒的なものがあった。以下に、ドラマで描かれた戦争関係の描写のうち主なものを年表に並べる。

  • 昭和12 勘助、出征。
  • 昭和15 饅頭屋の棚がからっぽに。小原洋裁店2階(紳士)は国民服を作る
  • 昭和16 「パーマネントを辞めましょう」とからかう子どもたち。軍需景気。 勘助、病んで除隊。大日本国防婦人会。
  • 昭和17 衣料、切符制。洋服だった百貨店の制服が和服に戻っている。勝、出征。
  • 昭和18 電気、ガス規制。婦人会、ミシン供出を迫る。もんぺ作成教室。配給制に。ミシン供出を免れるため軍服をつくる。子どもら戦争ごっこ「うちはもうあきまへん」と死ぬ。戦争奨励映画を見に行った帰り、憲兵に追いかけられる男を見る。
  • 昭和19 パーマ禁止で安岡髪結い店閉店。吉田屋破産で奈津、夜逃げ。だんじり中止。勘助、再出征→戦死
  • 昭和20 バケツリレー防火訓練。小原家一部疎開。空襲警報。勝戦死。泰蔵戦死。山中に空襲。

世の中が少しずつ不穏な空気に覆われていく様子、日常の中の「あたりまえ」が少しずつ奪われていく様子、人間関係や運命が変えられてゆくさまが、じっくりと描かれていた。といっても暗さ一辺倒ではない。暗雲たちこめてゆく世の中でも、それぞれの生活は淡々と続いていく。笑えるシーンもある。ないならないでしゃーない、というふうに受け容れ、工夫し、普段通りに会話したり笑ったり喧嘩したりもしながら、人々は暮らす。

主人公の糸子は、対米開戦の報を受けて舌打ちせんばかりに白け、夫の体を思い出しながら「こんな大きくてあったかいもんを、石炭みたいにボンボン燃やして何がしたいんや」とひとりごちる。その5,6年前、最初に勘助(次男)が出征するとき、父・善作たちは「兵隊なんて大したことない」とタカをくくっていた。はたして6年後、婿の勝に赤紙が来たときは沈痛な面持ちになっている。次男三男でなく、長男や、一家の戸主までも召集される時代。さらにその後、近所の泰蔵が出征するときには、善作はわれ先に万歳を叫ぶ。もう、そうせずにはいられない心境なのだ。せめてもの、はなむけとして。

小説でも、北村薫の「ベッキーさんと私」シリーズこと、『街の灯』『玻璃の天』『鷺と雪』は昭和7年から12年までの事件を描くものだし、中島京子の『小さいおうち』も昭和5年ごろから終戦までが物語の大半を占める*1。どちらも、それ自体が主題ではないけれども、昭和初期の華やかな上流社会、豊かなプチブル家庭に暗鬱な戦争の影が忍び寄る様子が克明に描かれていて、胸が詰まる。

こういった作品に触れると、昔も今も、そんなに変わらないんじゃないかと思える。確かに軍や政治のあり方も情報公開も歴然と違うんだけど、昔の人たちはお国の言うことに流され、だまされ、抗えなかった、愚かで哀れな人たちなのか? じゃあ、今はどんだけラッキーな時代だろうか? 政治家も国民も、かつてよりずっと賢くなっているかどーか?

かつての人々も、「カーネーション」の糸子や善作のようだったに違いない。日々の生活で精いっぱいで、政治やら外交やらのことをいちいち気にしてられない。開戦したって、白けているにせよ、熱狂するにせよ、最初はほとんど他人事だ。戦争なんてものが、自分たちの暮らしを、家族の命を、根こそぎ奪っていくなんて考えもしていなかった。それが何年か経ったとき、どうなっていたか。

こんな記事を書いてますけど、どこかの新聞のように、何かっちゅーと「軍靴の足音が…」とか思うたちでは、全然ないんです、私。かつてと今とではあまりに時代が違うとは思っているのだ。でも、「私が生きている“今”が戦前じゃないと、どうしていえるだろうか?」という思いは、やはり、時々よぎる。戦争でなくても、「今このとき」を起点として、あるいは通過点として、真綿でじわじわと首を締められていく部分があるのではないか?と。

ドラマや小説は人々の思いに寄り添わせ、暮らしを追体験させてくれる。そのうえでもって、「そのころの日本は何が起きていたのか?」と歴史を見てみると、深遠な気持ちになる。ドラマや小説のような、自分の半径5m範囲のように近しく感じられる世界から、視界を広げていくことで、感覚や考えはあらたまり、あるいは深まっていく。

「歴史的な過程においては、もう引き返せないとき、ポイント・オブ・ノー・リターンがある」と言われていて、太平洋戦争への道では、それはいつだったのか?というと、いろいろな説があるらしい。昭和13年の東亜新秩序建設を謳う声明だという説、昭和15年の北部仏印進駐と日独伊同盟の締結だという説、それよりもっと早く、昭和11年の広田弘毅内閣の「国策の基準」決定時説もあれば、もっと遅い、昭和16年夏の南部仏印進駐時説もある。

専門家の中でも意見の分かれる「点」を見定めるのはほとんど不可能だ。でも、私たちがそれを考えることは、現在と、そして未来のために、とても有意味なんじゃなかろうか。私なんかは、それは「点」なのかな?って思ったりもする。ただひとつ確かにいえるのは、日々の積み重ねが歴史を作ってきたということ、私たちもその「日々」を生きているということ。

そういうことを実感できるのはやっぱりそれなりの年齢になってからだろう。自分の半径5mの世界から、見える範囲がだんだん広がっていくこと、見える範囲をだんだん広げていくこと。スポーツとか趣味とかもいいけど、歴史こそ、小学校での平和教育で終わっちゃうのではなく、生涯学ぶべき題材だと思えてなりませんね。と歴オタを正当化しておしまい…

・・・・・・・って、こーゆーオチ最近も使ったので(?)追記。歴史観って見方によって全然変わるので、たとえば大学なんかで、あるひとつの歴史見解を「揺るぎない定説」であるかのように、上から押しつける教育をするのは、高等教育としてどうかってのはあると思うんですよね、やっぱり。大学はもう、「自分の頭で考える」ところだから。ただ、ある程度の前提知識がなければ、自分で考えることすらできないよね。

で、現状、日本史をとらなくてもいい教育制度のせいで、前提知識に乏しい人が多い問題って、厳然とあると思うんで、だったらやっぱり中学高校でもっと教えるべきじゃないかな、って思うんです。あっ。でも、みんながみんな、生半可な歴史の知識をつけると、右とか左とかの極端なところに安易に走る人が増えて、それはそれでやっぱり困るんだろうか・・・。うーん今後も考えてみます。


それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

鷺と雪 (文春文庫)

鷺と雪 (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

*1:そういえばどちらも直木賞受賞作だな。「小さいおうち」の映画化、楽しみです。松たか子主演