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『シドニー!』 村上春樹

 

シドニー! (ワラビー熱血篇) (文春文庫)

シドニー! (ワラビー熱血篇) (文春文庫)

 
シドニー! (コアラ純情篇) (文春文庫)

シドニー! (コアラ純情篇) (文春文庫)

 

 

ちょっと前に「本棚の10冊で自分を表現する」っていうハッシュタグが流行ったけど、自分がやるなら必ず入るな! って1冊(文庫で持っているので上下2冊だが)。

8月の下旬、世界陸上を毎日見ていて、大会が終わった余韻に浸っていると、またこの本が読みたくなった。軽く10回以上読んでると思うけどやっぱり面白いんだ。村上春樹が2000年シドニーオリンピックを見に現地に23日間滞在して書いた、本人いわく「観戦記&トラベルライティング」。そのとおり、気軽な読み物としても扱えるんだけど、実はすごくボリュームがある。読み終わったあとにしっかりとした感覚が残る。

最初は(というのは20代半ばのころ)、オリンピックの試合そのものについてのレポートに感嘆したのだった。高橋尚子が金メダルを獲得したレースや、松坂大輔を擁した日本代表の野球チーム。男子10000mの決勝。村上春樹という偉大な作家が書く観戦記は、新聞記事やスポーツ雑誌の文章とは違った新鮮さがあった。彼は記者ではなくひとりの観客として、徹底して「主観」で書いているのだが、その場の空気感がビシビシ伝わってくるのだ。

その次、20代後半になったころは、シドニーオリンピックの「役者」ではなかった有森裕子犬伏孝行という、「とりあえずの敗残者」の2人を巻頭と巻末で取り上げる構成がたまらなく好きだった。巻末、シドニーのあとの有森裕子へのインタビューをもとに書かれた終章は、私がそのころもっとも傾倒した文章の一つだ。その後は、「アトランタオリンピック」のマラソンレースを有森裕子の視点でなぞった巻頭の文章に唸った。オリンピックのマラソンレースで銅メダルを獲るというのが(それはつまり金メダルを逃すということが)どういうことなのか腹に落ちる気がする、凄まじい文章だ。

今回は、この本のキモは構成だな、と思った。オリンピック開催全期間を含め23日間のオーストラリアに滞在して、何を書くか・書かないかの取捨選択と、セットリストの決め方、その時点で、この本を唯一無二のものにしているんだなと。

テレビや新聞などのマスコミや、最近はインターネットというツールを通じて私たちが見るオリンピックと、ここに書かれてあるものは、似て非なるのだ。日本人の誰が期待されていて、実際の結果はこうで、メダルの個数は何個で、というようなオリンピックの在り方。あるいは、開幕式はこんなに盛大でメインスタジアムはこんなに近代的かつ効率的で、閉会式はハッピーでというオリンピックの在り方。私たちが見るのはそうしたもの。

村上春樹が書くのは、オリンピックを前にしたシドニーの街の雰囲気や交通事情。実際に始まってからの現地の人々の熱狂ぶりの具体的エピソード。マスコミ用のエリアのIT状況。シドニーで毎日どんなものを食べているか、味はどうか、値段は? 国の祝日にはどんなものがあるか? サッカーの試合をやるブリスベンという町まで片道1,000キロ(!)車を駆ってゆくオーストラリア国内の旅。その途中の町々のようす。オーストラリア大陸にいる稀少動物。その進化や棲息を取り巻く環境。オーストラリアの建国の歴史や、民族問題。それらがこのオリンピックとどのように関わっているか。そして、オーストラリアの「今」。オリンピック中の新聞をにぎわせている話題や、町の人々の声。

すごく立体的で、奥行きがあるのだ。オリンピックという1イベントから、人はこれだけのことを知れるのだと思い知らされる。

この本を読んでいた2015年の9月、国内は安保法案について人々の目が集まっていた。政治家から十分な説明がなされ審議が尽くされることのないまま採決の時がやってきて集団的自衛権の行使が可能になることについて、マスコミも多くの国民も疑問や反対の意思を表明した。人々が政治に関心をもち意思表明するのは大事なことだ。

そのうえで、武力を選びたくないのなら私たちはもっと成熟しなければならないと思った。そのあたりは ここらへん に詳しく書いたが、対話と交渉で世界とやっていくためには、世界への知識と理解が必須だ。私たちは(というのはもちろん私を含めてという意味)それを知らなさすぎると思う。安保にしたってつまりは「安全保障」なのだが私たちはどうしても国内しか見ない議論に終始しがち。

村上春樹は地理や歴史の本を書こうとしたのでも、まして読者を啓蒙しようと思ってこういう本の書き方をしたのではなく、ただこれが、彼の見る目なのだと思う。前述したとおり、徹底して主観で書かれている。とても軽く、さらりと、ユーモアも交えて。人食いサメとか、中東の王族に扮した宝石泥棒とか、町のパブの様子とか。

シドニーに持ち込んだ大事なパソコンが盗まれてしまい、その事後処理に追われてほとんど何もできなかったから今日は特別番組です」・・・なんていう前書きのあとに書かれた、『「精神病理から見たオーストラリアの歴史」あるいは「アダルト・チルドレンとしてのオーストラリアの歴史~ファースト・フリートからシドニー・オリンピックまで」』と題された文章の、なんという面白さよ! この卓越したユーモアを小説にも生かしてほしいんだけど、そうでもないからなかなか触手が伸びないんだよな(と、近作を読まずに書いてますが、最近の小説どうなんでしょうか?)。


【過去に書いた『シドニー!』関連の記事】

1.2007年11月、独身時代に書いたもの

 

2.2009年6月、これは結婚してたけど子どもができるより前ですね。後半で「シドニー!」のことも書いてる

 

3.2012年7月だから3年ちょい前に書いたもの。だいたい2,3年おきに書きたくなるみたいですね、この本のこと。