3/26 毎日新聞 書評欄 『検証 アベノメディア 安倍政権のマスコミ支配』 『安倍三代』
3/26付 毎日 #新聞 書評欄に安倍政権関連の2冊。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月29日
『検証 アベノメディア 安倍政権のマスコミ支配』(臺 宏士)著者は元新聞記者。
「政府や与党が報道内容を巡って放送局に繰り返し干渉。政府が右というものを左というわけにはいかない、というNHKトップの発言は忖度報道の象徴。→」
#新聞 「→放送局が為政者の移行を忖度して報道・・・。表現の自由を保障する憲法21条と、マスメディアに対する国民の信頼がともに揺らいでいる現状がある。情報が管理され、正確な情報が伝わらなくなった社会はまさにディストピアである」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月29日
もう1冊は青木理『安倍三代』 安倍の祖父といえば岸信介だが、父方の祖父、安倍寛について言及。寛は戦前・戦中に衆議院議員を務めた。平和主義で反戦を貫き、東条内閣の方針に刃向かい、「富の偏在」に憤って全力で抗った反骨者。戦後すぐに51歳で急死し、そのあとを継いだのが晋太郎。→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月29日
#新聞→晋太郎は徴兵され海軍に入隊。特攻を志願し死を覚悟する。1945年、病床の父・寛は「この戦争は負けるだろう。敗戦後の日本のために若い力が必要。無駄死にするな」と言った。毎日新聞社に入社し、岸の娘・洋子と結婚し、1958年衆議院議員になった。→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月29日
#新聞→晋太郎はバランスのとれたリベラル保守の政治家で、極端を嫌い、独善を避けた。「オレは岸信介の女婿ではない。安倍寛の息子なんだ」とよく言った。政治家になる直前に生まれたのが三男の晋三。著者は晋三の関係者を訪ね歩くが、若き日の晋三に現在の政治スタンスの芽はみられない。→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月29日
#新聞→晋太郎の急死後、晋三は1993年に政界入り。関係者らへの取材をもとに、急速に右派イデオロギーに染まったのはその後であると著者は書く。晋三の政治スタンスは父への反動? 安易な結論を避けつつも、取材を通じて感じた「不気味さ」が語られた本であるという。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月29日