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『戦国大名』 黒田基樹 (感想 1 )

歴史

戦国大名: 政策・統治・戦争 (平凡社新書)

戦国大名: 政策・統治・戦争 (平凡社新書)

こういう本が読みたかったーーー! って本だった。そう、私の歴史の知識って、なんだかんだいって1990年代(私の小中高時代)に教科書に載ってたものがベースなんである。20年も経てば、認識や常識ってずいぶん変わるもの。とても不思議で面白いことなんだけど、歴史って、月日が経てば経つほど、どんどん遠く、さらに昔のことになっていくから、だんだん忘れ去られていくことがある一方で、月日が経てば経つほど、逆に研究が進む部分もたくさんあるんだよね。

戦国時代とは、名前の通り、戦乱の世。戦国大名とは戦争に明け暮れている殿さまのことであり、従来は「戦国大名は本来的に領土拡大欲をもち、領国支配もそれを実現するための富国強兵策を第一義としていた」と捉えられてきた。というか、今でも、ほとんどの人がそう捉えている。

けれど実際のところは、という話である。目からウロコ話である。

「戦争の日常化という事態の背景には、慢性的な飢饉状況があったことは間違いなく」、下級兵士(百姓の徴用も多く含まれる)は、戦争の中で掠奪行為も多く行われていた。つまり「食うための戦」であるという面。

そして、もっとも大きな戦闘理由は、戦国大名の軍事行動についてみていくと、そのほとんどは、従属する国衆からの支援要請に応えたもの」であるという。国衆、とは、小規模の領主たち。昔はよく「国人」といっていた。徳川(松平)や、毛利元就の毛利のように、国衆から戦国大名にのしあがっていった例も多い。

各地の国衆たちを従えることによって、戦国大名は領域権力を拡大していくのだが、従属させるからには、領国の境目に位置する彼ら国衆が、別の領域権力と戦争になった場合、支援しなければならないのだ。従属時、大名と国衆は、契約書とでもいうべき血判起請文を交わす。国衆は、従属の証として、大名から軍事動員の命があれば従わねばならないし、毎年、莫大な金を礼銭として大名に納めねばならない。ただし、いざ国衆の領地で戦争が起きたときは、大名から国衆に、今度は戦争費用として金が送られる。つまり、礼銭はいざというときのための預け金のようなものなのである。

もちろん、大名の軍事力も無限ではないから、数ある支援要請の中から、重要度をみて対応していくわけだが、あまりに支援を怠ると、その大名は世間から「頼もしからず」、あてにならないというレッテルが貼られる。こうなると、そこは乱世だけに、いったん従属していた国衆も離れていくし、それどころか、家臣の離反や、当主交代のクーデターなども起きかねない。別の戦国大名の軍勢が押し寄せてくることも考えられる。

百姓を領主(国衆)が保護し、国衆を戦国大名が保護する。ほかに、「家中」と呼ばれる家臣たちもいる。戦国大名は、そのように重層的な「頼み」構造の頂点に位置していた存在。法にもとづく権利などに裏打ちされたわけではない前近代社会において、その位置を維持するには、何よりも名誉を維持し続けることが大事だった。権力の下層に位置する者たちの声を無視しては、その地位は守れなかったのだ。