『明治維新とは何だったのか ~ 世界史から考える』 半藤一利・出口治明

明治維新とは何だったのか  世界史から考える

日本史界の大家 半藤一利に、APUの出口さん(=ライフネット生命創業者でもある)が「タテ・ヨコ・算数」そして世界史の視点から挑む、ということで、面白くならないわけがありません!

昨今、大河を始め歴史ドラマや小説でも世界史の視点を入れるものは珍しくなく、2013年『八重の桜』でも、初回は「アメリカの南北戦争が終わり不要になった銃器類が大量に日本に入ってきて戊辰戦争で使われた」という説明から始まったけど、出口さんはその南北戦争の図式を「南部=自由貿易 vs 北部=保護貿易 の争い」と看破! 

北部=保護貿易派が勝利した結果、アメリカでは急速に工業化が進み、広大な中国市場の門戸開放を求めてアジアにやってくる。つまり、シーパワーの開拓のための黒船来航であり、シーパワーとは「根本は、商売の話」なのである。

反対に、鎖国政策も、西欧列強がとかキリスト教云々より、「幕府が大名に自由交易をさせないためだったのでは?」と出口さん。戦国時代の日本が人口面でも戦力面でもやたら強かったことを思うと、納得の指摘だ。

さて黒船来航に際し日本側の矢面に立った老中・阿部伊勢守正弘を、二人は高く評価する。彼の安政の改革は、勝海舟大久保忠寛(一翁)といった開明派を登用し、講武所長崎海軍伝習所、蕃所調所などを矢継ぎ早に創設するものだった。

出口: 明治維新の「開国」「富国」「強兵」というグランドデザインを描き、そのための準備に着手した阿部正弘は、明治維新の最大の功労者のひとりではないでしょうか。200年以上も続いた幕府伝統の海禁政策鎖国)を、開国にもっていくだけでも大変なエネルギーを要したと思います。正反対の政策ですからね。(中略)

本当に立派な人ですよね。有為な人材登用や人材育成策は、お見事の一語に尽きます。また開国にあたっては、朝廷や雄藩の外様大名にも意見を求めている。市井の声も聞こうとしている。まさに「万機公論に決すべし(「五か条の御誓文」第一条)を地で行っている。

 出口さん、べた褒めです。

国史界隈でも阿部正弘の再評価は高まっているのでは? 
なぜなら、2008年大河『篤姫』では優柔不断の胃弱に描かれていた彼(演:草刈正雄)が、十年を経た2018年『西郷どん』では開明派の塊・島津斉彬の盟友でもあり、剛毅果断の切れ者として登場していたからだ(演:藤木直人)。ちなみに『西郷どん』の歴史考証は、『武士の家計簿』以来、一躍ホープとなってからも着実な仕事を重ねている磯田道史が担当していた。

閑話休題

幕末の人物の中で、出口さんが他に評価するのは勝海舟大久保利通。これまた納得ですね。

勝については「きわめて合理的に物事を考えられる人」と評している。

「社会が大きく揺れ動いているとき、複雑な状況を収めなければならないリーダーはものすごく難しい立場だから、合理的思考ができる人がいい。狂信的な理念やイデオロギーで凝り固まっている人は、舞い上がってしまって事を収められないんです」

として、やはり動乱期に大仕事をなした人物として、敗戦時の首相 鈴木貫太郎の名前を挙げている。

また、大久保については、やはり「グランドデザイン」の力を評価。「ものすごく荒っぽく言えば、明治維新大久保利通の作品」とまで言い切っている。破壊と建設、創業と守成の両方ができる人(これは、世界史でみれば鄧小平のような人だとも言っている)。そして、厳密な意味では保守主義者だった、と。これらを総合すると、半藤さんも作中で言っているとおり、出口さん自身が大久保利通タイプなのかもしれない。人望のある大久保(笑)。

最終章の「近代日本とは何か」は、2人の話から歴史の教訓をさまざま学ぶことができる。

日露戦争に際し、明治の元勲 伊藤博文には、日本が戦争を継続する能力がないことを正しく理解し、終戦の一年ほど前から戦争を終わらせるロビー活動をさせていた。彼らには戦争を終わらせるリアリズムがあった。

しかし、その後の日本は「一等国の仲間入りをしたのだからもう欧米にゴマをする必要はない」と開国路線を捨ててしまう。富国と強兵だけで突き進んだ結果が第二次大戦の敗戦。

出口: 世界の国々に対してオープンな姿勢でいなければ、情報が入ってこない。情報がなければ、リアリズムも失われるんですよ。部屋の中で考えているだけだと、現実離れした妄想が膨らむじゃないですか。社会をオープンに開いておかないと、重要な意思決定に不可欠な生きた情報が入らなくなると思うんですよ。

そして、幕末、日本をけん引したのは若い人々だった。維新の志士だけでなく、阿部正弘を始め幕府のほうにも若くて優秀な人々がたくさんいた。彼らは世界を見て、本気で勉強した。

出口: 大きな時代の変わり目には、これまでの経験則が役に立たないので、勉強している人じゃないと対応できないのだと思います。

もはや私も若者に括れない年代かもしれないが、大丈夫! 博学の出口さんは、勉強して立派に対応した年長者も紹介してくれています(笑)。幕末大河でもおなじみ、かの『海国図誌』のもとになる文献を集めた林則徐です。やはり、勉強する人は強いのですね。