弥生の十二 / 『わたしを離さないで』 最終回
●3月某日: 3学期の終園日。朝から雨で、近所の友だちが車に乗せてくれた。11時半に2人分の弁当をもって迎えに行って、教室で一緒に食べる。年少・年中組の保護者の有志で、午後から明日の卒園式の会場準備をするのだ。クラスで10人ほどのママが残っていて、子どもたちは食べ終わるとさっそく教室から出て行って遊び始める。かわりばんこに、「○○のおかあさーん、○○がないてるよ」という報告をする子ども使者が教室にやってくる(笑)。
やがて、最近はやっている助け鬼をしようということになったらしい。サクは青い帽子をかぶっていて、それが鬼の印のようだ。手分けして講堂の中のぞうきんがけをしたり棚や窓やパイプ椅子を拭いたり、卒園児が描いた絵を飾ったりしていると、誰かが「あら、雨が降ってる」と言う。子どもたちが普通に園庭で遊び続けているので気づかなかったのだw
クラスの子の車に乗せてもらって帰る。「あー、きょうたのしかったー。いっぱいあそべた」と満足げなサク。私は、たった一年後に、サクがこうやって卒園するのかーと今から感慨深くもあったり。夜ごはんは、ぎょうざ、コールスロー、ごぼうの甘辛煮、焼きネギ。夫は飲み会。
#わたしを離さないで TLで見てる人が多かったドラマを最終回のラスト30分だけ見てところどころ泣いたあとちょっと放心している
幾つもの臓器をとられ空っぽになって終わる提供者たち。その思い出の品々で籠がいっぱいになったとき抱えきれなくなった介護人は海に入って自分で終わろうとするが、ぺしゃんこのサッカーボールが彼女の足元に流れ着いてくる。ボールの役割を果たさないそれが彼女を押しとどめる #わたしを離さないで
「私も介護人です」と言う恵美子先生は老いて車いすを使い、介護を受けている。「もう提供もできないポンコツです」というセリフが印象的。無念の死を遂げながらも命を繋ぐ役割を果たした提供者たちに比して、命を長らえた提供者は結果的に「ポンコツ」でしかないと。 #わたしを離さないで
先に終わる者はからっぽになりぺしゃんこになる、残る者は宝箱をいっぱいにしている。そのどちらも悲しい。苦しい。ぺしゃんこになったボールは本来の用を為さないけれど、残る者のよすがになる。それが終わった者の役目と美談にするのは残酷。軽いのに、とてつもなく重いよすが。#わたしを離さないで
恵美子先生や恭子に提供通知が来ないのは、籠に入りきれない宝物を持ち続け「ありがとうございます」を受け続けるためかもしれない。それは搾取する側のせめてもの良心かもしれないが、提供と同等に残酷な役目ともいえる。でもその残酷さ、苦しみ故に恭子は生きてゆけるのかも #わたしを離さないで
死ぬ者と遺る者、成功者と脱落する者。優越感と劣等感、奪う者と奪われる者。その残酷な差を描きながらも「両者の喜びと悲しみは同量なのだ」「同じ舟に乗っているのだ」「それが生きるということなのだ」と書くのが森下佳子の脚本だと感じる。#わたしを離さないで 天皇の料理番も、ごちそうさんも。
「人と繋がるのは楽しい、幸せ」「絆は大事」そうだと思うし、そういう創作作品はいっぱいある。けれど #わたしを離さないで で恭子と縁あった提供者たちは次々に終わり、彼女は一人で残された。その痛みや孤独はいかばかりか…、でも宝箱の中身はやはり宝物なのだろうとも思う。