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『おんな城主直虎』 第14話 「徳政令の行方」

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瀬戸・祝田の百姓たちは読み書きが不自由という設定だったけど、そこで手紙の文字が「カタカナ」だったことに考証というか中世らしさを感じたなあ。起請文とか落書とか、そういう、ちょっと禍々しいものはカタカナで書くんですよね。

先週、今週と、難しい法令集などを必死にあたったり、自分の脚を使ったり、苗床を見て「植えどきだ」と感じる直虎と、「化粧料」と呼ばれる所領の主ではあるけれど、その果実だけを得て疑問のない他の女子衆との対比が割とはっきり描かれているなと感じる。

奥山娘らの宛て替えに母上の所領を、と請われた瞬間の祐椿尼の「えっ?!」に表れてた(財前さん、ほんとうまい)。直虎は「井伊家のためなら百姓なんか死んでもいいってか!」のようなことを面と向かって言われた。それはそのまま、しのに対して「直親との思い出のためなら…(以下略)」と言い換え可能なんである。もちろん、そういう「理屈でない思い」も汲んでうまく計らえるのが良い殿なんだろうけど、現状、無い袖は振れないもんねえ。

今回の直虎はひたすら百姓のほうを向いて動いてたわけなんだけど、それが結果的に六左衛門の心まで動かしたのがカタルシスだった。奥山でんでん存命時代に六左衛門がチラとも姿を見せなかったのは、作劇上の都合もあろうが、でんでんにはダメ息子扱いされてたんだろうなーって頷けるもんね。

井伊の総領娘でありながら出家の身になり、実子を持つこともない次郎が、解死人として人間扱いされずにきた方久や、武士としてのコンプレックスの強かった六左衛門など、やはりいわゆる「はみだし者」と手を携えていく。って、やっぱりめっちゃ少年ジャンプだな! 

武士(男子)としてのコンプレックスが強かった六左衛門に比して、中野直之は、武士(男子)としての優越感というかチンケ気味なプライドが強すぎるのだよね。さて、どう攻略していくのかな? 往々にして、優越感は劣等感の裏返しだけど。わくわく

試練もたたみかけるなら、カタルシスもたたみかけてくれるのが森下脚本で、

 百姓たちの心を掴む → 孫左衛門ノックアウト からの、
 政次「知っておる。昔から」という三段構えにウワアアアアア!!!てなりましたね。(黒但馬じゃなくて)鶴の顔ーーー!

政次は、井伊が同じ過ちを繰り返さないために(つまりは井伊を守るためなんだけど)自分が完ぺきな黒宰相になると期していて、そのために直虎を潰そうとしているけれども、それをいちいち乗り越えてひとつずつ強く賢くなる直虎を見て「それでこそおとわだ」と納得する気持ちもあるし、自分には決してできないことができる直虎が眩しく羨ましい気持ちもあるんだよね。このアンビバレンス~! 作り手は萌えというものをよくわかっている。

そして、直虎が乗り越えれば乗り越えるほど、今川に目ぇ付けられちゃうってのが、また。寿桂尼サマの「出家あがりの女子に何を手こずっておるのやら」というセリフもピリリとしてて最高でしたが、直虎を差し向けよと言われてうち震える但馬タン・・・

(ああ、ついに恐れていたことが・・・どうやって、俺はどうやっておとわを守ったらいいんだ)

なーんて、心の声がダダ洩れでしたな!!!

今回、かわいい亀ちゃんと回想シーンが出てきたことであらためて思ったのだけど、次郎は「亀の魂をこの身に宿す」とは言ったものの、それはあくまで志の話なんだよね。次郎「井伊に喜びに満ちた日々を」 亀「では、そのように頑張ります。それを成し遂げることを井伊の姫に誓います」であって、そもそも亀の志=次郎の志でもある。女である次郎が領主を継ぐといっても、優秀な(そして正統な)当主だった直親を目指す、わけじゃない。「直親なら、こういうふうにしただろう」みたいなことじゃないんだよね、出て来る回想シーンが「井伊の姫に捧げます」なんだもん。

むしろ、領主としての直虎は、結果的には政次が育てているといってもいい。彼が企てる方策を乗り越えることによって、直虎は経験や知識を得て、より強くなっているから。

つまり、直親はメンタル面で・政次は実務面で直虎を支えていて、やはり両者は拮抗しているし、おとわを加えた彼らは三位一体なのかなーと思った。うまく書けないんだけど。